穢れと言うもの

ブログの週刊連載は終わったのですが、先日の記事の続きと言うか、色々と気付いた事があったので、ちょっと記録です。

先日も書いた様に7月に、うちの父が亡くなり、しばらくは気配があったのですが、その気配も1週間ほどで無くなりました。
それが丁度、母親にヒプノセラピーを施術した頃から、気配が無くなったのです。

母親に施術したのは、前世回帰です。前世では、以前の記事で予想した通り、やはり父親が小さい子供になって出てきました。気になったのは、前世を終えて中間世に移動してからです。母親の希望で、父親と会ってもらい、あらためてそこでお別れしてもらいました。

死んだ人と会わせるセッションは、オーダーセッションとして、時々リクエストに答える形で行う場合があります。
正直、私の中では、これはあくまでクライアントの心の中にある死んだ人に対する心残りをイメージ化して、感情を消化するものと考えていたので、実際に死んだ人とコンタクトしているとは、もちろん考えていませんでした。

ただ、この母のセッションの後、私もすっかり父の事を忘れていて、ふと気付くと既に父の気配が無くなっていたので、今思い返すと母は、本当にこのセッションの時に父とお別れしたのかもなと思いました。
まぁ、あるいは、母の気持ちの中で区切りを付けようとした事が、自然と父が旅立つきっかけに繋がったのかもしれません。

さて、一応今も私は忌中になります。神道では、人の死を穢れと見ますよね。
私は、この穢れという概念は、人間の作り上げた概念で、神さんのいる次元では、大して関係のない事と思っていました。
今回書きたかったのは、この神道で言う「穢れ」と言うものについてです。

実際、忌中となって、今あらためて朝に高次元の神仏に供養しようとすると、妙に抵抗感があるのです。
人間の概念に過ぎないと分かっているのに、水や食べ物を供養する事に、何か自分が手を出してはいけないような感覚です。
これは実際、神さんが嫌がってるのか、あるいは、単に自分が穢れという概念に縛られてるだけなのか、疑問に思いました。

そんな時、たまたまタロットをやってる友人が遊びに来たので、ちょっとこの穢れと言うものについて、タロットを通じて高次の存在に問いかけてみる事にしました。
そこで出た答えは、まず忌中に参拝するのは、本当に良くない事なのかと言う事について。これには「繋がりにくい」と言う答えが出ました。次に、その繋がりにくいと言うのは、神さん側の問題なのか、それとも人間側の問題なのか。答えは「人間側の問題、束縛されてる」的なカードが出ました。

これらから、何となくわかってきたのですが、あの岩長姫を閉じ込めていた、大きな壁のようなものを思い出しました。つまり昔から人間達が作り上げた概念が、アチラの次元においても、実際に壁となって邪魔になってるんだろうなと。

そう考えると、確かに穢れと言うのは、本来ただの人間の概念なので、参拝する側が気にしていなければ、別にお参りしても問題ないと考えられそうです。
しかし実際は、アチラの世界においても、古い時代から、そう考え続けてきた人間の「穢れを持ち込んではいけない」と言う想念の塊が壁となって出来上がっており、そのために繋がりにくくなるのかなと考えられます。

また同時に、わりと次元の低い所と言うか、人間界に近い所の神さんは、祟りや罰を与える事もあります。これは、人間界に近い神さんは、人間界にいた時に修行を積んで成った神さんも多く、人間的な概念が残っている為と個人的には考えています。
なので、やはり基本的に忌中や、穢れのある時の、神社の参拝は避けた方がイイなと言うのが、私の中の結論となりました。

仏教に多い、マントラなどの呪文も、結局、人間界に近い所で、システムとして成り立ってしまってるモノなのかなって思います。
高校の時に、般若心経に興味が湧いて、意味など色々知らべてましたが、あれもサンスクリット語だったかの音を元に、漢字を当てはめてるだけですよね。と言う事は、その当て字の漢字を写経して意味があるのか?とか。それ以前にサンスクリット語が分からない人に、サンスクリット語のお経を読んで効果はあるのか?とか。死んだら、読まれるお経の意味が理解できるようになるのか?とか。疑問は一杯ありました。

ただ、先ほどの様に、昔の人が考え続けた効果の概念が、実際にアチラの世界にシステムとして自然と出来上がっていたら、確かに効果を信じる人ほど、そのシステムの恩恵を受けて、効果が発揮されることは考えられます。
だとすれば、日本語の通じない所で、日本語の呪文も、またその逆も、それなりに効果が出てもおかしくは無いかなと。

吉凶占いの類も、元を突き詰めて遡れば、人間の概念が始まりです。高次の神さんが降りてきて、コレはイイけど、アレはダメみたいなルールを人間に教えたわけではありません。そんな人間くさい三次元的概念に縛られてる指示的な神さんがいたら困ります。
ただ、古くからのそう言った人間達の概念が、近いアチラの世界でシステム的に成り立ってしまっており、信じる人ほど影響を受けやすくなる事は十分に考えられます。

私自身、スピリチュアル的なものに関わるものの、マントラとか呪文とか、よく知りません。単純に自分が意図する言葉を投げかけてるだけです。ただこれも繰り返してると、ふとその言葉がけが呪文のように作用しだしてるのでは?と感じる事はよくあります。

占いは面白いので好きなのですが、どこのよく当たると言われる所で占っても、私の場合はよく外れるので最近はアテにはしていません。これは自分でもよく分かってるのですが、良い結果も悪い結果も、いつ起こるのかと何かついつい期待しすぎて外れてしまうんです(笑)。こっちが、さぁ来い!さぁ来い!と構えてると、来るものも来づらくなる感じでしょうか。方位や吉凶や厄払いも同じです。

周りには、あの占いは確かに当たってた!とか言いたいですよね。だから自分の中で、こじつけて当たってたんだと自分に言い聞かせてみたりもするんですが、正直心の底から当たってた!と感じた事が、私の人生の中では一度も無いんです。本当は一度ぐらいそう言う体験がしたいんです(笑)。

先ほどのタロットの友人も、基本的にはホントよく当たるのです。特に心の内を示すカードとかは、見透かされてるのでは?と怖くなるくらいです。占ってもらう時はエッチな事は考えない様にしなきゃと緊張するくらい当たります(笑)。ちょっと、ここれんねで何か占いイベントせへんか?と声掛けしてるくらいです。

当たらないのは、私の未来の事だけです。これは別の占い師の所に行っても、同じ様な結果を言われたりします。にも関わらず実際に結果が外れるんです。でもこれは逆に言えば、それだけ自分の意思で未来を作ってるんだと考える事ができます。占いの結果を聞いて意識した時点で、未来が変化してるのだと自分では解釈しています。

ちなみに私自身はオラクルカードしか持ってませんが、占って当たったと感じた事は特にありません。まぁカードの特性上、具体的な答えが出ないからと言うのもあります。ただ、人を占う時は、ちゃんとその問に対する答えらしいカードが出てくるので、占いは当たる当たらないではなく、その時のクライアントにとっての価値ある答えが出てきていると考えると、意味はあるのかなと、思っています。

占う時は、タロットを真似てみたりして独自のルールを作って占う事もよくあります。それでもちゃんと意味の通じるカードが出てくるので、きる時に展開をイメージ出来ていれば、自分でルールを作るのもありなのかもしれません。
一度、カードを持って来るのを忘れて、その場で厚紙を借りて切って、そこに縁ある神さんの名前を書いて、カードを作って占った事があります。それでも、ああ、なるほどと思える答えが出てきたりするのです。

実際、先ほどのタロットの友人が来た時は、お礼に私がオラクルで占い返したのですが、占ってる間、左隣に西洋風の女神さんが来ているのに気付きました。別に、占ってる時に必ず現れるわけではなく、その時たまたまだったのかもしれませんが、今日は、この女神さんが答えを出してくれてるんだなと納得してました。
占いのカードは、特定の存在と繋がった時の補助的なツールなんだなと、あらためて最近よく思います。

その日の夜に夢の中で、その女神さんなのかは分からないのですが、えらい大きくカラフルで綺麗な翼か、何かをまとっている女神さんが出てきて、遠慮なく情報を公開していって欲しい的な事を言われました。
なので、今回書いたほうがイイのかなと思って、ちょっと書く事にしました。

なので、もう一度整理して書きます。
穢れと言うのは、どうやら高次の神様方にとっては、重要ではない事のようです。
古くからの人間が作り上げた概念であり、それを信じる人ほど実際に影響を受けやすいと言う事。

前回も書きましたが、個人的に死と言うのは、もっと明るいイメージがあってもイイと思うのです。
人間は、理解できないものに、恐怖を感じる為、仕方が無いのですが。
死と言うもの、死後と言うものに対して、もっと理解が進んで、恐怖が無くなっていけば、人の死イコール穢れと言う概念も無くなっていくと思います。

占いの類も、あくまでツールであり、メッセージを受け取っているので、結果がその通りになるのかと考えるのではなく、今の自分に対するメッセージとして受け止める程度にした方がいいでしょう。

この世界では、アチラの存在より生きてる人間の思念の方がよっぽど強いです。
死霊より生霊の方がよっぽどキツイですからね^^;
なので、縁起ごとも占いごとも、多くの人が、その結果を聞かされると、占い通りになるかもしれないと考えやすいですが、そうではなく、その結果を聞いた時点で、結果を選べるチャンスをもらったと考えればいいのです。

「仕事のミスに気をつけなさい」と言われたら「仕事のミスをする」運命だった自分に、「仕事のミスをしない」運命が、新たに加えられ、それを選択できる様になったと思えばいいのです。

では次回は、また何か怪しいネタが出てきた時と言う事で。

あと、ここれんねのグループワークの実施についてですが、今、日程を検討中です。
初回は、9月の中ごろ、平日の夜で検討中です。もうしばらくお待ち下さい。

穢れと言うもの」への 2 件のフィードバック

  1. >仏教に多い、マントラなどの呪文も、結局、人間界に近い所で、システムとして成り立ってしまってるモノなのかなって思います。
    高校の時に、般若心経に興味が湧いて、意味など色々知らべてましたが、あれもサンスクリット語だったかの音を元に、漢字を当てはめてるだけですよね。と言う事は、その当て字の漢字を写経して意味があるのか?とか。それ以前にサンスクリット語が分からない人に、サンスクリット語のお経を読んで効果はあるのか?とか。死んだら、読まれるお経の意味が理解できるようになるのか?とか。疑問は一杯ありました。<
     実はサンスクリット語は発音される音には意味だけでなく、音そのものの波動による効果があるといわれています。
    日本語版般若心経はサンスクリット語版を初めから最後の手前の部分までは主に意味を翻訳したもの、最後の部分(羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶)はサンスクリット語の音写(少しばかり元のサンスクリット語発音から訛ってはいますが)です。そのことから考えると言語が何であれ、お経の意味から発生する思念自体の効果ももちろんあるけれども、どんな言語の話者であれ、ある音のかたまりを発声することにより発生する共通またはほぼ共通の(波動)効果があるのではと思っています。

    参考までにサンスクリット語般若心経のリンクをいくつか貼っておきます。「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」にあたる部分がどこかは一発でわかると思います。
            https://www.youtube.com/watch?v=4pVMCEZKk9E (本来に一番近いと思われるもの)
            https://www.youtube.com/watch?v=hjRrdJfzJoc  (メロデイーを付けたもの)    
            https://www.youtube.com/watch?v=S70S7mgmVnE  (お笑いなおまけ)

    「ねんねメモ 穢れというもの」から引用
    >日本語の通じない所で、日本語の呪文も、またその逆も、それなりに効果が出てもおかしくは無いかなと。<
    意味から派生する思念による効果は最低限あると思います。

  2. ありがとうございます。

    行け!行け!の呪文の部分の話ですね。
    人の名前の頭文字の母音だけを見ても、性格に影響を与えると感じる事も多々あるので、言霊の影響はもちろんあるでしょうね。

    楽しい、明かるい、ラッキー、ハッピーと言ったイメージの言葉が、日本語に限らずみな「A」の母音から始まるなど、意味の近い言語の音の雰囲気が似てくるのも、ちょうど音楽で、明るいメロディ、悲しいメロディと、共通で感じられる様に、人類の共通の感性の様なものが、ある様で面白いです。

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