WEB講座5.魂的理解

心から見るアチラの世界

囚われと死後と輪廻転生

心応理学講座

前回はアチラの世界でも、特に霊的な現象、成仏できない霊達の次元「次元の狭間」で起こる怪しひ事象を中心に語った。
今回は問題無く成仏できた場合に行く世界「アチラの世界」の話が中心になる。
「心」の目線で見ていくと、死後の世界も理解しやすくなる。

霊的な存在同士においても似た要素が惹きあう話を前回したが、これは魂レベルでの話なので、当然死後も似た要素が惹きあうと言える。
この要素とは言い方を変えれば「囚われ」だ。嫌悪も孤独も不安も、心が特定の状態に囚われる事によって引き起こされる。

死後はその囚われがさらに剥き出しになり、遮るモノの無い魂の世界だけに、さらに似た囚われを持つ者同士が惹かれ合う。
嫌悪の強い魂は、嫌悪の強い魂同士で惹かれあい争いを繰り返す。そこがいつしか地獄と呼ばれるようになる。
利他的な魂は、利他的な魂同士で惹かれあって、そこがいつしか天国と呼ばれるようになるのだ。

この人間界の中でもそうだ。優しい人は自然と優しい人同士で縁が深まりグループが出来る。利己的な人は利己的な人と縁が深まりグループが出来る。
そんな引き寄せが、あの世ではもっと極端に起こると思えばイイだろう。

もちろん実際には、そこに鬼がいたり天使がいたり神様がいたりと複雑だが、そこまで語りだすと話の目的から外れるので現時点ではアチラの世界も似た要素が惹きあう世界だと理解しておいてもらいたい。

死後の世界をこの「囚われ」と言う視点から整理してみたのが下の図だ。

心応理学講座

死後の流れ

では、死後の流れを順に追ってみよう。上記の図中を見てもらいたい。
①の人間界で亡くなった後、普通は②に進む。いわゆる成仏と言う形でアチラの世に入る。たまに成仏できない魂もある。それは前回話した⑧の「次元の狭間」で動けなくなる状態だ。

問題無く成仏して②に入ると、いわゆる「三途の川」が出てくる。必ず川だとは限らず宗派によってもその表現は違うし、臨死体験者によってもニュアンスは違うが、何かを「渡る」と言う表現は共通している様だ。コチラとアチラの世界の境界を渡る段階だと考えると近いだろう。
よく罪の重い人は足が重くて川を渡れないなど表現されるが、「罪」も罪悪感と言う心の囚われで魂が重くなると思えば分かりやすい。

つまりこの②の段階は、「情報の壁」が取れて、自分自身の潜在レベルでの囚われが段々剥き出しになってくる段階だと考えればイイ。
そして生前を映す鏡を見る。これも臨死体験者によって表現は違うが、生きてきた人生を走馬灯の様に振り返ると言う点は共通している。それによってこれからどう言う次元に入るか決められる様な段階だ。
これは「情報の壁」がほとんど取れて己の囚われが完全に剥き出しになった段階と言えよう。

③では、抱えている囚われに見合った次元に入っていく。実際は天国の様な次元、地獄の様な次元は確かに色々ある。それら一つ一つがどんな世界かと興味のそそられやすい所ではあるのだが、それもまた沢山の魂によって作られた一つのイメージの次元に過ぎず、ある意味囚われでもあるので、ここでは具体的に書くつもりはない(何故イメージの次元だと‥そこまで言い切れるのかは後ほど説明する)。

ただ、あえて少し書くと、例えば宗教に入っている方にとっては、たしかにその宗派ごとに見合った天国や地獄があったりする。しかしこれはある意味、その宗派の魂たちが作り上げた天国地獄のイメージの次元と言っても過言ではない。
つまり今の信徒さん達同士のグループで死後一緒に集まって、そこを天国と呼んでいるのと同じ事だ。
なので今の信徒さん同士で「ああ死んでもこの人達とずっとこんな感じで一緒にいれたら幸せだ」と本当に感じれるのなら、どんどん信仰に励んでその天界に入ればいい。この世とは違い他の宗派の何者にも邪魔される事も無いのだから、まさに天国だ。
逆にもし「ええ?死んでも、この人達と一緒?ちょっとイヤ~」と思うのなら、ちょっと考え直した方がイイかも知れない。

そう言う意味で、アチラの世界を一言で言ってしまえば、似た魂が惹きあって成り立つ各次元が、そこにあると考えれば一番分かりやすい。
利他的な魂同士が惹かれあって天国が生じ、利己的な魂が惹かれあって地獄が生じる。同時にアチラの世界は、コチラの世界と違い、似ていない魂同士で接触する事は結構難しい次元の様だ。
だから死んで天国に行きたいと思うなら、天国があると考えるのではなく、自分の分身達が待ってる世界があると想像すればいい。それがちょっとイヤって感じる世界なら、生きてるうちに自分の分身達の世界に行きたいと思える様な自分になっておく事をお勧めする。

そんな天界(?)に入った後、多くの魂は、そこに永住できると言う感じでも無く、またコチラの世に転生してくる。④の段階だ。
何らかの目的、テーマを持って転生してくる。それはある意味、人間的囚われが残っている為に再び人間に転生してくると言えるのかもしれない。
もちろんその人の波長が人間界よりも天界の方が近ければ、その天界に残って、天使になったり高次の存在になったりする様な事もあるだろう。

輪廻の流れ

通常は先ほど書いた様に①>②>③>④を繰り返している人が多い。
私の場合、最近の生に限って言えば、前世で亡くなってから数カ月から数年ですぐに転生していた。ただ、生まれる前に「死んでる暇はない」と考えていた様なので誰でもそうなのかは分からない。
お客さんの中では、数年で転生してる人もいれば、数百年もの間⑧で彷徨い続けて、ようやく②からの流れに戻って転生する人もいた。
これはこの世に対する未練が強かったり、なかなか自分が死んでる事に気付けなかったりする場合⑧で留まってしまう事がある様だ。

ただ、よく自分の先祖が守護霊につくなんて話も聞くと思うが、先祖が守護霊だったら、その先祖の人は転生したりしないんだろうか?と不思議に思わないだろうか。
私自身、自分を守護してくれている存在に「あなたは誰ですか?」と聞くと「前世のオマエだ」と言われて、「どう言う事だろう??」と考えさせられた事もあった。
また、どーも同じ時代、同じ時期に別々の前世を持つ人もたまにいる。私自身、重なっている様に感じる前世がある。
前世で亡くなった時期が、今世で生まれる時期より後の様な記憶を思い出す人もいた。まぁ、あまりイメージが正確ではないだけだろうと気にはしていなかった。

しかし、そもそもそれらのつじつまを合わせようとする事自体が間違っているのかもしれない。生きてる人間は、こう言う事でさえ、どうしても理解しやすい様に人間的概念でムリに解釈しようとしやすい。
この世とあの世と次元からして違うのだから、時間の流れが違うのは当たり前と言えば当たり前だ。
前世も「過去の魂の記憶」として解釈しているが、もしかすると「過去」とは限らないかもしれない。アチラの世とは時間軸も違うんだから、前世が未来の地球だなんて事もあるかもしれないのだ。
なので明確には答えは出せないが、多くの魂の時間の流れの矛盾は、そう言う事があってもおかしくは無いと言う程度に考えておく事が無難だろう。

それよりも大切な事は、何故我々はここまで輪廻を繰り返すのかと言う点だ。
これは一言で言えば、自分に対する囚われを落とす為に輪廻を繰り返していると私は捉えている。
お客さんの前世を見ていても、もうそのほとんどが似た前世の繰り返しだ。いつまで続けるんだろうと怖くなるくらい繰り返している。
多分、この世の全ての人が、前世の記憶を保てるようになったら、みんな修業を始めて輪廻からの脱却を求めるだろう。それほど前世は知れば知るほど、その繰り返しにどうんざりする。

しかし、かと言って私はムリに前世を思い出す様にする必要もないとは思っている。
それはその人が何度も失敗を繰り返し生まれ変わる度に忘れるものの、魂レベルではしっかり根付いていくものもあるからだ。その積み重ねにより少しずつ魂は成長している。

そしてある程度成長すると、次は輪廻はするもののどこか違う惑星や宇宙、違う次元に転生するのかもしれない。そこではもしかすると輪廻の記憶を持ち越す事が普通の世界かもしれない。
そんな風に、それなりにその魂に見合った次元に転生すると私は考えてる。
地球の人間として生まれてきたという事は、当たり前だが魂のレベルが地球の人間レベルだと言う事だ。
前世を思い出す事以上に、自分の魂のレベルを認識しておく事も大事だろう。

人間界を振り返る

これまでの話で、理解されてきているとは思うが、人間と言うのは親子関係において非常に大きなネックを抱えている。あらゆる「囚われ」の原因要素が幼少期の親子関係から生じてしまう。それが輪廻を超えても引きずってしまう。

親がいなければ一人で生きていく事が出来ないと言う恐怖を最初に植えつけられてしまう社会になっている為に、その恐怖から逃れようとして「嫌悪」「孤独」「不安」の領域に偏ってしまいやすい。
これは逆に言えば親子関係の大切さ、親子の愛情と言うものを学ばされていると解釈すれば聞こえはいいが、同時に親子の愛情に囚われてしまっている為に、人間界での転生から逃れられないとも言える。

ここで、ちょっとあらためて宇宙人の前世の記憶が出た時の話を簡単に書きたい。
なんで急に宇宙人?と不思議に思うかもしれないが、この宇宙人の話からあらためて人間界の事で色々気付かされる事も沢山あったのでエリアシフトにも取り入れたかった。

宇宙人と書くと、これまた霊的な怪しさとはまた一味違う怪しさがそこにあり胡散臭さを感じさせるかもしれないが、この記事をここまで読んできてしまった時点で充分胡散臭いので、そのままあきらめて読み進めていただきたい。

霊は特に日本ではその情報は昔からあり、ある意味なじみ深い。しかし宇宙人については、様々な宇宙人に侵略される映画の影響もあり、イメージ的にイイ部分悪い部分に別れる。
ここで持ち出す話は、よい宇宙人の方の話になる。外見的には人間と変わらない。ただ住んでるのが地球ではなく遠い惑星で、しかも今から何万年も昔の時代の情報になる。

これは多くの人の魂が地球で誕生する以前は、また別の違う惑星で転生していた可能性を指している。ただ私の前世の記憶で出てきた宇宙人の前世では、明らかに今の人間の文明より精神的にも科学的にも進んでおり、自分は地球に転生して退化してしまったのかと考えさせられる記憶だった。
その時の体験話は、別記事「宇宙人の記憶」で詳しく書いてるので、そちらを参照して欲しい。

ここでは、その宇宙人の惑星の生活が地球とかけ離れて、とても高度な文明社会であり、かつ、とても快適だったのが特徴的なので、その地球との違いの特に気になった部分3つを書いてみる。

1.害をなす生命がいない
最初にその違いに気付いたのは、その惑星の草原らしき場所へ行った時、草原の様な場所としては感じられたのだが、地球の草原とは何かが大きく違う。その違いに意識を向けてみると、どーも害虫とか、そう言った害をなす生命が一切いない無菌の世界だったのだ。なので、その惑星では、まず病気が無いし、災害も起こらない。寿命も非常に長寿命で、外観的には20代ぐらいなのに、実際は何百歳何千歳って感じがした。
2.一緒に暮さない家族関係(人工授精)
これが一番驚いたのだが、子供時代にさかのぼっても親と過ごしている場面が一切出てこない。親としての存在は感じられるが、生まれた時から一緒に暮らす事もなく、その惑星の全ての人々がそれぞれ一人で生きてきている感じだ。
おそらく地球で言う人工授精の様な形なんだとは思う。これによって自分の家族と他人と言う区別が生じない。その惑星の人々全体が家族の様な価値観を感じられた。
また恋人らしき存在も感じられたが、その相手もパートナーとして既に決められている人の様だった。なので別れるとか浮気とか、そんな概念自体が無く嫉妬や相手に執着する様な感情も感じられなかった。ただ生きていく上でのパートナーと言う感じだ。
そう言う意味では人間関係において非常に気持ち的に安心感に満たされ不安が何も感じられなかった。
3.感情が薄い
不満が生じない事に比例して満足も生じないのか、わりと淡々とした雰囲気で感情が薄い感じだった。
私は言われるまで気付かなかったのだが、似た様な宇宙人の前世を思い出したお客さんの話では、誰とでも心が通じ合ってる安心感があるので、わざわざ感情を出す必要自体が無いと言っていた。
確かに心はすごく通じてる感じがあったので、テレパシーで通じる世界なら喋る事も感情を表現する必要もないのかもしれない。

他にも特徴的な部分は色々あったのだが、特に気になったのは上記の三点だ。
さて、なぜそんな宇宙人の話をここで持ってきたのかと言うと、別にこの宇宙人の世界が実在するのかどうかは、ここでは問題では無い。
上記の価値観の特徴と、今の人間社会を比べてみた時に感じられるその違いから、色々な気付きが得られる点が重要なのだ。

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特に気になったのは、その世界では人は親に育てられていない点だ。なので自分の親と他人を区別する概念がほとんどない。この為「グループ」を成す概念が生じないのだと思う。だから敵味方と言う概念もなく、人間関係に悩む原因そのものも起こらないのだろう。

私はこれまで、どう言う親子関係が理想的なのかと言う部分で、納得いく答えがなかなか得られなかった。
しかし、この前世を見てから、これは親子関係以前に、誰もが生まれた時から安心して大人になれる環境を確立する事の方が重要なのではと思えてきた。

この人間界では、親が子を育てる。でないと子供は生きていけない社会だからだ。この為、自分の家族と他人との間に愛し方に差が生じる。家族と言う「グループ」が出来てしまう。

そこから敵、味方と言う概念、愛している、愛していないと言う概念、あらゆる心地良さ、心地悪さと言う概念が生じて、「嫌悪」や「孤独」が生じる。あらゆる「囚われ」も大きくなる。
それらの感情の裏には罪悪感も生じる様になる。そう言うカルマも生じる。消化されないカルマは、惑星全体にも影響し、あらゆる災害にも通じているのかもしれない。魂も囚われを背負うようになると、そこからその囚われを取っていくのは難しく、この惑星で輪廻する様になったのかもしれない。

人間の言う「愛情」とは「愛」と「情」だ。純粋な「愛」とは違う。そのベースが特に幼少期に身につく。親に愛されないと生きていけないと言う概念を、「愛情」を学ばされる。

目の前で自分の子供と他人の子供が溺れていたら、多くの人は自分の子供をまず助けたいと感じる。これが「愛情」だ。愛し方に差が生じているのだ。これが人間世界とも言える。
人間社会においては「愛情」は大切だが、人間社会よりもっと高次な次元に行くと「愛情」よりも純粋な「愛」がベースの世界になっていく。自分の子供であろうと他人の子供であろうと気持ちに差を作らない世界だ。
先ほどの宇宙人の惑星も、そういう意味で、この地球よりは精神的に進化している世界なのだろう。

ただ実は、この宇宙人の前世を見てから色々考えさせられたのだが、人の魂は本当に最初から進化してきたのかと。この宇宙人の世界も何万年も昔の話だ。もしかするとこの宇宙人の世界に行きつくもっと前は、さらにもっと高次だった可能性もあるんじゃないかと。ある意味我々の魂は堕天使の様に「囚われ」が生じる事で堕ちてきた、分裂した魂なのではないかと。

なので魂の進化と言うよりは、元いた完全な状態に帰る事を目指しているのではと。そう考えた時、私は無宗教ではあるが、旧約聖書に出てくるアダムとイブの話やギリシャ神話や日本神話にしても、そこに囚われが生じる過程として見ると妙に重なるモノが感じられて仕方がない。
しかしそこまで語りだすとまたエリアシフトの話から大きくそれるので、そこに何かを感じる人はそれぞれで感じてもらうとして、ここでは次に話を進めよう。

天界

人間界は愛に差を作ってしまう世界だ。
そして先ほどの宇宙人の様な愛に差を作らない世界、これは私の中では天界のイメージに近い。
天界と言うのは、ここでは大まかに死んだあとに行く次元だととらえてもらえればいい。
元々、私が前世の記憶に気付けたのも、友人とこの天界での記憶を共有していた事に気付いたのがきっかけだった。
この天界と言う次元も様々な領域がある様で、簡単に「天界」と言う概念ではくくれない。

ちなみに私の記憶の中での天界だが、あらためてヒプノでも探っていったのだが、まぁひたすら会議をしていたと言う記憶が大半で、人間的に想像できる様な、そんなにすんごく楽しいって感じの印象が無い。
いや、人間界に比べると全然楽な世界と言うのは確かだが、それは人間界と言う比べる対象があるからそう感じるだけであって、天界に長く居座ると「苦しみ」もほとんどないが「楽しみ」と感じる事もそんなに無い。

これはつまり「楽しみ」と言うのは「苦しみ」があるから「楽しみ」と感じられるからだろう。
「苦しみ」が無ければ「楽しみ」を「楽しみ」だと気付く事が出来ない。
普段の生活で酸素を吸ってる事に「楽しみ」を感じられる人はいないだろう。しかし沈没する船に閉じ込められて、残り少ない酸素に苦しむ人は、地上に出て酸素を吸う事に幸せを感じられる。
同じ様に天界も長くいると「幸せ」を感じられなくなる。と言うより「楽しむ」事への関心が無くなる。
だから好んで会議ばかりしてたのだと思う。

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会議と言うのは主にコチラの世界、人間界についての会議だった。同じ様に天界の記憶を持つ人の話では、人間界の「この人とこの人をこのタイミングで出合わせると社会がこう動く」なんて事を打ち合わせながら人間を動かす仕事をしていたと言う人もいた。まさに神々のチェスの駒みたいだ。

今この記事を読んでいる貴方も、もしかすると天に動かされて、この記事を読んでるのかもしれない。
うちのお客さんもそんな感じの人がとても多い。私も「なんでこうしなきゃなんないの」と思いつつ動いてる事はしょっちゅうだ。この記事を書いてる事自体もその一つだ。

さて、人間的な感覚で言えば、天界に行ったらそこでずっと幸せに暮らせるのかなと考えたいところだが、ここは、ちょっと微妙な所だ。
仏教で言う六道輪廻には、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天」と人間より上に「天」と言う次元が表されている。つまり「天」も、まだ輪廻の中と捉える事が出来る。

宗教的な理論や解釈に関しては、そもそも興味が無いので詳しくはないが、自分は解脱と言うのは「自我」が無くなった状態だと解釈している。
つまり「自我」がある限り、自分というものの存在に対する囚われがあり、その囚われがある限り、心が揺れる可能性がある。心が揺れる可能性があると言う事は、そこに何らかのカルマが生じる可能性があると言う事でもあり、何らかのカルマが生じる可能性があると言う事は、六道輪廻の中のどの世界に移る可能性も持ち合わせているものとも解釈できる。
何が言いたいのかと言うと、先ほどの天界に移動できたとしても、そこからまたいつでも人間界に堕ちてくる可能性もあると言う事だ。

よく天使が、人間に恋をして堕ちてくる・・なんて昔話もある。これも天使であっても「恋をする」と言う時点で「異性に執着する感情」が生じたと「自分への囚われも大きくなった」と解釈できる。
同時にその時点で心の領域が、天界のその次元より、人間界の次元の方が近い為に、天界を離れ、人間界に堕ちてくる・・と言う風に解釈する事ができる。人間界から見れば「愛する人の為に身を犠牲にして堕ちてきたのね!(涙)」と美しい話になりもするが、天使達のアチラの世界から見れば「あちゃ~(汗)」の話かもしれないと言う事だ。
先ほどの天界で人間を観察して操る仕事にしても、もしかするとそれに夢中になってしまった、人間界への興味が大きくなって囚われてしまったが為に、その人自身、人間界に堕ちてきたと捉える事も出来る。

ヒプノのお客さんでも、そう言った天使だったり、高次元の存在だった記憶を思い出す人もたまにいる。多くは「興味」であったり「情」と言った囚われに引っ張られて堕ちてしまう人が多い。たまに使命を持って堕ちてくる人もいるが、その凄まじい囚われに満ちたこの人間界に溺れて、コチラの世界で転生する様になってしまった人も多い。

様々な理由は考えられるにせよ、どれも「自我が強くなる」事によって堕ちてくる可能性があると言う意味では、確かに天界も六道輪廻の中と解釈できる。
もちろん我々、生きてる人間に考えられる領域にも限界があるので、天界ももっと沢山のレベルがあり、もっと高い次元の天界であれば、ある意味輪廻から外れているとも言えそうな次元まで繋がっているのかもしれないが、その辺りはさすがに私も生きているうちは確かめられないので、それぞれで亡くなった後に確認してみて欲しい。

天界の住人が、人間を助けたりサポートしたりするのも、そうする事によって、ある意味彼らもその天界に居続けられると言う部分もあるのかもしれない。
人間的に考えると、なんで天使や神々は、こんな愚かな人間をサポートしようとしてくれるのだろうと考えるかもしれないが、それだけ「利他的」だからこそ彼らも天界の住人として、そこに存在し続けられると言う捉え方も出来る。

つまり何度も書くが、アチラの世界も似た心の領域の魂が惹かれあう次元で成り立っており、天界も利他的な心の領域の魂が集まっているからこそ天界であるとも言えるのだろう。