WEB講座4.霊的理解

アチラの方々との付き合い方

心の目線で理解

死後の世界なんて死んでみないとわからない。
霊視や幽体離脱で見たと言う人はいるが、その内容も似てはいるけど結構バラバラだったりするだけに、果たして自分も死後、同じ様に体験するのかどうかなんてわからない。いや死んでも分からないかもしれない。

そんな死後の世界を今生きてる人間の知識だけで分析しようとする所にまず大きな無理がある。
魚が懸命に地上を想像している様なもので、仮に魚が車を見ても四角い魚みたいなのが走ってるとしか認識できない。それが人を乗せて運ぶ機械とは想像すらできない。
同じ様に目に見えない非物質世界を物質世界の科学だけで理解分析しようとする所に様々な誤解釈が生じる。
この現実世界では安全なものであっても、それに似ているからと言って非物質世界においても安全だとは限らない。そういう意味でこの理解編では見えない世界をムリに科学的目線で分析するつもりはない。

ただ、目には見えない世界ではあっても「心」と言う目線でみると、アチラの世界とコチラの世界においての共通認識できる部分が沢山出てくる。
いわゆる幽霊と呼ばれる御方々も目には見えない存在であり何をしてくるかわからないから「怖い」と感じる。
しかし方々だって元々我々と同じ生きた人間だった存在であり、同じ様に感情を持っていた事は理解出来る。そこから方々が何故そこにいて、何故時々我々の前に姿を現すのか、気持ちが理解出来るようになると恐怖感は弱まる。

死後の世界も、三途の川を渡ったと言う人もいれば、別に渡らずに荒れた道を進んだ人の話もある。天国も地獄も臨死体験者によって、その様子は結構バラバラだ。それらをいくら理論的に統合しても死後はこうなると断定するのは難しいし、証明そのものが不可能だ。
しかし、これらの体験も「心」と言う目線で見直していくと、非常に似通ってる事がわかってくる。
非常に単純明快な解釈が出来る様になってくる。
エリアシフトでは、この「心」と言う目線で目に見えない世界を理解していく形になっている。

これまで一応スピリチュアル系サイトなのに、なんで親子関係の話がここまで大きく出てくるんだと、変に思った人も沢山いるだろう。私も好きで語ってきた訳ではない。
本当はこの理解編から話を始めたかった。最初から妖し~い話で盛り上がりたかった。しかし浄化編を理解せずして、アチラの世界を「心」と言う目線で解釈してもらうのは無理がある為に、ここまで懸命に親子関係の話をしてきたのだ。
理解編は、これまでの浄化編を読み終わっている事を前提に話を進めるので、ご了承願いたい。

そして、ここから書く事は私自身の神秘体験や前世の記憶と、お客さんが体験した前世体験、および私の周りのあやしひ人達の体験からの共通項をベースにして、先ほどの「心」の側面から感じても納得できる部分を中心にまとめている。
ただ、もちろんこれはあくまで私が真実だと感じた部分を言葉にしているだけなので、決してあなたの真実ではない。あなたの真実は、あなたがそれを信じた時ではなく、あなたがそれを真実だと体感した時に初めて真実となるものだ。
無暗に過信するのではなく参考程度に留めて、最終的な自分にとっての答は自分自身で感じて判断して見つけて頂きたい。

 

似た波長の存在と繋がる

心応理学講座
パワースポットと呼ばれる所は沢山ある。霊的に感じやすい人なら、そう言った場所を好んで出かけたりもするだろう。例えば大きな神社も立派なパワースポットだ。

しかし不思議な事にこう言った神社に行くと、高次元の存在を感じて暖かい気持ちになる人もいれば、逆に浮遊霊が沢山いるから嫌だと感じる人もいる。
同じ神社なのに。どちらも霊的に感じやすい人達だ。
そう言うのを感じない人から見れば、どっちかが嘘をついてる?と考えるかもしれない。

しかしそうではない。これも人間特有の癖で情報の壁の中で考えてしまうから正解が分からなくなる。
天国も地獄も神も悪魔もどこにあると言うものでは無く、我々の中にあるとも言える。
つまり、その神社には高次元の存在もいれば浮遊霊も沢山いる。ただ、そこに来る人がどちらに波長を合わせるのか、チャンネルをどこに合わせるかの違いだけなのだ。

神社は昔の人が、そこで神様と繋がりやすいと感じられたからこそ、その場所に建てられた。
つまりパワースポットである事は間違いないし、低級霊と言うのもやはり苦しいから低級霊であり、少しでもエネルギー的に高い所にいきたいと引き寄せられるのも自然な事だろう。だからパワースポットに低次元から高次元まで様々なアチラの方々が集まっていても何もおかしな事ではない。

ただ、人によっては低級霊は「嫌だ」と、そこに嫌悪が強くなるから余計に低級霊を見やすくなる、繋がりやすくなるのだ。
低級霊達も「自分達の苦しさを理解されたい」と言う思いがある。そこは嫌悪に偏った時の我々の「理解されていない」と言う満たされない思いと同じだ。そこに波長が合ってしまい余計に縁付いてしまう。

私自身ここに気付けたのはカウンセリングを勉強するようになってからなのだが。今から思い返すと自分自身、嫌な霊体験が集中していた時期と言うのは嫌悪が強かった。嫌な感じのする森を避けたりしていた。同じ場所を何も感じずに平気でいられる普通の人がうらやましく思えた。

しかし心について色々勉強するようになって、自分の中の嫌悪と向き合うようになって楽になると、嫌だったはずの同じ森で、妖精がいる事に気付けるようになった。自然の精霊達、神々も変わらずそこにいる事に気付けるようになった。
そしてイイ神秘体験が続いている時は、自分自身も満たされた気持でいる事が多い事に気付いた。
そこから失礼だとは思いながらも自分の周りのあやしひ人達の様子を客観的に見ていくと、やはり低級霊を見てしまう人は嫌悪や孤独が強い傾向にあり、天使や神々と繋がりやすい人は満たされた気持でいる人が多い事がよく分かってきた。結局これはそれを感じる人自身の問題なんだなと、あらためて考えさせられた。

つまり似た要素が惹きあうと言うのは、生きている人間の間だけに限らず魂の領域においても同じだと解釈する事が出来る。悲しい時や寂しい時は、悲しい霊や寂しい霊、嫌悪の強い時は嫌悪の強い霊と繋がりやすい。逆に前向きで心が満たされている人で霊的に敏感な人は、天使や神々を見かける事が多いのが分かる。
ただ嫌悪が極端に強いのに天使や神々をよく見ると言う人は、低級霊が天使に化けているのを見てるだけと言う可能性もある。
だからアチラの世界は「心」の目線で理解する事が重要であり、その為に、この話に至る前に「浄化編」において、「嫌悪」「孤独」「不安」と言った要素について繰り返しその浄化の大切さを書いてきたのだ。

それを踏まえて、今回この霊的理解編では、霊的存在達を中心に語る。この霊的な話だけでもかなりボリュームがあるので、今回は霊的な話題のみに集中しておく。特に霊的なものに興味のある人、霊的パワーを身につけたいと考えている人なんかは、高次に化けた低次の存在等に騙されないよう、よく読んでもらった方がイイ。

逆に霊的なものは怖い、苦手、霊感なんか欲しくないと言う人には必要のない話だ。この回を飛ばして、最終回を読まれても大丈夫だ。

次回、魂的理解編では、輪廻を含めた死後の世界、高次元、宇宙について語る。

次元の狭間

人は死んだらアチラの世界に行く。いわゆる死後の世界だ。しかしそのアチラの世界に入れず、この世とあの世の次元の狭間を彷徨い続ける者もいる。つまり成仏できない状態、不成仏霊や幽霊と呼ばれる皆様方だ。
アチラの世界については、次回語るとして、今回はこのアチラの世界に行き損ねた幽霊の御方々の事について理解を深めていく。

この成仏できない霊達が彷徨っている次元、ここでは仮に「次元の狭間」と呼ぶ。
この「次元の狭間」は比較的この物質次元に近く、成仏出来ない幽霊の方々は、この領域において迷い苦しみどうしてよいのか分からず延々と漂い続けている。

この存在達は心の状態で言えば「嫌悪」、「孤独」、「不安」が極度に強い状態と言える。
人に対する怒りや、愛されていないと言う恐怖、そういったこの世に対する執着、囚われがある為にうまくこの世から離れる事が出来ずに、この次元の狭間に取り残されてしまう。
その苦しい(嫌悪)、寂しい(孤独)、と言った状況を誰かに気付いて欲しくて、似たような思いを抱えている人間がいると、この人ならわかってもらえるかもしれないと感じて近づいてくる。さらにそこで波長が合うと「私に気付いて!」と霊障を起こしてくる。時には事故を起こして引き込もうとする。それに巻き込まれて死んでしまう人もいる。

それで死んだら、引き込んだ本人と仲良くなって寂しく無くなるのかと言うと、どーもそうではない様だ。
成仏できない霊同士で仲良く楽しく暮らしてる話は聞いた事が無い。そんな事が出来たら、わざわざ新たに生きてる人間を次々と引き込む必要もないだろうし、さっさと成仏も出来るだろう。

これも「心」を基準にして考えるとよく分かる。我々生きてる人間でも何らかの思いに囚われた時、その事が頭の中をグルグルまわって他に何も考えられなくなるだろう。あのグルグル状態で亡くなると、成仏できずに次元の狭間で延々とグルグル状態が続くと考えると分かりやすい。

つまりそう言った霊障で引き込まれてしまう人と言うのも、その霊障を起こす霊達の心の状態と、すでに近い心の状態の人が引き込まれる。特に嫌悪や孤独に心が偏っている状態の時だ。亡くなった後もみな意識が延々と自分の事の苦しみや悲しみでグルグルしている状態で固定されているので、自分が死んだと言う事も隣に自分を引き込んだ霊がいても気付く事すら難しい。気持ちの切り替えそのものが出来ない様な状態だ。

生きている間は、心の動きに「時間」と言う変化も関わってくるために心にも変化を起こせる可能性があるが、果たして死んだ後の心にもコチラの世と同様の「時間」と言う概念が通用するのかどうか。それを考えると、この次元の狭間に堕ちて動けなくなる状態がどういうものか想像できるだろう。
ちょうど延々と何かに追われてる夢の中で、なかなか自分で「これが夢だ」とは気付けない様な状態だ。

だから残された人間が、亡くなった人に対して思いを込めて供養する。どうか成仏して下さいと。そうする事で追われている夢の中に変化が起こる。誰かに呼ばれた様な気がする。残された者の供養の想いが灯りとなってともり、その灯りに運よく気付けると、グルグル状態だった心の中に時間の変化が起こる。「なにやらあっちの方が明るいぞ」と行ってみようと。それでうまくいけばようやく幽霊さんはアチラの世界へ旅立てる。成仏できるわけだ。

もちろん通常は、そんな狭間に引っ掛からずにスムーズに成仏するのが普通だ。何らかの特別な思い、この世に対する大きな未練を残した時に次元の狭間に引っ掛かる事がある。
あと、自分が死んだ事に気付けずにこの次元の狭間に堕ちてしまう霊もいる。
これは生きている間「死んだら無になる」と言う概念に頑固に囚われている状態で亡くなると、死んだ直後も生前の様にこの物質世界が見えてしまう為(この世に意識が囚われている為)に、なかなかそこから次元の移動(成仏)へと動く事が出来ない事があるのだ。
なので、一つの概念にしがみつかず臨機応変に自分が間違っているかもしれないと、いつでも柔軟に考え直しの出来る人ほどアチラの世界は楽とも言える。もちろんこの記事自体にも囚われすぎない事が大切だ。

なぜ幽霊の皆様方と縁付くのか

さて、そんな幽霊の皆様方にとり憑かれたりするのは、御遠慮させて頂きたいところだ。しかしそれでも憑かれてしまう事はある。そんな時どうするか。多くの人はお祓いに行くしかないのでは?と考えるだろう。
しかし困った事に、何かに憑かれてお祓いに行く人は、お祓いに行っても、また似た様なのに憑かれてお祓いに行く事を繰り返す事が多い。これは何故なのか。

1つは、そう言ったものを感じやすい人が、憑かれる事が多いと言う点。
そりゃ、気分も悪くなって何かの霊の気配を感じられたら不安になって仕方がないだろう。でも逆に言えば感じにくい人は憑かれても気付かないし、そのまま平気でいたりする。この点も一つ覚えておいて欲しい。

2つ目は、憑かれる人が、霊達と波長が合いやすいと言う事。
アチラの方々を見てしまうと言うのは、自分の中にもアチラの方々と似た要素をどこかに持っていると言える。つまり「心」の状態が、霊達の「心」の状態と近いと言う事だ。寂しい霊は寂しい人に、怒りを抱えている霊は怒りを抱えている人に、それぞれ波長が合いやすい。「霊能者に助けて欲しい」と言う思いも、自分を助けて欲しいと願う霊達と波長が合いやすい為に状況を繰すと言う見方も出来る。
心応理学講座
では、どうすれば憑かれなくなるのか。一言で言えば「嫌悪」「孤独」「不安」の領域に偏らない事、それらの領域での事象に「囚われ」すぎない事だ。
明るい気持ちで気にしなければ、特に「嫌悪」「孤独」と言った領域で苦しむ事が無ければ、まず大丈夫だ。
何だか投げやりに聞こえる書き方かもしれないが、経験から言ってそうだったので仕方がない。

霊達の立場で考えてみるとイイ。苦しい時にわざわざ元気で幸せそうで無神経そうなお気楽な人に相談したい、すがりたいとは思わないだろう。
同時こう言った霊現象、特に幽霊とか、そういった「怖い」と感じるものに「興味」を持たない事も大切だ。
何だか私が書くとホント、サイトのカラー上、矛盾してる様に聞こえるが、同じ霊でも天使であるとか妖精であるとか、そう言った存在に興味を持つぐらいならまだイイとは思う。
特に「怖い」と感じる存在にワザワザ興味を持つ事は、やめた方がイイと言いたいのだ。

あと、そう言ったアチラの方に憑かれると言うより、縁のある霊に頼られると言う事もある。自分の先祖の方々、いわゆる因縁霊と言われる皆様方だ。
先祖供養は確かに大切だ。でも御先祖さんも一人一人に対応しだすといくらでも頼られる。先祖供養をとことん勧める宗派もあるが、私自身は、もう「私に縁あるご先祖様達」のひとくくりでしっかり手を合わすのみにしている。

ご先祖様であっても生きてる人間に頼ろうとする時点で、嫌悪や孤独、不安と言った要素に囚われている事がわかる。つまりこちらの意識に嫌悪や孤独、不安が無ければ頼り様がないし、いちいち霊障を起こす事も難しい。多くの因縁霊による霊障も、その人の心が嫌悪や孤独に強く偏った時に同時に起こってくる。波長が合ってしまう事で起こってくるのだ。

それが霊障なのか、カルマなのか、運気なのか、いちいち考える前に、その事象に囚われない嫌悪しない形で自分の意識をシフトさせるのが手っ取り早い。
なんだかご先祖さんは放っておけばイイ的な感じに聞こえるかもしれないが、そうではない。必要以上に悪い出来事を、先祖供養が出来てないから?とか繋げて不安にならず、普段からご先祖さんに対しての感謝だけしっかりしておきつつ、自分自身が嫌悪や孤独や不安に偏らなければ、そうそう霊障等に悩まされる様な事は起こってこないと言う事だ。

ちょっと話はそれるが、私個人はまだ確信は得られないが、先祖供養と言うのは自分自身の前世供養でもあるのかなと感じている。
結構、家系と言うのは、それなりに縁があるから、その家に生まれてくるとも言えるので、先祖をたどれば何度かその家系に生まれていたと言う事もあるんじゃないかと思う。そう考えるとちょっと感謝の気持ちも向けやすくなるんじゃないだろうか。