嫌悪領域

理解されていないと言う潜在的孤独感から、相手に対する怒りや憎しみの感情に支配されやすい心の領域。

絶対にやってはいけない事

呪いは、来世を狂わせる

結論的な事を、最初に書いておきたい。
来世も含めて幸せになるために、絶対にやってはいけない事。それは人を呪うことだ。
特に「丑の刻参り」だけは絶対にやってはいけない。
やるとどうなるのか・・。また相手が憎い、許せない時、どうすればイイのか。今回はそんな話だ。

そもそも、何故こんな話を今回書くのか。正直言って、こんな怖い話は書きたくない。関わりたくないのが私の本音だ!
しかし今とても苦しい、なんで私だけこんな目に?と思うほど不運が続いていると言うお客さんや、友人知人が、たまにいる。そんな人達を見ていて一つの共通項が見つかった。
それが前世で「丑の刻参り」をしていたと言う共通点なのだ。恐ろしい。。。

しかし、そんな前世は、前世療法では直接的には出にくい。なぜなら本人もそんな前世認めたくないだろう。当然、潜在的にブロックがかかってしまう。また同時に、こういった原因となる前世は、ある程度、カルマと言ったものを受け入れられる人でないと出にくい前世とも言える。好んで自ら自分の罪深い前世を見たがる人は、なかなかいないからだ。
でも本当は、そういったの前世を見て認めて懺悔する事が、人生の流れを変える一番の近道ではあるのだ。

まずは、これらの事に気付いた出来事から語ろうと思う。

~例1~

ここからの例としての各話は、本人が誰にも特定されない様に、具体的な部分は避けて、別の近い曖昧な表現に変えて書いている。そして見えてきた前世のビジョンのみ正確に書いているので、ご了承いただきたい。

ある時、お客さんに、こんな人がいた。仮にAさんとする。
Aさんは、とにかく自分の人生が、いつもうまくいかない。たえず周りの人が嫌いな人ばかりで、憎くて、許せなくて、ずっと不運に悩まされていて、何でこんなに苦しい人生なのかと、自分の周りは、自分を苦しめようとする人しか現れないと、その理由を知りたくて、グループワークで前世を確かめたいと言う方だった。

前世を見てみると、やはり自分が身分の高い位で、私利私欲の為に多くの部下を苦しめていた前世が見えてきたそうだ。
だから今世では、逆に周りに苦しめられるのかと納得されていた。

しかし実は私の中では、このAさんに対して、会った時から、ずっと別のビジョンが出てきていた。
それはAさんが、前世で誰かに呪いをかけているビジョンだった。
どーも呪術師の様な仕事をしていて、相談者から請け負っては呪術的な儀式を行ってる様なイメージだった。

もちろんこのビジョンの事は、本人には言ってない。他のお客さんも居た事だし、私もそのビジョンに確信が持てなかったし、当時は、それほど重要な意味を持っているとは、思っていなかった。
それに何よりこう言った前世は、その人自身が自分で見て、気付くべき事だと思っていたからだ。

ちなみに、いつも言ってる事だが、これらのビジョンは、私がその人を霊視したとか、そう言うのではない。
おそらくその人と会った時の前世の記憶を、私自身が思い出して見ているだけだと、私自身は解釈している。

さて、そんな事もあるんだなと、その時は、そのくらいにしか思っていなかった。

~例2~

しかしまた似たような事があった。
ある時、昔の友人が遊びに訪ねてきた。仮にその友人をBさんとする。
Bさんも、またもうどうしようもないほど、苦しい人生を送ってる人だった。何度も自殺未遂をしており、カウンセリングにも通っていた。昔の仲良かった頃は、そんな話一度も聞いたことが無かったので、意外でちょっと驚いた。

聞けば、幼い頃から、親にずっと虐待され、今も続いていると。ずっと精神的苦痛を与えられていると。
体も原因不明の病で、絶えず具合を悪くしており、確かに話を聞いていても、何でこの人は、ここまでトラブルに巻き込まれるのだろうと、感心してしまうほどで、気の毒でしかたなかった。
もちろんヒプノセラピーを薦めたが、抵抗感もあるようで、受けようとはしなかった。
無理に受けさせる事も出来ないので、私はただ、Bさんの話を聞くだけにとどめていた。

しかし、ふと代わりに私が、そのBさんの前世を見れないものかと考えた。正確には、Bさんの前世を見るというより、そのBさんと会ってた時の私の前世の記憶を思い出す形で、自分を誘導してみた。グループワークで、やっている「リンク誘導」の要領だ。

すると詳しく見る前に、急にドン!と、これまた前世のBさんが、丑の刻参りをしているビジョンが、いきなり出てきたのだ。
ちょっとビックリしたが、もう少し詳しく見てみると、そのBさんが呪っている相手は、恋敵の様で、その恋敵が今世の、そのBさんの親だったのだ。これはもう怨恨の縁として、似たような関係を繰り返しているかもしれない。

ちょっと怖かったので、もう途中で見るのをやめた。
もちろんこのビジョンも、Bさんには伝えていない。「前世で人を呪ってたでしょ?」なんて言える訳がない。

ここで私は、最初のAさんの話を思い出した。
Aさんと、Bさんと、二人に共通してるのは、今世で非常に苦しい人生を送っており、それが親や周りの人間に苦しめられる形で、今世でも周りの人を憎んでいる、強く嫌悪している部分が同じだった。
人を呪わば穴二つと言うが、これは来世にも影響すると言う事なのか。

~例3~

そこで私の中には、また別でもう一人、似たような人生を送っている人が、過去にいた事を思い出した。仮にCさんとしておく。
Cさんも非常に悲観的で、確かに不運を引き寄せてる様な人生を送っており、ウツっぽく長年カウンセリングにも通われていた。
試しに、そのCさんについても、「リンク誘導」の要領で、私が前世を覗いてみる事にした。

するとその前世では、私はお坊さんぽいカッコで、お寺のような所にいた。
ある夜中、森の中を歩いていく女性を見つけて、こんな夜中に何してるんだろうと不審に思い呼び止めた。するとその女性は、どうやらこれから丑の刻参りに行こうとしている所だった。許せない人がいて毎晩参りに来ていたと、泣きながら打ち明けてくれた。
話を聞いて、諭して、参りに行くのはやめさせるような場面だった。

もうこれを見て、私は確信した。
人を呪う事は、来世の自分自身の人生を、呪うことに等しいと。
呪いとまではいかずとも、人の不幸を願ったり恨んだり、憎み続ける事もまた、来世の自分の不幸を願ったり恨んだり、憎み続ける様なものだ。

こう考えるとわかりやすいかもしれない。
人を憎んだり恨んだりと言った感情は、頭では「アイツが悪いから」と正当化することが出来る。しかし潜在意識は理論的ではないので「アイツが悪いから」と言った理屈は刻まれにくく、その「憎しみ」「恨み」の感情だけが、潜在意識に一杯刻まれてしまう。それは潜在意識にとっては「憎らしい」「恨めしい」状態を願っているのと同じなので、また似た状況を引き寄せてしまう・・。あるいは、それらの感情に伴う罪悪感が刻まれ、それを消化しようとして引き寄せるとも解釈できるだろう。
この辺りは、心応理講座の方でも詳しく書いているので省略する。

一応、付け加えておくが、こういった前世は、そう滅多にあるものではない。私も前世でやってらどうしよう?なんて思う必要は普通は無いので安心して欲しい。
ただもし普段から、あの人が憎いとか、許せないとか・・絶えずそんな感情に振り回されている様な人生を送っていると言うのなら、念の為、自分の前世を確認しておいた方がイイかもしれない。

ちなみにちょっと話がそれるが・・。今、気付いたのだが、私が漫画家をやっていた時、「ゆらとふるへ」と言う作品の最終話も丑の刻参りをしていた女性の話だ。あれもさっきの前世の記憶が無意識に引き金となって書いていた話なのかもしれない。
自分の前世を見る様になってから気付いたのだが、漫画や小説などの作品は、かなり無意識に前世の記憶が影響している事が分かる。絵を描くことも潜在意識に直結させやすいので、前世に関わるイメージが出やすい様だ。
たしか昔、友人の娘さんで、いつも血だらけの天使の絵だったかを描いている様な話を聞いた事がある。こういうのも多分、なんらかの前世の記憶を無意識にたどっているのだと思う。きっと前世を見ると、その沸いてくる絵のイメージの理由が分かるだろう。

【懺悔意識が、引き起こす効果】

潜在意識は、私は魂に近い領域として解釈している。つまり、潜在意識に刻まれている感情は、来世に持ち越されて、似た環境を引き寄せやすいと・・。幸せな来世を迎えるには、幸せな心の状態で亡くなる必要があると考えている。

その為には、そう言った「憎しみ」「恨み」はもちろん、満たされない感情は、出きるだけさっさと消化した方がいいだろう。
では、どうすれば消化されるのか。その一つが「懺悔」だ。

無性に怒りが沸いた時や、ある人がどうしようもなく憎くなったり、恨めしくなったり、そんな嫌悪の感情で心が一杯になった時、その相手に対して懺悔するのだ。

そんな事言われて、じゃあ、懺悔してみようって気持ちになる人は、もう聖人だ。
そんな人は、そもそも最初から、怒りが沸いて来る事も無いだろう。
「明らかにアイツの方が悪いのに、何で私が懺悔しなきゃならないの!」と、考えるのが普通だ。

しかし上記の例にもあった様に、自分を苦しめる相手は、前世で自分が苦しめた相手であるケースが多い。
なので本当は、前世で何があったのかを確かめれば一番早く、懺悔もしやすい。
前世を確かめるのが難しければ、気持ちの伴わないままでいいので、繰り返し「ごめんなさい」と唱えてみるだけでもイイ。
頭で分かっていても、そこに心や体、感情が伴ってこないと、なかなか効果は出てこないかもしれないが、無心に続けることで、やがては潜在意識も動いてくるものだ。もしかするとその最中にビジョンとして前世のイメージが浮かんでくる事もあるだろう。
やがて心の深い部分から感情が伴う様になり、消化が進んで色々変化が起こる。

私自身、以前こんな事があった。
家の方の事業で、私の父が依頼していた業者のミスで、取引先のお客さんを、怒らせてしまう事があった。
ちょっと以前からクレーマー気味のお客さんだったし、父自身も嫌悪が強い事もあって、父が直接対応すると余計に揉めそうだと思い、急遽、私が父の代理で業者と共に、謝罪に向かう事にした。

その向かう数時間前になって、なんで私が父の代わりに謝らなきゃならないんだと、正直ちょっとイライラしてきていた。
これでは、私が行っても悪化するんじゃないかと思って、そもそもこのトラブルに何か意味があるんだろうかと思い、試しに、その「お客さんとの関係の分かる前世へ」と言う形で、自分で前世瞑想をしてみた。

すると、戦国時代の場面が出てきた。
どーも私が、ある村に来ていて、戦の為なのか、その村の住人を急遽立退けさせなければならないと言う場面だった。
そしてその村の村長のような人が、そのクレーマー気味のお客さんの前世だったのだ。
また前世で私が立退きの指示を出していた部下が、今世のミスをした業者だった様だ。

その前世では、私はその村人達に悪い事をしてるなぁと、罪悪感を感じながらも、殿様の命令だから仕方がないと、心を鬼にして立退きを急がせていた。
その村長さんが「何で、わし等の気持ちを、わかってくれんのや!」と繰り返し怒鳴ってるのが、私の心に深く罪悪感として、刺さっていくような感じがあった。

このイメージが出てきた時点で、思わず「ごめんなさい」「本当にこの時は申し訳ない事をした」と繰り返し繰り返し、心の中で唱えた。この懺悔を続けていくと、もう瞑想中の時点で、気持ちが軽くなってくるのが分かった。
なるほど、そのお客さんに対してイライラしてたのは、自分が前世でやった事を認めたくなかっただけだったのかと気付いた時、ハッキリ軽くなる感覚があった。

潜在意識レベルで、気持ちに変化が起こると、周りの人達の気持ちにも自然と変化が起こる。
この前世を見てから、私もさすがに前世でこんな事があったら、そらお客さんも潜在的にクレーム付けたくなるだろうなと、妙に納得できて、ちょっと心からお詫びしなきゃと言う気持ちになった。

なので謝罪に行くのも、何となく気持ちが軽くなって、むしろ早く今すぐお客さんに謝りたいと言う気持ちで、業者と合流して、そのお客さんの所に行った。
そしたら、あいにく不在だった。
なんか拍子抜けしたのだが、せっかくだからと、その場で簡単な手紙で、またあらためて伺う旨を書いて、ポストに入れておいたのだ。

するとその夜、そのお客さんから電話があり、えらく上機嫌で、今回の件はもうイイと、納得したと言う連絡がきたのだ。
そんな大した事は手紙には書いてなかったハズなのだが、何かそのお客さんにとって感じるものがあった様で、妙に喜ばれていた。その喜ばれ方が、ちょっと不自然なくらいだった。

さらに妙だったのは、そのお客さんが繰り返し「ワシらの気持ちを分かってくれた事が、本当にうれしい」と言ってきたのだ。
これを聞いた時、私の中でも何か深い部分で、消化された感覚があった。この言葉が私には、今のお客さんではなく、村長さんだった前世の時のその人の言葉の様に聞こえてならなかったのだ。

これ以降、そのお客さんは、妙に私の事が気に入ってしまった様で、クレームでうるさい人だったのに、全くクレームが来なくなって、今も非常に良好な関係が続いている。

これは、懺悔で現実的な問題を消化できた一例なのだが、これと似たような事は他にも沢山あり、特に人間関係においては、接するのが難しい人が現れると、前世を確認して問題を解消できた事が何度かあった。私なりの前世瞑想の活用法だ。
元々は、こう言った経験もあって、最近は個人セッションよりも、もっと誰でも簡単に前世を体験して、現実で活用できるようにと、グループワークの方で、色々な手法を試行錯誤する様になってきた部分もある。

【「ごめんなさい」から】

相手が許せない時は、前世の関係は分からなくとも、前世では逆に自分が相手を傷つけたのかもしれないと考えて「相手に懺悔する」形に切り替えてみるだけでイイ。さっきも書いたように、気持ちは伴わなくとも繰り返し「ごめんなさい」を唱え続けるだけでもイイのだ。
間違っても相手を憎み続けたり恨み続けたりするのは、やめた方がイイだろう。問題がさらに長引くだけだ。

あと、ついでに言えば、相手を愛し続けるというのも、これも「苦しみ」が伴うような愛し方は、やめた方がイイ。
恋人を思うとウキウキしてくる様な感じなら別に問題なのだが、あの人を想うと「切なく苦しい」と言う形になる様な場合、そのまま相手を想い続ける事は、その苦しみがさらに長引く様に願っているのと同じだ。
早めにキッパリあきらめるか、当たって砕けるか。。。あれ・・・?どっちも救いが無いが^^;
正直言って、基本的に苦しい恋愛の相手と言うのは、苦しい恋愛を繰り返す縁なので、私はお勧めしない。忘れたいのに忘れられない時は、今世ではなく前世において消化されていない感情が、いくつかある可能性が高いので、それらを確かめて消化していけばイイ。

懺悔に手ごたえが無かったり、うまくいかない時は、れんね瞑想などのグループワークで十分なので、まず相手との前世での関係を知る事が、事象の変化を早める。グループワークも慣れてくると、同じ要領で自分で前世をイメージしていって、自分で感情を消化出来るようになるお客さんも何人かおられる。自分で出来るようになると、ちょっとした人間関係のトラブルなんかは、長引かせずに消化しやすくなる。

なんだ結局、前世を見るのが一番早いのか・・と、決してワザとではないのだが、「ここれんね」の宣伝に繋がった所で、今回の記事を終わろうと思う。

最後に私もここで懺悔しておきます。
個人サイト「ゆらとふるへ」の日記が半年近く止まったまんまです・・。ゴメンナサイ!!

嫌いな人との縁を断ち切るには

初回がこんな嫌なテーマと言うのも申し訳ないが、好きとか嫌いとかの問題は、お客さんの抱える問題の中でも一番多く囚われやすいテーマなので最初に持ってきた。

誰しも「好き嫌い」は、あるだろう。
あの人は大好きだから少しでも長く一緒にいたい。逆に、あの人は大嫌いだから1秒も一緒にいたくない。
好き嫌いの多い人は、そんな感じで絶えず感情がうねりにうねってる。

でも、こんな事もある。
今まで大好きだった人が、大嫌いになる。
逆に大嫌いだった人が大好きになる。

大好きだった人に裏切られて大嫌いになった。
大喧嘩していた相手と急に仲良くなって大親友になった。
付き合っている時は「あなたは私の天使」と言われていたのに、別れた途端「悪魔!」と呼ばれる様になった。。
身に覚えのある人もいるだろう(笑)。
人間関係に限らず、食べ物や趣味、仕事、様々な事で好き嫌いは普通にあるものだ。

しかしちょっと考えてみてほしい。
「好き」の逆は本当に「嫌い」だろうか?

頭で考える分には確かにそうかもしれない。
しかし実は潜在意識においては、ちょっと違う。
潜在意識はイメージで根付く。そのイメージが強いほど、しっかり根付く。
イメージが根付くと言うのは言い方を変えると、魂レベルで自分の意識がそのイメージに囚われてしまっていると言う事になる。
「好き」も「嫌い」も同じ「そこに囚われている」と言う事になるのだ。
「囚われている」の逆は「囚われていない」になる。

つまり「好き」と「嫌い」は同じであり、その逆は「好きでも嫌いでもない」と言う事になる。
どれぐらいの強さでそのイメージが焼き付いているのかどうかだけの違いだ。「すごく好き」も「すごく嫌い」も強く印象が焼き付くが、「大して好きでも嫌いでもない」は、焼きつき方が弱いと言えるのだ。

潜在意識の焼き付きの強いイメージは、転生しても残りやすい。そして、そのイメージの対象と来世で再会すると潜在意識が反応する。
「この人は会った事がある様な‥」「初めて会うのに、初めてじゃない様な‥」

今世で感情の動く相手と言うのは、必ずと言ってイイほど前世においても関係がある。
特にどうしても「その人」が好きになれないとか、忘れられないと言った感じの場合は前世でも何らかの関係があり、縁が深かったと言える。
「印象に残らない人」「気にならない人」「どうでもいい人」は、比較的前世の縁が薄いと言う事になる。

今世では、憎くて憎くて仕方のない人が、前世では恋人だった。
今世では大好きな人なのに、前世では殺しあっていた。
なんだか真逆の様で、これらは潜在意識においては、お互い相手に囚われていると言う意味では同じなのだ。
脳に刻まれる情報は、肉体が滅ぶのと一緒に破壊されてしまうが、潜在意識に刻まれた感情は、輪廻する上でも残っていく。

だからいつも言っている事だが「嫌いになるほど縁が深まる」のだ。
「あの人は大嫌い」と思うほど、その人との縁は深まり、来世もきっと出会うだろう。
もちろん今世の間においても潜在意識が引き合い一緒にいる事も増えてしまう。

仲の悪い親子も沢山いる。
何でこんな親の元に自分は生まれたんだと、親が憎い、親が許せないと。
でも憎めば憎むほど、この親子は来世でもまた一緒になる。
潜在意識にとっては、好きとか嫌いとかが問題ではなく、どれだけその人に対して意識が囚われているかが問題だからだ。

しかも残念なことに「好き」と言う感情よりも「嫌い」と言う感情の方が「囚われが強い」と言える。
「あの人が大好きだから来世も一緒になりたい」と思う気持ちより、「あの人が大嫌いだから来世では絶対に一緒になりたくない」と言う気持ちの方が強くなりやすいので、そっちの方が、また来世で一緒になりやすい。

今、これを読んで、ちょっとゾッとした人は、その離れたい大嫌いな人に対して、意識を向けるのは、もうやめた方がいいだろう。
来世でまた出会って似た状況を繰り返すだけだ。

じゃあ、そんな大嫌いな人とうまく縁を断ち切るにはどうすればよいか。
それは、その人に対して「好きになる」のではなく「好きでも嫌いでもない」状態になる事だ。

そんなの難しいと思うかもしれない。
でも、ちょっとここで客観的に感じてみてほしい。
なぜ、その人に対して、そこまで自分の気持ちが囚われてしまうのか。

特に相手を嫌いだと感じる場合。
人を嫌いになる理由は様々だが、その多くが自分と似た部分を相手の中に感じた時、それを認めたくない為に嫌悪感が湧いてくる傾向がある。

例えば、「あの人は口うるさいから嫌い」と言った感情が湧いてくる場合。おそらく自分自身の中にも、自分でも気付けない似た部分があると言える。それは単純に「自分も口うるさいから」とは限らない。

「口うるさい人」と言うのは、例えば「私の本当の気持ち」をみんなにも分かって欲しいんだけど素直に伝えられず、つい、あまり関係のない事をベラベラ喋ってしまって嫌がられるだけと言うタイプの人もいるだろう。
もし、その人に対してそんな風に感じられたら、その「口うるさい人」を嫌悪してしまう自分の中にも、何か人に対して「自分の事をうまく表現できていない」部分があるとも考えられる。

「嘘をつく人」が嫌いなら、自分もどこかで「嘘をついている」とは限らず、嘘をつく「理由」の部分で、相手と似た感情を持っているから嫌悪してしまうのかもしれない。
例えば、その人が見栄を張る為に嘘をついているように感じられたら、もしかすると自分も嘘はつかないけれども、見栄を張りたいと言う気持ちは強いかもしれない。。と言った具合に「理由」の部分、「気持ち」の部分に注目すると、その原因を見つけやすい。

もしそれが見つかったら、自分の中にもある要素だと認められたら、その事を誰かに聞いてもらえばいい。
「吐き出し」の作業だ。
話せそうな人がいない場合は、日記に書くのもイイ。
言葉にすることで、自分の中で整理づける事が出来るので、その事に対する囚われが小さくなる。

そうやって自分の気持ちに気付いてこれると、意外と相手に対しても囚われなくなってくるものだ。
嫌いだった人は、縁も切れやすくなる。

では、ここで、そんな「嫌いな人」と、前世ではどんな関係だったのか。
お客さんに多かった例をまとめる事にする。
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■1:お互いに大嫌い、一緒にいると嫌な気持ちで一杯になる相手の場合。

互いに感情が動く場合は、前世においては互いに傷つけあう事もあれば、逆にすごく仲が良かった前世もあるはずだ。
すごく仲が良かった記憶もあるからこそ、相手のちょっとした行動で傷つきやすく、裏切られたと感じやすい。
それが大きな傷となって残り、憎むようにもなったりする。
その憎しみの感情が互いに大きければ大きいほど、縁が深く愛情も深い事に気付くといい。
その事を認めたくないから、憎しみの感情も大きくなるだけなのだ。

この場合、仲良くなりたければ、自分のプライドを捨てて、自分から折れる事を考える。憎しみの言葉を相手にぶつけたくなるものだが、それは相手も同じ事。
憎しみの言葉ではなく、その裏にある自分の弱さ、惨めさを相手にさらけ出す方がイイ。
案外、ガラッと関係が変わり大親友になる可能性も高い。

しかしここで注意したいのは、大親友にはならない方がいい。
なぜなら大親友になってしまうと、また相手のちょっとした事が許せなくなり、憎しみが生じてきやすい。
こういう相手とは、あんまり深入りしない程度の付き合いがちょうどイイ。

■2:自分は大嫌いだけども、相手は、あんまりこちらを気にしていない気がする場合

自分はその人と「一緒にいたくない」「近寄りたくない」「苦手」「離れたい」と、もしかして前世で自分は、この人に殺されたんじゃないかと思うくらい自分は嫌悪してるのに、その人自身は、あんまり自分の事を好きでも嫌いでもない、気にしてなさそうな場合。

この場合、前世では自分の方が、その人を大きく傷つけた可能性が高い。
つまり、その罪悪感が潜在意識に残っており、それが浮いてくるのを認めたくなくて嫌悪感が湧いてくるケース。
罪悪感の消化は、懺悔が一番早いのだが、思い出せもしない記憶の事を懺悔するのも難しい。

ただ、こっちは嫌ってるのに、向こうにはあんまり嫌われてる感じがしない時点で、一方的に相手に対して嫌悪してしまってる事については懺悔できるだろう。
言葉だけでも構わないので、心の中でこんなに嫌ってしまってごめんなさいと、懺悔を繰り返すと囚われが薄れ縁が切れやすくなってくる。

■3:自分は大嫌いだけども、相手は自分の事を大好きで、困ってしまう場合。

いわゆるストーカーなどもこのケースに含まれる。
ストーカーの場合、多くは親あるいは誰かの代わりを、あなたに置き換えていると言う事が多い。
その辺に本人に気付いてもらう事が大事になってくるのだが、このケースは色々複雑で、一言では説明できないので、またいつか別に機会にまとめたい。

ここでは前世でのケースのみ書いておく。
こう言った場合、前世で多いのは、何らかの厳しい状況の中にいたその人を、あなたが助けたと言うパターンだ。

例えば親に虐待されていた子供を助けたとかなどだ。
特に子供の記憶は潜在意識に残りやすく来世に持ち越しやすい。しかも虐待の様な特殊な状況も重なると、助けたあなたに対して「救ってくれる」と言うイメージと一緒に「怖い」と言う虐待された時の恐怖のイメージも一緒に焼き付いている。

つまり今世ではあなたに対して「救ってくれる」と「怖い」と言う状況を「再現」しようと無意識に動いたりする。「今すぐ私の所に来てくれないと私はここから飛び降りて自殺します」と言う様な感じで苦しめてくる。前世の時の様にあなたが助けてくれるシーンを再現したいのだ。

この場合、どうすればよいかは、このパターンは、色んなケースがあるので、基本的な事だけを言えば、他と同様まずその人に対して「嫌悪」しない事が第一になる。
嫌悪するほど縁が深まるのは、先ほど書いたとおりだ。

あとは、とりあえずその人の話を聞いてあげるしかないだろう。
多くの場合、そう言ったカルマを持ってる人は今世においても子供の頃に親に捨てられたなど、何らかの影を持っている、その辺の話を聞いてあげると、その人は楽になる。
本当は親に愛して欲しかったこと、その気持ちをあなたに置き換えていただけだった事にその人自身が気付けると、その人も多少は落ち着いてくる。

ただ、ここで言っておきたいのは、これもいつも言っている事ではあるが、あえて繰り返し書くなら。
嫌いな人に限らず相手に対して、決して「助けたい」と思いながら助けない事。
その人の為を思うのなら「その人が自分の力で乗り越える」事を願って助ける事だ。

救助隊に助けられた人は「救助隊」に対して感謝する。救助してくれた人に対して個人的に感情が湧いてくる事はあまりない。
それは助けられた人も「仕事で助けてもらえた」と意識できるからだ。
救助隊も、この人は好みのタイプだから先に助けようなんて考えながら助ける人はいないだろう。

でも仕事でもない人が助けてくれたら、しかも異性だったりすると「運命の人?」と余計な感情が動きやすい。確かに何らかの縁はあるだろうが、こういう形で感情が動いてしまうと、ついその助けてくれた人と再会した時、わざわざ前世の状況を繰り返したくなる。
何か「私がピンチの時にあの人が助けてくれる」と言う状況を作ろうとして、その人を苦しめてしまったりするのだ。
その極端なものがストーカーと言った行動に結びつくワケだ。

上記はあくまで一例で、他にもさまざまなケースがあるが、また機会を改めたい。
ただここで、もう一言書いておくとすれば、基本は好きでもない人に必要以上に優しくしない事も大事だと言う事だ。
嫌いになれと言うのではない。変に相手に期待を持たせないと言う事だ。
状況によっては、あえて相手に「嫌いです」とハッキリ伝えた方が、相手も諦めがつきやすく相手にとってもイイ場合もある。

■4.こちらは好きでも嫌いでも無いのに、やたら相手に嫌われる。

これは、もう自分は好きでも嫌いでも何でも無いんだから、放っておけばいい。
相手が自分を嫌うのは、相手の中の問題であり自分の問題ではない。わざわざ相手に好きになってもらう必要はない。
自分自身が、その人に対して本当に「どうでもよい」と感じられるようになったら、縁は自然と切れる。

ただその際、暴力を振るわれるとか、傷つけられると言った場合。
この場合、自分が潜在意識にすでに「傷つけられる」と言う要素を持ってしまっていると言える。いわゆるカルマだ。
この場合は、自分が知らず知らずに別の誰かを傷つけてしまっていないかなど、対処が変わってくるので、その辺はまた別の記事で書く。

■5.その他、自分が何故か必要以上に相手を嫌ってしまう。嫌う理由がどーもしっくり来ない場合。

上記のケースとは、ちょっと違うパターンがある。
それは自分が、その人を嫌っているつもりが、実は自分ではなく、自分の近くにいる人の感情を知らず知らずに自分の感情として錯覚してしまっているケース。

これは親子関係において一番多い。
父親が大嫌いなのだが、何で嫌いなのか、も一つ自分でもよくわからない。
考えられるのは、自分ではなく母親が父親を嫌っており、その母親の気持ちを知らず知らずに自分の気持ちの様に感じてしまっていたと言う様なパターンだ。
この場合は自分が父親ではなく母親に囚われていると言える。
おそらく母親ととてもよく似た要素を持っており、シンクロしやすい。前世においても母親の方と縁が深かったのだろう。

この場合、これに気付いた時点で大丈夫。自分の中で、これが本当に自分の気持ちかどうか確かめ、違ったらイメージで他人の気持ちを切り離すだけでいい。
たまにこういう場合もあるので、参考まで。

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他にも霊的な理由で第三者に感情をコントロールされる等、ちょっ普通では起こり得ない様な特殊なケースも稀にあるが、そうであっても基本的には、嫌いな人に対して「囚われない事」が一番のポイントだ。
「好きになる事」でもない。「好きでも嫌いでもなくなる事」なのだ。

まぁ、そんな気持ちにまでなれたら、その頃には、縁が切れてほしいと言う気持ち自体も無くなって、その人は「好きでも嫌いでもない、縁が切れても切れなくても、どうでもいい人」になっている。
なんだか「どうでもいい人」と書くと聞こえはちょっと悪いが「もう自分にとって何も問題のない人」と言う事だ。

ところで、好きな人ともっと縁を深めるにはどうすればいいのだろうか。
これは、また次回のテーマと言う事にしたい。。