心応理学WEB事典

「現象は心に応じて変化する」と言う考えを元に感情ごとに分類、体系化した「ここれんね」オリジナルの「心の理学」です。

絶対にやってはいけない事

呪いは、来世を狂わせる

結論的な事を、最初に書いておきたい。
来世も含めて幸せになるために、絶対にやってはいけない事。それは人を呪うことだ。
特に「丑の刻参り」だけは絶対にやってはいけない。
やるとどうなるのか・・。また相手が憎い、許せない時、どうすればイイのか。今回はそんな話だ。

そもそも、何故こんな話を今回書くのか。正直言って、こんな怖い話は書きたくない。関わりたくないのが私の本音だ!
しかし今とても苦しい、なんで私だけこんな目に?と思うほど不運が続いていると言うお客さんや、友人知人が、たまにいる。そんな人達を見ていて一つの共通項が見つかった。
それが前世で「丑の刻参り」をしていたと言う共通点なのだ。恐ろしい。。。

しかし、そんな前世は、前世療法では直接的には出にくい。なぜなら本人もそんな前世認めたくないだろう。当然、潜在的にブロックがかかってしまう。また同時に、こういった原因となる前世は、ある程度、カルマと言ったものを受け入れられる人でないと出にくい前世とも言える。好んで自ら自分の罪深い前世を見たがる人は、なかなかいないからだ。
でも本当は、そういったの前世を見て認めて懺悔する事が、人生の流れを変える一番の近道ではあるのだ。

まずは、これらの事に気付いた出来事から語ろうと思う。

~例1~

ここからの例としての各話は、本人が誰にも特定されない様に、具体的な部分は避けて、別の近い曖昧な表現に変えて書いている。そして見えてきた前世のビジョンのみ正確に書いているので、ご了承いただきたい。

ある時、お客さんに、こんな人がいた。仮にAさんとする。
Aさんは、とにかく自分の人生が、いつもうまくいかない。たえず周りの人が嫌いな人ばかりで、憎くて、許せなくて、ずっと不運に悩まされていて、何でこんなに苦しい人生なのかと、自分の周りは、自分を苦しめようとする人しか現れないと、その理由を知りたくて、グループワークで前世を確かめたいと言う方だった。

前世を見てみると、やはり自分が身分の高い位で、私利私欲の為に多くの部下を苦しめていた前世が見えてきたそうだ。
だから今世では、逆に周りに苦しめられるのかと納得されていた。

しかし実は私の中では、このAさんに対して、会った時から、ずっと別のビジョンが出てきていた。
それはAさんが、前世で誰かに呪いをかけているビジョンだった。
どーも呪術師の様な仕事をしていて、相談者から請け負っては呪術的な儀式を行ってる様なイメージだった。

もちろんこのビジョンの事は、本人には言ってない。他のお客さんも居た事だし、私もそのビジョンに確信が持てなかったし、当時は、それほど重要な意味を持っているとは、思っていなかった。
それに何よりこう言った前世は、その人自身が自分で見て、気付くべき事だと思っていたからだ。

ちなみに、いつも言ってる事だが、これらのビジョンは、私がその人を霊視したとか、そう言うのではない。
おそらくその人と会った時の前世の記憶を、私自身が思い出して見ているだけだと、私自身は解釈している。

さて、そんな事もあるんだなと、その時は、そのくらいにしか思っていなかった。

~例2~

しかしまた似たような事があった。
ある時、昔の友人が遊びに訪ねてきた。仮にその友人をBさんとする。
Bさんも、またもうどうしようもないほど、苦しい人生を送ってる人だった。何度も自殺未遂をしており、カウンセリングにも通っていた。昔の仲良かった頃は、そんな話一度も聞いたことが無かったので、意外でちょっと驚いた。

聞けば、幼い頃から、親にずっと虐待され、今も続いていると。ずっと精神的苦痛を与えられていると。
体も原因不明の病で、絶えず具合を悪くしており、確かに話を聞いていても、何でこの人は、ここまでトラブルに巻き込まれるのだろうと、感心してしまうほどで、気の毒でしかたなかった。
もちろんヒプノセラピーを薦めたが、抵抗感もあるようで、受けようとはしなかった。
無理に受けさせる事も出来ないので、私はただ、Bさんの話を聞くだけにとどめていた。

しかし、ふと代わりに私が、そのBさんの前世を見れないものかと考えた。正確には、Bさんの前世を見るというより、そのBさんと会ってた時の私の前世の記憶を思い出す形で、自分を誘導してみた。グループワークで、やっている「リンク誘導」の要領だ。

すると詳しく見る前に、急にドン!と、これまた前世のBさんが、丑の刻参りをしているビジョンが、いきなり出てきたのだ。
ちょっとビックリしたが、もう少し詳しく見てみると、そのBさんが呪っている相手は、恋敵の様で、その恋敵が今世の、そのBさんの親だったのだ。これはもう怨恨の縁として、似たような関係を繰り返しているかもしれない。

ちょっと怖かったので、もう途中で見るのをやめた。
もちろんこのビジョンも、Bさんには伝えていない。「前世で人を呪ってたでしょ?」なんて言える訳がない。

ここで私は、最初のAさんの話を思い出した。
Aさんと、Bさんと、二人に共通してるのは、今世で非常に苦しい人生を送っており、それが親や周りの人間に苦しめられる形で、今世でも周りの人を憎んでいる、強く嫌悪している部分が同じだった。
人を呪わば穴二つと言うが、これは来世にも影響すると言う事なのか。

~例3~

そこで私の中には、また別でもう一人、似たような人生を送っている人が、過去にいた事を思い出した。仮にCさんとしておく。
Cさんも非常に悲観的で、確かに不運を引き寄せてる様な人生を送っており、ウツっぽく長年カウンセリングにも通われていた。
試しに、そのCさんについても、「リンク誘導」の要領で、私が前世を覗いてみる事にした。

するとその前世では、私はお坊さんぽいカッコで、お寺のような所にいた。
ある夜中、森の中を歩いていく女性を見つけて、こんな夜中に何してるんだろうと不審に思い呼び止めた。するとその女性は、どうやらこれから丑の刻参りに行こうとしている所だった。許せない人がいて毎晩参りに来ていたと、泣きながら打ち明けてくれた。
話を聞いて、諭して、参りに行くのはやめさせるような場面だった。

もうこれを見て、私は確信した。
人を呪う事は、来世の自分自身の人生を、呪うことに等しいと。
呪いとまではいかずとも、人の不幸を願ったり恨んだり、憎み続ける事もまた、来世の自分の不幸を願ったり恨んだり、憎み続ける様なものだ。

こう考えるとわかりやすいかもしれない。
人を憎んだり恨んだりと言った感情は、頭では「アイツが悪いから」と正当化することが出来る。しかし潜在意識は理論的ではないので「アイツが悪いから」と言った理屈は刻まれにくく、その「憎しみ」「恨み」の感情だけが、潜在意識に一杯刻まれてしまう。それは潜在意識にとっては「憎らしい」「恨めしい」状態を願っているのと同じなので、また似た状況を引き寄せてしまう・・。あるいは、それらの感情に伴う罪悪感が刻まれ、それを消化しようとして引き寄せるとも解釈できるだろう。
この辺りは、心応理講座の方でも詳しく書いているので省略する。

一応、付け加えておくが、こういった前世は、そう滅多にあるものではない。私も前世でやってらどうしよう?なんて思う必要は普通は無いので安心して欲しい。
ただもし普段から、あの人が憎いとか、許せないとか・・絶えずそんな感情に振り回されている様な人生を送っていると言うのなら、念の為、自分の前世を確認しておいた方がイイかもしれない。

ちなみにちょっと話がそれるが・・。今、気付いたのだが、私が漫画家をやっていた時、「ゆらとふるへ」と言う作品の最終話も丑の刻参りをしていた女性の話だ。あれもさっきの前世の記憶が無意識に引き金となって書いていた話なのかもしれない。
自分の前世を見る様になってから気付いたのだが、漫画や小説などの作品は、かなり無意識に前世の記憶が影響している事が分かる。絵を描くことも潜在意識に直結させやすいので、前世に関わるイメージが出やすい様だ。
たしか昔、友人の娘さんで、いつも血だらけの天使の絵だったかを描いている様な話を聞いた事がある。こういうのも多分、なんらかの前世の記憶を無意識にたどっているのだと思う。きっと前世を見ると、その沸いてくる絵のイメージの理由が分かるだろう。

【懺悔意識が、引き起こす効果】

潜在意識は、私は魂に近い領域として解釈している。つまり、潜在意識に刻まれている感情は、来世に持ち越されて、似た環境を引き寄せやすいと・・。幸せな来世を迎えるには、幸せな心の状態で亡くなる必要があると考えている。

その為には、そう言った「憎しみ」「恨み」はもちろん、満たされない感情は、出きるだけさっさと消化した方がいいだろう。
では、どうすれば消化されるのか。その一つが「懺悔」だ。

無性に怒りが沸いた時や、ある人がどうしようもなく憎くなったり、恨めしくなったり、そんな嫌悪の感情で心が一杯になった時、その相手に対して懺悔するのだ。

そんな事言われて、じゃあ、懺悔してみようって気持ちになる人は、もう聖人だ。
そんな人は、そもそも最初から、怒りが沸いて来る事も無いだろう。
「明らかにアイツの方が悪いのに、何で私が懺悔しなきゃならないの!」と、考えるのが普通だ。

しかし上記の例にもあった様に、自分を苦しめる相手は、前世で自分が苦しめた相手であるケースが多い。
なので本当は、前世で何があったのかを確かめれば一番早く、懺悔もしやすい。
前世を確かめるのが難しければ、気持ちの伴わないままでいいので、繰り返し「ごめんなさい」と唱えてみるだけでもイイ。
頭で分かっていても、そこに心や体、感情が伴ってこないと、なかなか効果は出てこないかもしれないが、無心に続けることで、やがては潜在意識も動いてくるものだ。もしかするとその最中にビジョンとして前世のイメージが浮かんでくる事もあるだろう。
やがて心の深い部分から感情が伴う様になり、消化が進んで色々変化が起こる。

私自身、以前こんな事があった。
家の方の事業で、私の父が依頼していた業者のミスで、取引先のお客さんを、怒らせてしまう事があった。
ちょっと以前からクレーマー気味のお客さんだったし、父自身も嫌悪が強い事もあって、父が直接対応すると余計に揉めそうだと思い、急遽、私が父の代理で業者と共に、謝罪に向かう事にした。

その向かう数時間前になって、なんで私が父の代わりに謝らなきゃならないんだと、正直ちょっとイライラしてきていた。
これでは、私が行っても悪化するんじゃないかと思って、そもそもこのトラブルに何か意味があるんだろうかと思い、試しに、その「お客さんとの関係の分かる前世へ」と言う形で、自分で前世瞑想をしてみた。

すると、戦国時代の場面が出てきた。
どーも私が、ある村に来ていて、戦の為なのか、その村の住人を急遽立退けさせなければならないと言う場面だった。
そしてその村の村長のような人が、そのクレーマー気味のお客さんの前世だったのだ。
また前世で私が立退きの指示を出していた部下が、今世のミスをした業者だった様だ。

その前世では、私はその村人達に悪い事をしてるなぁと、罪悪感を感じながらも、殿様の命令だから仕方がないと、心を鬼にして立退きを急がせていた。
その村長さんが「何で、わし等の気持ちを、わかってくれんのや!」と繰り返し怒鳴ってるのが、私の心に深く罪悪感として、刺さっていくような感じがあった。

このイメージが出てきた時点で、思わず「ごめんなさい」「本当にこの時は申し訳ない事をした」と繰り返し繰り返し、心の中で唱えた。この懺悔を続けていくと、もう瞑想中の時点で、気持ちが軽くなってくるのが分かった。
なるほど、そのお客さんに対してイライラしてたのは、自分が前世でやった事を認めたくなかっただけだったのかと気付いた時、ハッキリ軽くなる感覚があった。

潜在意識レベルで、気持ちに変化が起こると、周りの人達の気持ちにも自然と変化が起こる。
この前世を見てから、私もさすがに前世でこんな事があったら、そらお客さんも潜在的にクレーム付けたくなるだろうなと、妙に納得できて、ちょっと心からお詫びしなきゃと言う気持ちになった。

なので謝罪に行くのも、何となく気持ちが軽くなって、むしろ早く今すぐお客さんに謝りたいと言う気持ちで、業者と合流して、そのお客さんの所に行った。
そしたら、あいにく不在だった。
なんか拍子抜けしたのだが、せっかくだからと、その場で簡単な手紙で、またあらためて伺う旨を書いて、ポストに入れておいたのだ。

するとその夜、そのお客さんから電話があり、えらく上機嫌で、今回の件はもうイイと、納得したと言う連絡がきたのだ。
そんな大した事は手紙には書いてなかったハズなのだが、何かそのお客さんにとって感じるものがあった様で、妙に喜ばれていた。その喜ばれ方が、ちょっと不自然なくらいだった。

さらに妙だったのは、そのお客さんが繰り返し「ワシらの気持ちを分かってくれた事が、本当にうれしい」と言ってきたのだ。
これを聞いた時、私の中でも何か深い部分で、消化された感覚があった。この言葉が私には、今のお客さんではなく、村長さんだった前世の時のその人の言葉の様に聞こえてならなかったのだ。

これ以降、そのお客さんは、妙に私の事が気に入ってしまった様で、クレームでうるさい人だったのに、全くクレームが来なくなって、今も非常に良好な関係が続いている。

これは、懺悔で現実的な問題を消化できた一例なのだが、これと似たような事は他にも沢山あり、特に人間関係においては、接するのが難しい人が現れると、前世を確認して問題を解消できた事が何度かあった。私なりの前世瞑想の活用法だ。
元々は、こう言った経験もあって、最近は個人セッションよりも、もっと誰でも簡単に前世を体験して、現実で活用できるようにと、グループワークの方で、色々な手法を試行錯誤する様になってきた部分もある。

【「ごめんなさい」から】

相手が許せない時は、前世の関係は分からなくとも、前世では逆に自分が相手を傷つけたのかもしれないと考えて「相手に懺悔する」形に切り替えてみるだけでイイ。さっきも書いたように、気持ちは伴わなくとも繰り返し「ごめんなさい」を唱え続けるだけでもイイのだ。
間違っても相手を憎み続けたり恨み続けたりするのは、やめた方がイイだろう。問題がさらに長引くだけだ。

あと、ついでに言えば、相手を愛し続けるというのも、これも「苦しみ」が伴うような愛し方は、やめた方がイイ。
恋人を思うとウキウキしてくる様な感じなら別に問題なのだが、あの人を想うと「切なく苦しい」と言う形になる様な場合、そのまま相手を想い続ける事は、その苦しみがさらに長引く様に願っているのと同じだ。
早めにキッパリあきらめるか、当たって砕けるか。。。あれ・・・?どっちも救いが無いが^^;
正直言って、基本的に苦しい恋愛の相手と言うのは、苦しい恋愛を繰り返す縁なので、私はお勧めしない。忘れたいのに忘れられない時は、今世ではなく前世において消化されていない感情が、いくつかある可能性が高いので、それらを確かめて消化していけばイイ。

懺悔に手ごたえが無かったり、うまくいかない時は、れんね瞑想などのグループワークで十分なので、まず相手との前世での関係を知る事が、事象の変化を早める。グループワークも慣れてくると、同じ要領で自分で前世をイメージしていって、自分で感情を消化出来るようになるお客さんも何人かおられる。自分で出来るようになると、ちょっとした人間関係のトラブルなんかは、長引かせずに消化しやすくなる。

なんだ結局、前世を見るのが一番早いのか・・と、決してワザとではないのだが、「ここれんね」の宣伝に繋がった所で、今回の記事を終わろうと思う。

最後に私もここで懺悔しておきます。
個人サイト「ゆらとふるへ」の日記が半年近く止まったまんまです・・。ゴメンナサイ!!

運気の上げ方(功徳の積み)

【運気を司るエネルギー】
毎回言ってる事ではあるが、前世の記憶と言うのは、思い出せば思い出すほど、似たような人生の繰り返しだ。
昨年行った心応理ワークで、連続して前世を体験した人の中でも、とにかく似た人生の繰り返しに気づかされた人も多かった。
一つのテーマに絞り、その問題の原因となる前世を見に行っても、その原因となる前世がいくらでも出てきて、きりが無かったりする人もいた。

なので最近は、グループワークなどで既にいくつもの似た様な前世を思い出している様な人が、あらためて個人セッションを受けられる様な場合は、その一つのテーマに対する原因となる前世を、遡れるだけ遡ってみると言う誘導方法を行っている。 (通常、特に初めての方に対しては、1つの前世に絞ってもらった方が、体験も深まりやすいので、こういった誘導はしていません。)
その結果、色々と面白い共通項が見えてきた。

前世と言うのは、多くの人が過去の時代において人間だった記憶を思い出す人がほとんどだ。それは半分、根付いている概念的なものにも影響されていると言えるだろう。人間以外の人生を前世として認める事は、ちょっと難しかったりするものだ。
しかし、上記の通り特定のテーマで、どんどん遡ってみる。紀元前、超古代文明の記憶、さらにもっと遡り、まだ地球が誕生して間もない頃まで遡ると、多くの人が、地球以外の他の惑星で生活していた頃の記憶が出てくる。
そこではやはり人間の様な姿で高度な文明の中で生きてる記憶が出てくる人もいれば、人間以外のよくわからない生命の記憶が出てくる人もいる。
そう、多くの人が地球誕生以前から、やはり生命として輪廻を繰り返していた記憶が出てくるのだ。

その地球で転生を繰り返す以前の前世で、大きな原因が見つかる人もいる。結局それが原因で、それ以降ひたすら地球でその原因を消化できずに輪廻を繰り返していたというパターンだ。
そんな感じで、根本的な原因を探すべく徹底的に前世の大本を探るという誘導を行っていく中、さらに興味深い記憶の出てくるお客さんがいた。 天界にいたときの記憶を思い出す人だ。

天界にいた頃の記憶を思い出す人は何人かいた。私自身も天界に居た時の記憶はある。
でも天界と言えば、少なくともこの人間の世界よりは楽そうなイメージがあるだろう。そんな楽な世界にいたのに、何で今は人間として転生してるのかと言う疑問がある。本当に天界があるなら誰でもみな天界に行ってずーっとまったりフワフワ遊んでいたいものだ。
でもこうして天界の記憶を思い出す人が人間の世界に居るという事は、天界に行ったらそれで、ずっと天界にいられると言うワケでもないと言う事だ。

これについては、私の中でも、天界という世界も人間よりは上の世界と言うだけで、転生する事もあるのだろうとは考えていた。
それは仏教で言うところの六道輪廻の中に天界も含まれて表現されている所からも想像できる。もし天界が永遠にそこにいられる様な次元なら、六道輪廻からは外れた世界であり、解脱と同じ意味の次元と言う事になるはずだ。

もう一つ私の中で、こう言う事ではないかと思っていたのは、いわゆる天使や神々がよく人間に助言したり導いたり、奇跡を起こしたりして助けてくれる表現があるが、そもそもなぜ天使や神々は人間を助けてくれるのかと言う点について。
これは非常に人間的な考え方になってしまうが、そういった人間を助ける事で、神々はある特定のエネルギーを稼いでいると考えている。 その稼いだエネルギーで、その次元に居続けられているのではないかと言う事。

これは以前の「天使や神々への祈り方 」で書いた菩薩さんの様な時の記憶が出て来たときに感じた事だが、人間を助ける事で、何かエネルギー的なものが上昇する様な感覚があった。それがその次元に居られるエネルギーにもなってるような感じだ。
つまり人間界でいうところの仕事と同じで、稼いだエネルギーで生活して生きてるような感じとでも言えばいいだろうか。 なので、神様にとって人間は商売のお客さんの様なもの。。いや、なんだか書いてて非常に所帯染みた考え方で罰が当たりそうだが(笑)。
なので一応フォローするなら、もちろん神様もわざわざ、今年のシーズンは稼ぐぞぉ的な意識で動いてるのではなく、そこには大きな慈悲が根付いており、ただその慈悲で動いている。その結果としてエネルギーも自然と保たれている。
商売意識があったらとっくにその意識状態と波長の合う人間界に堕ちてくるだろうとも言える。

ちょっと横道に逸れたが、その天界の記憶を思い出すお客さんの中で、さらに天界から堕ちて来るプロセスを思い出すお客さんがいた。 それがちょっと興味深かった。
その人の記憶では、こんな感じだ。
天界で天使だった頃、仲間と一緒に天界の空を飛び回って、ずーっと遊んでいたらしい。 たびたび偉い人に仕事をする様に注意されていたという。
仕事と言うのは、人間に良いインスピレーションを与えたり、奇跡を起こしたりして人間を助ける仕事だという。
しかしその人は、それを無視して遊び続けていたという。するととうとう天界から堕ちて、人間に転生してしまったと言うのだ。

これは私にとっては、それまで考えていたものを裏付けるような形で得られた情報なので、なかなか興味深かった。
やはりどーも天界においても、その次元に居続けるにはエネルギーが必要だという事。そのエネルギーは人間を助けるようなことで得られるという事。
これは、ちょうど仏教で言うところの「功徳」に近いのではと思う。

私は別に仏教信者でもないし無宗教ではあるが、仏教用語は非常に人間に理解しやすい形で表現されているので度々使わせてもらっている。
ただ人間に理解しやすいということは逆に言えば、人間の概念に制限されやすい意味に解釈されやすいという弱点もある。
なのであくまで「意味が比較的に近い言葉」として、今回はこの「功徳」と言う言葉を仮に使って、人の運気の流れ方を書いてみようと思う。

ちなみに、先ほどのお客さんの天界の記憶の中で、どーも私もそこにいたらしい。
天界を誘導している最中に、お客さんが突然「あ・・トミシマさんがいます!」と言いだすので、ビックリした。
思わず「え・・!今、私は、そこで何をしてるのですか?」と聞くと「マジメに働いています!」と答えられ、ちょっと噴出してしまった^^;
でも、同時にホッとした。「一緒に遊んでいます!」・・とか答えられたら、何だか普段偉そうに語っている立場的にどうしようかと思った(笑)

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【人の一生においての功徳の流れ方】
私は「偶然」と言う言葉ほど「非科学的」な言葉は無いと思っている。科学で解明されない現象は全てこの「偶然」と言う言葉で片付けることが出来てしまうからだ。
お金持ちの家に生まれてくることも、貧しい家に生まれてくることも、ただの「偶然」という言葉で片付けられる。運が良かった、悪かったで片付けられる。
しかし、多くの人の前世の記憶を見ていくと、愛情のある家庭に生まれることも無い家庭に生まれることも、お金持ちの家に生まれてくることも、貧しい家に生まれてくることも、そこに一つの法則性が見えてくる。
それを分かりやすく表現できるのが「カルマ」や「功徳」と言った仏教的解釈だ。
今回はその「功徳」の話になる。

カルマは良い行いをすれば良い事が返ってくる、悪い事をすると悪い事が返ってくるという、対象を限定的に見た場合の解釈になるが、功徳はカルマとはちょっと違う。
もっと長期的というか、全体的というか、これが言葉で説明するのも難しい。 エリアシフトでも最終回で説明してるが、いつもどう表現すればイイか悩む。ネットで調べても功徳についてハッキリ明確に説明しているものが見つからず、正直言って本来の意味がどういったものかは、私にもハッキリはわからない。
ただ体感的には誰でも何となくわかると思う。「あの人は徳があるなぁ」と言う表現は何となく分かるだろう。
功徳というのは、沢山あると良い事、幸せだと感じる事が多くなり、沢山の人に慕われるようになり、功徳が減ってくると、幸せだと感じる事も減っていく。 一種の運気をつかさどるエネルギーのような物だと考えれば近い。
では、この功徳と言うものをもう少し分かりやすい様に、人の一生に当てはめて、その流れについて書いてみる。

・幼少期
我々が生まれてくる時、すでに人間に生まれる事が出来ると言う分の一定の功徳を持っているから生まれることが出来る。
生まれたての赤ちゃんが誰が見ても輝いて見えるのは、情報の壁が薄いと言う部分もあるが、この功徳も沢山持って生まれてくるからこそ輝いているとも言えるだろう。

生まれてから大人になって働くまでは、子供は親に育てられる。それは、親とどういう関係であれ、一定の功徳を持って生まれてきたからこそ養ってもらえる運命を持ち合わせていると言える。 そんな功徳を持って生まれてきたから子供は、親でなくても可愛いと感じる。何とかしてあげたいと言う気持ちになる。

しかし、生まれ持った功徳は、生きていく中で少しずつ消耗していく。逆に親は、その子供を育てていく事で功徳を稼いでいる。
言い方を変えれば子供の功徳のエネルギーは両親に流れていくと表現する事もできる。 だから親にとって子供は可愛く、手放したくない。
親は、子供を育てると言う形で子供から功徳を稼いでいるのだ。

ある程度年齢がいくと、子供は家を出たくなる。両親から離れたくなる。両親が重く感じられるようになる。
これは、生まれ持ってきた功徳が消耗しているを体感的に気付いてくる年齢に至る為だ。
この先は自分で功徳を稼がなければならない。だから将来に対する不安感も出てくる。
同時に言い方は悪いが、親によっても功徳が消耗させられている事に気付き、親から離れたくなる。 普通は一人暮らしなどを始めたくなるものだ。家から出たくなる。自立したくなるのだ。

だから20歳前後になったら、子供が自分で功徳を積めるようになると理想的だ。別にイイ大学やイイ就職先につく必要は無い。就職先が見つからなかったら、バイトでもいいし、バイトも難しければ、ボランティアでもいい。
小さい頃、初めて自転車に乗れた時の事や、逆上がりが出来た時の気持ちを思い出してみて欲しい。
そういった困難を乗り越えての成功体験の積み重ねが、大人になってからの本人の自信に繋がる。
それと同じで功徳の積みも、小さい積みから重ねていく事で、大きな功徳を積めるようになる。
お金は入らなくとも、人に感謝されてうれしいと感じる体験を増やしていくだけで、功徳は溜まり、自然と運気も上昇して、やがてイイ職につけたり大きな成功を得たり出来るようになる。
そんな経験がないという人は今からでも全く遅くはない。
ちょっとした親や友人の何かの手伝いからでもいい。感謝されそうな事を探してやってみればいい。
ただし、その時いちいち見返りは望まない事だ。特定の相手に何かを望む事もまた消耗に繋がる。
そんなものは相手からもらわなくても功徳が稼げれば自然とどこか違うところから入ってきたりもするものだ。それを楽しみにしておけばイイ。

・社会人
会社に勤めると、働いて給料がもらえる。 これは厳密には、こうだ。
会社で、お客さんに喜ばれる仕事をして、お客さんから感謝されて功徳を稼ぐ。
しかし会社からは給料が出る。その給料をもらう事でその分の功徳は消耗する。会社は社員の給料を支払う事で、お金は減るが功徳は稼ぐ形になり、その後の会社の運気に繋がっていく。
言い方を変えれば会社は社員を通してお客さんからの功徳を稼いで成長していく。 だから給料が安くても、本当は自分が頑張った分の功徳はちゃんと自分の中に入っているものなのだ。

功徳は溜まってくると自分の願い事や欲しいものが手に入りやすくなる。ちょうど目に見えないお金のようなものだ。
功徳が沢山溜まると、良い事も増える。つまり運気が良くなる。

しかし例えば目に見える安い給料に不満を持ったとする。会社に文句を言ったとする。
ここで気をつけなければいけないのは、文句を言ったり、悪口を言ったり、傷つくような事をしたりする事は、大きく功徳の消耗に繋がると言う事。 文句を言われた会社も、その社員の不満を押さえ込もうと抵抗すると会社の方も功徳を消耗する。
功徳を消耗すると、お金が出て行くことが増えたり、傷つけられる事が増えるなど、嫌なことが増えてしまう。

じゃあ、逆に給料安くても不満を言わずに我慢していればいいのか?我慢する様なら、それでは功徳の消耗と同じだ。
ようは、給料が安くても、お客さんが喜んでくれるなら構わないと言う意識で頑張っていられると、功徳はさらに溜まっていって、ある時それが現象化する。
昇進の話が出てきたり、あるいは他所の会社からおいしい引き抜きの話が出てきたりなどと言う具合に、自分とその会社との似た要素が無くなり、功徳に差が生じてきた時点で縁が切れる。 そのチャンスのタイミングでうまくさらに上へと移動すればイイ。

・家族において
さて、仕事で稼いだ功徳は、その後どうなるかと言うと、家で消耗する形になる。
たとえば、実家に住んでるなら、家に住まわせてもらっていると言う点で消耗し、ご飯を食べさせてもらっていると言う時点で、また消耗する。
逆に親は、子供を養い続ける形で、功徳を稼いでいることになる。

だから功徳を分かり易いように現金的な解釈で表現するなら、家にいるだけで、親に功徳を奪われている状態とも言える。
なので、自分自身の功徳、運気を上げたいなら、家から出るか、家にお金を入れるか、親孝行するかなどで、取り戻した方がいい。

親にしてみたら、子供が可愛いと、何とかしてやりたいと、一生懸命子供の為にと動くことで、功徳を稼いでる事にもなるのだが、子供の方は、その分功徳を消耗してることになるので、子供自身の運気は落ちる。
だから必要以上に子供を甘えさせると、子供は余計に自立できない。「過保護」と言った表現は言い方を変えれば、子供の功徳を親が奪いすぎて、子供が自分で功徳を稼げなくなる状態とも言える。
本当の意味で子供に幸せになって欲しいのなら、子供自身が自分の力で功徳を稼げるように考えて接する事だ。

功徳は、近い言葉で言えば、感謝されるような事を行う事で溜まるエネルギーと考えればいい。ただ近い言葉と言ったのは、厳密には別に、特定の相手から、その功徳のエネルギーを奪っているわけでもないからだ。
分かりやすいから奪うと言う言葉を使ったが、厳密にはどーも違う。 実際には、奪う側は、高次元のエネルギーが入りやすくなるような感じだ。
奪われる側も奪う側に功徳を持っていかれるのではなく、ただエネルギーを消耗すると言う感じ。
だから消耗する側は、相手に感謝を伝える事で、多少なりとも消耗を防ぐ様な形になる。

・結婚後そして老後
子供が大人になって結婚した後はどうなるか。
父親となる人は、先ほどの様に同じく外で働いて功徳を稼ぐ。稼いだ功徳で家が建つ。そこに奥さん子供がいる。家族を養うことで、また功徳を稼ぐ。
母親となる人はどうなるか。専業主婦の場合は、ご主人の家なら、家に住んでいる時点で功徳は消耗していく形になるのだが、ご主人や家族の為に、ご飯を作ったり家事をしたりする事で、功徳を取り返している。
共働きで、奥さんも家賃や家計を助けているような場合は、ご主人と同じように功徳を稼いでいる事になるので、ご主人も家事は分担したほうがいい。功徳的に見れば家事も立派な仕事になるからだ。
やがて両親の功徳に見合った功徳を持った子が生まれてくる。その子供を育てていく事で、また功徳は積まれる。

年をとって年金生活になる。子供が若い頃、子供の為にと懸命に功徳を積んだ親は、自然と子供に助けられる。
死期はさまざまな理由によって決まってくる。基本的には稼ぐ功徳よりも消耗する功徳の方が大きかったりするとある程度功徳が無くなった時点で、病気や事故に遭いやすくなる。
ただ、様々なケースがあるので一概にそうだとは言えない。自分ではなく家族のカルマを吸収してしまう事で生じる病気もある。それでもとにかく何らかの浄化だと考え、何の浄化なのか気付きに至り、前向きな気持ちを保つ事ができれば、功徳さえ残っていればそう言ったものも乗り越える事は出来る。
あるいはそういった前向きな気持ちを保つ事自体もまわりにいい影響を与えるので、新たな功徳になる。
理想は老衰で、幸せな気分で亡くなることだ。

そして亡くなると、残った功徳は来世に持ち越され、その功徳に見合った人生が来世で展開する。
なので、もう亡くなるって時は、財産があったら出来るだけ手放したほうがイイかもしれない。手放す事で財産は功徳に換金され、もっとイイ来世に繋がるかもしれない。

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功徳がどういったものかイメージ出来てきただろうか。人に親切にした時、ちょっと温かくなる様な感覚。あれが功徳が入ってくる感覚だと考えるといい。
逆に、人と騒いで楽しくした後、妙な寂しい感覚があるだろう。あれが功徳を消耗した時の感覚だ。

え?人と楽しく過ごすことは幸せなことだしイイことなんじゃないの?と思うだろう。
単純に日々の辛さを忘れるために騒ぐだけとか、特にこれからの人生になんらイイ変化をもたらす事に繋がらない様なお楽しみは、功徳を消耗するだけと言える。だから終わった後に寂しい気持ちになる。
なので友達と騒いだり楽しんだりする時は出来るだけ互いにまた明日から仕事頑張ろう!みたいな前向きな気持ちに互いになれる様な楽しみ方のほうが理想的だとは言える。

最初のお客さんの天界から落ちた時のエピソードの話。その人は天界で働かずに遊んでいて堕ちてきたと言う。こう言った表現をする天界の記憶を思い出す人は、これまでにも何人かいた(功徳が無くなって落ちてきたと言っても、人間に比べたら全然ある方なので、人間界では比較的、楽な暮らしの出来る人生を送っているはず)。
これらの話から、人間界は目に見えるお金を稼いで生活していく形だが、天界は功徳を稼いで生活していける次元と解釈することが出来る。
しかしこの功徳を稼いで生活できると言うのは基本的にはこの人間界においても同じだ。 功徳を稼ぐと、お金は後からついてくる。
功徳があり本当にお金が必要な時は、思わぬところから自然と入るものなのだ。 功徳は目に見えない、お金は目に見える。だからお金で生きていると錯覚しやすいだけなのだ。

次に、功徳についてもう少し具体的に例を挙げていく。

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【功徳のある人、ない人】
自分の周りの人達を一人一人思い出してみて欲しい。親切にしてあげたいと思う人、そうは思えない人と分かれるだろう。 あるいは、遊びに誘いたい人、誘いたくない人。何かおごってあげたい、おごりたくない人。
これがすでにその人達の功徳の違いをキャッチしていると言えるのだ。
何かと 親切にしてあげたくなる人は功徳を沢山持っていると言える。 簡単に言えば、そう言うことになる。

ただ実際には、複雑で単純にそうとも言えない場合も多い。 例えば、相手の方が、こちらの状態に影響されてその様に行動してしまうだけと言うこともよくある。 自分が欲張りだと、自然と周りの人もそのエネルギーに影響されて欲張りになる。オークションやバーゲンにいくと競って欲しくなるのは、その為だ。
常に損したくないと、お金に必要以上に囚われていると、自然と自分と接する人もお金に対して損したくないと言う意識が強くなるので、結果的に余計にお金が入りにくくなったりする。
一見得したように見えても、それが自分の功徳に見合ってないと、得した分だけ別の所で損をすることもよくある。
逆に普段から人に親切するのが好きな人は、自然とその人の周りの人も親切な人が集まりやすいものだ。
もちろんこれらは親の影響も大きい。 実際にはその人自身ではなく親のカルマや波長の影響で、その人の性格が本来のものではない様な状態になっていることもある。

それでも本質的に功徳のある人は、誰からも信頼され自然と人気が出てくるものなので、すぐにわかる。
その人が何か困ってると自然と助けが入る。それほど働いてる様でもないのに、お金に困まってる様でもない。
常に前向きで、その人と話をしているだけで元気になってくる。そう言った人が本質的な功徳を持ち合わせている人と言えるだろう。

【うつわを大きくする】
では、どうすれば功徳を沢山持てるか。エリアシフトでは功徳の話と一緒にうつわの話をする。うつわと言うのは、功徳を貯めるためうつわだ。このうつわは、人によって大きさが違い、沢山の功徳を貯めるためには、このうつわを大きくしなければならない。うつわが小さいといくら功徳を貯めてもこぼれ落ちてしまうからだ。
うつわと言うのは、その人の精神性とでも言えばいいか。例えば目先の事でなく、沢山の人の将来の幸せに繋がるような事が実行できる人、会社全体や、国全体、地球全体を考えて、日々行動に移せる人など。あの人はうつわが大きいと言う表現で表されたりもするだろう。 そういった人は、うつわが大きく、貯まる功徳も大きいので、それだけイイ事や幸せな事も起き易い。

ただしそう言った沢山の人に影響を与える立場、そこには集合的カルマ、集合的功徳、とでも言えばいいか、そこに絡む違うエネルギーの影響もあるので、また話は変わってくる。
政治家なんかは、国全体の業や功徳に影響される事も多く、本当によい政治が出来れば、とても大きな功徳に繋がるが、悪い政治に繋がると、その業も深い。
ただし、例えば1000人を虐殺した政治家が、そのカルマによって来世で1000回殺されるのかと言うとそうでもない。 指示したのがその政治家であっても、実際に1000人の虐殺が起こることは、災害に近く、その国の業の影響の方が大きい。
その政治家が背負うカルマは、その魂の背負える大きさに限られる。同時に積んだ功徳も来世に持ち越せるのは、その魂の持っているうつわの大きさに限られ、残りはこぼれ落ちてしまう。

これは、妙に京ひぷのに限っての事なのか、特に幕末と戦国あたりの歴史上の人物の記憶を思い出す人が多く、なんだかそんな歴史上の人物で頑張ってた人なのに、今世では普通に主婦?みたいな、ちょっとそのギャップに心の底で身悶えしていたのだが、客観的に考察していく中で、自分の中で出てきた結論が、上記の様な感じだ。
もちろん国を動かすほどの立場になるだけでも、多大な功徳が必要になる。それだけの功徳を稼ぐには、それだけ多くの人の信頼を得る事が重要になるだろう。

かなりに横道に逸れたが、うつわを大きくする為には、近い表現で言えば、自分個人や家族と言った単位ではなく、沢山の人の幸せになることを考えて行動できるようになる事と言えばいいだろうか。手段は色々あるとは思う。

【人を通しての功徳のため方】
器が大きくなると自然と功徳も貯まりやすくなるものではあるが、もう少し具体的なため方としては、基本的には人に感謝されるような事をどんどんやっていく事だ。
別に言葉で感謝されなくてもイイ。その人が、ああ助かったと、幸せだと感じてもらえるだけでいい。
朝早く学校に来て、自分の教室や部室を掃除する。そんな事でも功徳はたまる。自分が掃除した事を知られる必要は無い。

例えば、人が困っている時に自然とスムーズに助けられる人と言うのは、功徳の積みがうまい人だ。
相手が次にこの行動に移す時、これがないと困るだろうと、相手の気持ちを自然に察知でき、助ける事ができる人。 いわゆる「気が利く人」だ。
こう言った人は小さな功徳を意識せずに自然と積んでいるので、いい運気を掴みやすい。

人のいい部分を見つけて素直に褒める事ができる人も、功徳の積みがうまい。 人の中の目に付くいい部分と言うのは、自分の中にも眠っている同じイイ部分とも言える。
だから人を褒めれば褒めるほど、功徳になると同時に自分のイイ部分が刺激され成長する。

小学低学年の頃、その時の担任の先生が、早く賢くなる方法として、こんな事を言ったのをよく覚えている。
「家の玄関で、斜めになった靴をちょっと正しく直すだけでも、脳のしわが1本増えて賢くなるんですよ」
これを聞いた当時の自分は、それはすごいと思って、毎日靴の位置を直したら、自分はどこまで賢くなるんだろうとワクワクしながら、親が靴を斜めに脱ぎ捨ててくれるのを心待ちにしていたものだ。
それで脳の皺が何本増えたかどうかはわからないが、これって今から考えると、徳積みにはなってたんだろうなって思う。 だから子供に自然と功徳を積ませるには、こういう教え方もイイかもしれない。

【自然を通しての功徳のため方】
自然から功徳をもらう方法もある。自然のある場所に行ってすがすがしい気持ちになる。そんなのでもいいし、自然の場所が遠ければ、日の出を見て太陽からエネルギーをもらう方法もありだ。特に朝と言うのは、太陽からとても綺麗なエネルギーが注がれる。こう言ったエネルギーを貯める方法もある。
ん?自然や太陽のエネルギーって功徳なのか?と思うかもしれない。私も今書きながら少し思った^^;
いや、でも確かに朝は、外を歩いてるだけでも気持ちがいいし、明らかに昼間とエネルギーの質が違うと思う。元気になる感覚がある。十分功徳だと思う。
まぁ、ちょっと確信はないので、また何か分かったら追記しようと思う。

あとは、天からもらう方法。これはエリアシフトの最後では「供養」として説明した。神様や自分のご先祖さんに対して食べ物や水を献上してから頂く方法だ。
具体的には、お墓参りに行って、お供えしたものを、帰ってから頂く。神さんや天界の存在に供養して功徳をもらう方法もあるが、この辺りは、あんまりスピ系に偏ると、中にはただの動物霊を天界の存在と錯覚してしまう人もいて、ちょっと危険な部分もあるので、WEB上では説明を省略する。 先祖供養だけでも十分だと思う。

【自分の目標は、人の目標を手助けする事で叶い易くなる】
色んな職業において、その道を極めるために弟子入りする事が昔からあるだろう。 弟子入りと言うのは、弟子の間は、師匠の身の回りの世話や手助けをひたすら行う。 雑用ばっかりで、全く仕事を教えてもらえない。いつになったら仕事を教えてもらえるんだろうと、そんな状態のお弟子さんもいるだろう。
しかし功徳と言う視点で見ると、弟子として、師匠の身の周りを世話する状態だけでも、ちゃんと師匠の仕事の運気、功徳を分けてもらっている事になる。 だから仕事を教えてもらえなくても、ちゃんと自立する為の功徳は溜まっていくので、何も心配は要らない。 弟子をしながらも自分なりに自分の腕を磨けばいいのだ。
そうすれば、ある一定の功徳が溜まった時点で必ず何らかのチャンスが訪れる。それを逃さず掴む事だ。
逆に師匠に対する不満ばかり溜め込むと、余計に功徳は溜まらない。 将来の夢がある人は、とにかくその夢を叶えている人に近付いて手助けする。そうする事で、その分野での道が開けやすくなり功徳も積みやすい。

【功徳の消耗を防ぐ】
人を傷つける事や迷惑をかけることは大きな消耗に繋がる。人に依存したり、助けられる事も功徳の消耗になる。
自分で出来る事は出来る限り自分で行う。人に頼らないことは功徳を消耗しない基本姿勢としてイイ事だとは思う。 でもそれに慣れて、余裕が出てきたら、積極的に人に親切を行って功徳を積み、同時に人からの親切も、ああこの人はすばらしい功徳を積んでるんだなと、考えて受け止めて、その人を褒め称える事で、よりいっそうその人が功徳の積みに励むようになったら、その事自体が自分自身の功徳にも繋がるので理想的だ。

その他、「楽しむ」と言うのも功徳の消耗に繋がる。これは先ほどの天界から堕ちる話からも分かる。 楽しむ事がいけないと言うわけではない。生産的な事に繋がらない楽しみが、タダの功徳の消耗と言う事だ。
単純に楽をする、楽しむ、喜ぶだけでは、確かにそれによって功徳は消耗される。 先ほども書いたが、みんなで飲んだ後、ちょっと寂しくなるあの感覚が功徳の消耗だ。

しかし、その楽しみによって自分がよりいっそ前向きになる。前進に繋がるなら、ちょっとした功徳の消耗も それ以降の大きな功徳の積みに繋がるならなんら問題ないだろう。
よく大きな仕事が片付いた後、みんなで乾杯しようみたいな事は、あるだろう。 これは乾杯が功徳の消耗に繋がり、大きな仕事が片付いたあと、つまり大きな功徳が積めた後なら多少功徳を消耗しても大した事は無いだろうと潜在的に分かっているからだ。

小さい頃、この勉強が終わったら、お菓子を一個食べようみたいな事をしてた人もいただろう。
人間は潜在的に、楽しみが功徳の消耗に繋がる事も、人の為に動く事が功徳の積みになることも、よく知っているのだ。
なので、人と楽しむ時は、何かそこに目的を作っておく事が、消耗を抑えるコツだ。今日はみんなで楽しんで、明日からまた頑張ろうみたいな。そんな気持ちで楽しめるならいいと思う。
例えば、友達と呑みに行って別れる時は、「じゃあ今度は、○○さんが、○○出来た時にまた呑もう」みたいな感じで目標を立てるだけでもいい。するとまたみんなで呑むのが楽しみだと思いながら、その目標まで頑張れる。
逆に、ああこのままずっとみんなと楽しみたい、死ぬまで飲んで朽ち果てたい。。みたいな心構えは、気持ちは分かるが残念ながら功徳は消耗していく一方だ。

【無意識の功徳の消耗を防ぐ】
功徳の積みが下手な人は、自分で気付かないうちに人に迷惑をかけていたりするものだ。
例えば、何気にゴミを道に捨てる。特に日本は道が綺麗な方なので、ちょっとしたゴミも結構目立つ。
捨てた本人は、軽い気持ちだが、想像してみて欲しい。 そのゴミが、誰かが掃除をして片付けられるまでに二日かかったとする。その二日の間に、そこを1000人の人が通り、その中の300人の人が、そのゴミを見て嫌な気分になったとしたら。。
捨てた本人は、300人分の気分を悪くさせたと言う事になる。それだけ功徳を消耗した事になる。

いつも思うのはメディアの恐ろしさだ。何万と言う人が目にする一つの番組でも、見る人を幸せな気分にさせる放送内容にするか、不安をあおる放送内容にするかで、どれほどの功徳の差が出るのだろうと。
今なら、ネットの影響力も大きいだろう。普通の友人関係の間レベルで考えたら、たいした事のない悪い冗談でも、それをネットで流して、それを見た人のうち1万人の人が気分を害したとしたら、その影響を想像する事は難しくない。ブログ炎上や、逮捕される人。普通に考えたらちょっと大げさなのではと思うような事態になってしまうのは、この為だ。1万人分の迷惑料を支払わされている様なものなのだ。
政治家のちょっとした失言がすぐ政治家生命に響いてしまうのも今のこの情報化社会の特徴とも言える。 ただ、逆に言えばちょっとした人に幸せを与えるような事をネットで発信し、それを1万人の人が読んで、幸せな気分になれたら。これもまたすごい功徳になると言える。

そんな感じで、功徳の積みと消耗は気づかない所にも沢山ある。だから自分の行動で人がどんな気持ちになるのかと言うことをよく客観的に理解しておく事が大事だ。そこを意識できる人なら、無意識に功徳を大きく消耗するような失敗はしない。
と言うか、本当はそんな功徳の積み云々を意識せずに、自然と功徳が積める人になる事が最も理想的だ。

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天界では、人間を助ける事で徳が積める。他にも物質界の生命を守ったり、成長を促す事で徳は積める。
しかし、人間界に比べると天界で徳を積むというのは実は結構難しい事なのだ。
なぜなら、天界は人間界に比べて苦しみそのものが絶対的に少ない。まぁ、苦しい事が少ないから天界と言えるのだが。 だから助けを必要とする人がほとんどいない。だから徳の積み様が無く、物質界の生命を助けて、功徳を積んでいる。

天界って一見、幸せそうなイメージだが、苦しみの無い世界を具体的に想像してみて欲しい。 苦しみがないという事は、楽しみを楽しみとして認識できないと言うことなのだ。
人間界には一定の苦しみがある。苦しい事があるから、楽しい時を、ああ楽しいと認識できるのだ。
苦しみが無くなったら、楽しみとはいったい何と比べて楽しいと感じればよいのか。
だから苦しみをよく知っている人ほど、楽しみたい、楽がしたいと感じる事が出来るのだ。

人間界は苦しい事が沢山ある。おかげさまで功徳を積むチャンスがゴロゴロ転がっている。
つまり苦しい世界と言うのは、非常に功徳が積みやすい世界とも言えるのだ。
もう天界から見れば、功徳を積める最高の穴場だ。 だから功徳が無くなって天界から落ちてくる魂もいれば、その功徳を大量に稼いでやろうと出稼ぎ感覚で天界から降りてくる魂もいるのだ。
あんまり長く天界にいると、退屈すぎて、むしろ苦しい事が刺激的で魅力的に感じられてしまったりするのだ。

その人が、天界から単に堕落して堕ちたのか、それとも功徳を積みに降りてきたのかは、その人が、この人間界でどのような生き方をするかによってわかるだろう。
単純に功徳を消耗し続けるような生き方なのか。あるいは功徳を積みまくるような生き方なのか。
そしてそれが来世どこに転生するかに繋がっていく。
また人間として似たような人生を送るのか、今世で積んだ功徳によって、もっと高い世界に転生するのか。
これからの自分の生き方で全て決まっていく。

第一印象で、その人を見極める方法

人との出会いは、縁によって生じる。
逆に言えば縁が無ければ、言葉を交わす事も、出会う事も、見かける事さえも難しいと言える。

イイ人との出会いはうれしいものだ。しかし嫌な人との出会いは、出来れば避けたいものではある。
第一印象は良かったのに、付き合ってみたら、ひどく傷つけられた。なんて事もあるだろう。
今回は、この人との縁を、第一印象のみで、ある程度見分ける方法を書いてみる。

その前に縁と言うものについて、ちょっとあらためて整理しておこう。

まず、家族の縁について考えてみて欲しい。
特に親子の縁は、あらゆる縁の中でも非常に縁が深い相手と言える。 信頼しあえ一緒にいて当然だと感じる家族なら、また来世で家族や恋人なんらかの形で、近い縁であっても納得できるだろう。

では、子供を虐待する親。親に暴力を振るう子供。どう考えても性格的に似ても似つかない兄弟。 とても愛情があるとは思えない様な親子の場合はどうだろう。
「なんで、こんな親の元に生まれたんだ!」「何でこんな子に育ってしまったの?」 そんな納得のいかない親子関係もある。

しかし、これも「囚われ」と言う視点から見れば、何ら不思議ではない。
「大好きな家族と、また来世で一緒になりたい」と願うのも「大嫌いな家族と、二度と来世では一緒になりたくない」と願うのも、潜在意識においては、その「家族」に意識が強く囚われていると言う意味では同じだからだ。 どちらもまた来世で家族や友人、近い関係性の中で生まれやすい。

潜在意識においては「好きも嫌いも同じ」であり、「好き」や「嫌い」の逆は「好きでも嫌いでも無い」になる。

つまり、あの人が好きとか、嫌いとか、気になる人、と言う具合に、感情が動く相手は、確実に前世で何らかの関係性があると言える。 逆に、縁のない人と言うのは、感情が動きにくい事はもちろん、その人の存在に気付く事自体難しいものと考えてイイ。

ただし、縁は感情で惹き合うと言うより、「似た要素」を持った者同士で惹き合うと言う感じだ。なので、感情があんまり動かない相手であっても、何故か一緒にいる事が多い相手、空気の様な存在みたいなパートナーと言うのは、これまた縁が深いと言える。 ただ「似た要素」を持つ者同士なら仲良くやっていけそうなのだが、実際にはそうとは限らない。

例えば「満たされた」と言う要素を持つ人なら、同じ様に「満たされた」人と縁が生じやすく、そんな縁ほど互いに「満たされた」空気の様な感覚で馴染めるかもしれない。

しかし「寂しい」と言う要素で惹き合う縁になると、寂しい者同士で一緒にいると寂しさが無くなるのではと思われそうだが、そう言うものではない。
「寂しさ」と言うのは、このサイトでも何度も書いてる様に、「親に愛されていないかもしれない」と言う不安を兼ねた寂しさと言える。
恋人によって満たされるのではと錯覚しやすいが、満たされる事なく、じゃあ違う人なら満たされるかもと浮気をしたり、別れや出会いを繰り返したりもするのだが、この寂しさは親によってしか満たされる事がない。そこに気付かないとなかなかぬぐえない「寂しさ」なのだ。

「怒り」「嫌悪」と言う要素で惹き合った場合はどうか。「怒り」や「嫌悪」と言うのは「理解されたい」と言う気持ちの裏返しでもある。
互いに「私を理解して欲しい」と相手に求めるが、理解されたいと感じている人が、相手を理解しようとするだけの気持ちの余裕を持つ事は難しく、結局ケンカや争い事を起こしてしまう。

人の縁とは、こんな感じで、似た要素を持つ者同士で生じ、そこに様々な人間関係が生じてくるのだ。

では、これらの事を、踏まえて、第一印象で、どうやって相手を見極めるかの話に戻ろう。
初めて会った人に対して、自分の心がどう動いたかを客観的に感じる事で、相手との縁をある程度見極める事が出来る。

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■第一印象の違い

【1.波乱の予感】相手を見た瞬間、強烈な印象を感じる相手。

一目惚れ、大好きと感じる相手。あるいは大嫌いと感じる相手。苦手意識や緊張感が生じる相手など、とにかく感情が大きく揺さぶられる相手がこれに当たる。

大好きな人と、大嫌いな人が、一緒にくくられてしまうのか!?と思うかもしれない。 しかし潜在意識とは、そう言うもので、「大好きか、大嫌いか」の問題ではないのだ。感情が「激しく動く」か、「動かない」かが問題なのだ。 つまり、「強い囚われの縁」にあたる相手だ。大好きだった前世もあれば、大嫌いだった前世もあると言える。

ドラマで言えば第一話で衝撃の出会いが起こり、主人公が運命だと感じて急速に惹かれていく相手。 あるいは、主人公に対し宿命の敵として登場するイジワル役がそうだ。

大きく感情の動く相手と言うのは、イイ意味でも悪い意味でも、感情の波の激しい前世の縁だったと言える。 大の仲良しだった生もあれば、互いに憎みあってた生もあるだろう。 最初に一目その人をみた時、イイ意味でも悪い意味でも、特にドキドキするような相手だったら、慎重に関係性を築いていった方がイイ。このドキドキの感覚というのは、ある意味潜在意識が、前世においてこの人の事で大いに苦しんだ、と言う事を覚えているからドキドキするのだ。

異性で互いにドキドキしてる感じなら、大恋愛、大失恋を繰り返してる相手だろう。喋りかけたいけど怖くて声をかけられないなど、こちらだけがドキドキしてる感じなら、長年の片思いで苦しんだ相手かもしれない。
ドキドキとまではいかないが、すんごく愛おしい、離れると耐えられない様な場合、 先立たれて長年忘れられなかったという可能性もある。
立場的に話しかける事さえ難しい相手だけど強烈に惹かれると言う場合、前世でも身分の差で苦しんだ相手かも知れない。
そんな感じで、自分の中の印象から、前世での相手との関係性は、ある程度つかめる。
他にも色んなパターンはあるが、基本的には 苦しんだ方が、潜在意識には残りやすく、来世で惹かれやすいので、特に一目惚れの場合は、今世においてもまた大きく苦しむ可能性がある事は覚悟しておいた方がイイだろう。
その人と苦楽を共にし、これから長年、傷つけ傷つけられ、激しい恋愛がしたいと言う人ならお勧めする。 でも無駄に歳を取りたくない、平穏な結婚がしたいと言う人にはお勧めしない。

同性なら大親友あるいは憎しみ恨みの関係の可能性と言った感じだろう。 一気に仲良しになる感じだったら、あんまり距離を詰めると怖い。一応ある程度距離を保って、接する事をお勧めする。

逆に苦手意識がふつふつ湧く様な相手なら、もし会社の同僚など、この先もう避け様のない付き合いが必要となるなら。 向こうも苦手だと感じている事が多いので、あえて、こちらから弱さを見せたり、話しかけたりして接近するとイイ。
それで、嫌な態度を取られても気にすることはない。 少なくとも相手がこちらに対する苦手意識が小さくなると、こちらの苦手意識も自然と小さくなるので楽になるものだ。
ただ、苦手意識が無くなりすぎて、激しく親密になるのは気を付けた方がイイ。ある程度距離を保った方がイイ関係性と言える。

 

【2.平穏の予感】初対面なのに緊張感が湧かない、単純に話しやすいと感じる相手。

初めて会う人なのに、緊張感なく自然と喋れる。無言になっても、特に気にならない。別にそんな好きでも嫌いでも無いが、一緒にいると安心できる。 感情の波が、あんまり起こらない相手。
自然と一緒にいる事が多く、相手がいない時は、ちょっと寂しいと感じる。

わりと長続きしやすい縁と言える。前世でも長続きした縁の可能性が高い。 異性なら、退屈かもしれないが、浮気されたり離婚の心配もないし、トラブルも起こりにくい。 同性なら、気を遣わなくてもいい楽な相手と言った感じで、今世でも長い付き合いになりそうだ。

ちょうど、ごく普通の自分の親や兄弟に対する気持ちが、それに近いのではと思う。 普段は何とも思ってないけど、いなくなると、ちょっと寂しいと感じる様な相手が、これにあたる。

友達で言えば、最近連絡取ってないけど、まぁまた連絡を取ろうと思えば、たいして抵抗感なく連絡を取れるような相手。 異性で言えば、今まで恋愛対象としては考えた事なかったけど、いざ相手がいなくなると寂しいと感じるような相手。 ドラマで言えば、最終回で「そういやアイツは、いつもそばにいてくれた」と主人公が初めて気付いて、くっつく相手。

これは、さっきの相手に囚われると言う視点で見れば、縁が薄そうに見えるのだが、そうではなく波立つ関係か、波立たない関係かの違いだけとも言える。 一緒にいても、あんまりドラマチックな展開は望めないが、居なくなった時に初めて、その存在感に気付かされる様な人だ。

人間界より上の天界がこんな感じで、人間界に比べると苦しみがほとんど生じ無いだけに楽ではあるのだが、苦しみが無いと幸せを幸せと認識できなくなる。だからあんまり長く天界にいると、今度は何か変化が欲しいと下の世界に興味を持ってしまい、また人間界に落ちてくる。そんな魂も沢山いる。 我々も、当たり前の様に、酸素を吸っているが、呼吸する事自体難しい様な、ここより下の世界もまたある。そんな所に落ちて初めて、呼吸できる事の幸せに気付いても遅い。

ただ、もしどちらかが早死にしたり、今世に限って何らかのトラブルが起こった場合、来世からは【1】の縁に切替る可能性もある。
また、こちらは話しやすいのに、相手の方は妙に緊張している様な場合は、前世において自分が相手を苦しめていた可能性がある。
こういった場合は、まぁ‥とりあえず心の中で「ごめんなさい」と唱えておこう。。

 

【3.挨拶の予感】全く興味が湧かない。話してても何とも感じない相手。

ある程度の縁のある人なら「優しそうな人」だとか「苦手な人」と言う具合に、何らかの印象が出てくる。 その印象すら出てこない。とりあえず挨拶をするだけの関係の人など。こう言った知人レベルの関係者は、前世においてもそれほど深くかかわっていなかった可能性が高い。しばらくしたら切れる縁の人かもしれない。

ただ、興味は湧かなくても仕事で関係する人、何らかのグループで一緒の人と言う感じで、これからしばらく関わると言う様な人なら、それは感情に関係なく、何らかの似た要素を持つ者同士と言う縁があって惹き合っている人だ。
こう言った人は、これから来世にかけて縁が深くなる可能性があるので、信頼できそうな人であれば、ちょっと積極的に関わってみても面白いかもしれない。意外な共通点など見つかるかもしれないし、それほど仲良くはなれなくとも、そこから縁が繋がって、来世辺りでは、もうちょっと親しい関係になってるかもしれない。

 

【4.無縁の予感】全く気付かない、何にも感じない相手。

まぁ、縁のない人と言うのは、互いに気づく事、見かける事自体難しい。
なので、わざわざ前世や来世での関係を、ここで考える必要もないだろう。

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では続いて、初対面の人に対し、前世ではどういう縁であれ、今世では、どういう人なのかを素早く見抜く方法だ。
上記の第一印象での判断を踏まえて、以下の点を意識しておけば、5分も喋れば相手がどういう人か掴めるだろう。

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■相手の雰囲気から理解する。

・怒り口調の人。怖そうな人。口の悪い人。
怒りは、理解されたいと言う気持ちの裏返しだ。「本当の自分を誰もわかってくれない」と感じている。 こういう人には、まず聞き手に回って、その人の話をよく聞く。その人を理解しようと言う気持ちで接する必要がある。

・やたらはしゃぐが、どこか寂しさを感じる人。
寂しいから無理に楽しい空気を作ろうとするタイプ。しかしそれは、その人にとって一時的に寂しさが紛れるだけに過ぎない。 安易に優しくすると、依存に繋がったり、すぐ裏切られたと思われたり、難しい部分は多々ある。 この寂しさは多くの場合、本人の親に対する感情に関係する。その辺りを理解していく必要がある。

・嫉妬心をかきたてる様な行動や話をする異性。
これも、根本的にぬぐえない寂しさを抱えている人に多い。嫉妬心をかきたてられる様な行動を見せつけられた時、自分の中に嫉妬心が湧いてくる様なら、自分も相手と同様に寂しさを抱えていると言う事になる。気は合うかもしれないが互いに浮気しあう様な「波乱の予感」も覚悟した方がイイ。
逆に相手の行動にあきれて、気持ちが覚めてくる様なら、恋愛対象としてはお勧めしない。振り回されるだけだろう。あなたにとってその人は幼く感じるかもしれないが、このタイプは先ほどと同様、本人によってしか解決できない寂しさを抱えている。その事を意識して距離を維持して関わるなら問題ないだろう。

・理論的に話す人。情報だけの会話の多い人。
どこそこの店は、ああだこうだと言う、感情の伴わない情報のみの会話が中心の人は、自分の感情がうまく出せていない人なので、ストレスを貯めていやすい。こちらから気持ちに関わる会話、例えば恋愛話などを持ち込めそうであれば、その辺から少しずつ解きほぐしてあげられるとイイ。

・こちらの話をよく聞いてくれる人。
普段からカウンセラーの様に、よく話を聞いてくれる人と言うのは、ある程度自分の気持ちに余裕があるから出来ると言える。 ただ、こちらとしては自分が話すだけで、相手の話が聞き出せないので、実際に相手がどういう人か、気持ちがどうかとか分かり難かったりするので難しい。
特に異性の場合、話をよく聞いてくれるから、つい好意を持ってくれてるんじゃないかと思ってしまいやすいが、その前に自分はどれだけその人の事を知っているのか、よく思い返してみてから考えた方がイイだろう。 このタイプを早く理解するには、相手と同様、こちらも上手に聞き手に回る事だ。

・口下手な人、無口な人。
これは人によって、様々なので、単に喋らないから寂しい人とか判断できない。 親によく怒られた人は、会話をする時も、相手の表情を伺いながら話す癖がついていたり、親がよく喋るから子供もよく喋るとも限らない。 喋り方からだけでは、見えてこない部分も沢山ある。
なので、とりあえず相手の話す話の内容の方に意識を向けた方がイイだろう。 こちらからも心を開きつつ、質問などで、その人の心に近付いて少しずつ理解していくしかない。

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続いて、その相手の話す内容から理解できる点を挙げる。

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・口癖や人の評価する言葉、悪口は、その人自身を表す。
初対面で、たった5分ほどの間で、繰り返されるキーワードがあったら、その人自身がそのキーワードに関係する事で、何らかの形で「囚われている」と見る事が出来る。
例えば、友達の事を「裏切られた」とか「信用できない」といきなり繰り返す人なら、「裏切り」と言う要素を抱えている人と見る事が出来るので、この人は以前にも何度か裏切られている、あるいはこの人自身が誰かを裏切って、その罪悪感を背負っている為に囚われている可能性がある。
特に裏切った友人を責めるような口調の場合、自分が誰かを裏切っており、それを認めたくないから友達の似た部分を責めている可能性が高いと言える。
なので、人の悪口を繰り返す人は、ある意味、心の深い部分では、自分自身の悪い部分、認めたくない部分を自分でもよく認識しているとも言える。 その人自身が、そこを素直に人に話せるようになると、本人は楽になりやく、自然と人を責める様な悪口も言わなくなる。

・こちらの話を遮ってでも自分の事を喋ろうとする人。
人に分かってもらえていないと普段から感じている可能性が高い。 何でも言いたい事を言ってるような印象を与えるが、実は本当に言いたい事が何も誰にも言えていない人だ。本当に言いたい事がなんなのかを理解する必要がある。

・卑屈な言葉を繰り返す人。
認めて欲しいと強く感じている。 認める言葉がけをすればイイが、依存に繋がりやすいので、まず何故いつから認めてもらえないと感じる様になったのか探る必要がある。

・自分の事を大きく見せようとする人。
自信のない表れと言える。 褒めた所で、本人は一時的にしか満足できず、依存に繋がる可能性もある。自分を大きく見せなければならない理由が過去にあるので、そこを理解する必要がある。

・感情の言葉をよく口にする人。
嬉しいとか寂しいとか、ストレートに口に出来る人は、ストレスを貯めにくく、人とも溶け込みやすい。
ただ、素直な自分を演じているだけの人もいるので、その場合はちょっと難しい。その辺は口調でわかると思う。

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ちょっと思いつくまま書きなぐった感じなので、整理しきれていない部分も多々あるし、他にも色んなケースがあり、全部がこの通りに当てはまるわけでもない。あくまで参考程度にとらえて欲しい。

ただ、誤解されると困るのだが、これは、相手を判断する材料と言うよりは、相手や自分を理解する材料として考えてもらえるとうれしい。
まぁ「第一印象で、その人を見極める方法」と書いた方が興味をひくだろうと思って、このタイトルにしたのだが、本当は「第一印象で、その人を理解する方法」だ。

「なるほど、あの人は人の悪口ばかり言ってるから信用できない人だな、さっさと縁を切ろう」と、気付いてもらう為に書いたのではない。
信用できない人だからと嫌悪して、無理に縁を切った所で、必ず似たよな信用できない人は、また現れる。
と言って、別に嫌だと感じる人と頑張って仲良くしようと言ってるワケでもない。その人がどういう人か早く理解する事で、嫌な人をワザワザ嫌だと感じて苦しむ必要がない、囚われる必要が無いと言う話なのだ。
囚われなくなったら、自分と似た要素が無ければイヤでもじきに縁は切れるので、気にする必要も何もないと言う事だ。

意地悪な人も、別に心から望んで意地悪な人になってるわけではない。意地悪な人になるのも難しいものだ。必ずその切っ掛けとなる過去があり、しかたなく運命で意地悪な人になってしまっているだけの話だ。
世の中の犯罪者も同じだ。生まれた時から犯罪者を目指す人はいない。

そもそも、そう言った意地悪な人、信用できない人と出会った、縁付いたと言う事自体に意味があり、自分自身の中にその理由があるものなのだ。

最初にも書いたとおり縁は「感情」で惹き合うのではなく「似た要素」を持つ者同士で惹き合うのだ。
どんなにイヤな人、信用できない人であっても、自分と何らかの「似た要素」を持っているから出会うのだ。

あの人は嘘をつくから信用できない。でもその嘘をつく人と出会った自分の中にも必ず、その人と似た要素を持っていると言える。
もしかするとその人は、注目されたくて、寂しくて、愛されたくて、イイ人だと思われたくて嘘をついているのかもしれない。
そう考えた時、自分は嘘はつかないけど、注目されたいと考えるのは私も同じだ。。と言う具合に探せば必ず何らかの似た要素を持っている。だから出会ったと言えるのだ。
そこに気付けた時、相手の気持ちを理解出来た時、きっとイヤな人はイヤな人でなくなる。そこに気付いて欲しくて書いたのだ。

好きだと感じる人も、嫌いだと感じる人も、どちらも自分自身の中の深い所にいるもう一人の自分との出会いだ。
イイ人との出会い、悪い人との出会いは、認めたい自分、認めたくない自分との出会いとも言えるのだ。

出会いと言うのは、必ず意味がある。
そしてあなたがこの文面を今読んでいる事にも必ず意味はあるハズだ。