心応理学WEB事典

「現象は心に応じて変化する」と言う考えを元に感情ごとに分類、体系化した「ここれんね」オリジナルの「心の理学」です。

第一印象で、その人を見極める方法

人との出会いは、縁によって生じる。
逆に言えば縁が無ければ、言葉を交わす事も、出会う事も、見かける事さえも難しいと言える。

イイ人との出会いはうれしいものだ。しかし嫌な人との出会いは、出来れば避けたいものではある。
第一印象は良かったのに、付き合ってみたら、ひどく傷つけられた。なんて事もあるだろう。
今回は、この人との縁を、第一印象のみで、ある程度見分ける方法を書いてみる。

その前に縁と言うものについて、ちょっとあらためて整理しておこう。

まず、家族の縁について考えてみて欲しい。
特に親子の縁は、あらゆる縁の中でも非常に縁が深い相手と言える。 信頼しあえ一緒にいて当然だと感じる家族なら、また来世で家族や恋人なんらかの形で、近い縁であっても納得できるだろう。

では、子供を虐待する親。親に暴力を振るう子供。どう考えても性格的に似ても似つかない兄弟。 とても愛情があるとは思えない様な親子の場合はどうだろう。
「なんで、こんな親の元に生まれたんだ!」「何でこんな子に育ってしまったの?」 そんな納得のいかない親子関係もある。

しかし、これも「囚われ」と言う視点から見れば、何ら不思議ではない。
「大好きな家族と、また来世で一緒になりたい」と願うのも「大嫌いな家族と、二度と来世では一緒になりたくない」と願うのも、潜在意識においては、その「家族」に意識が強く囚われていると言う意味では同じだからだ。 どちらもまた来世で家族や友人、近い関係性の中で生まれやすい。

潜在意識においては「好きも嫌いも同じ」であり、「好き」や「嫌い」の逆は「好きでも嫌いでも無い」になる。

つまり、あの人が好きとか、嫌いとか、気になる人、と言う具合に、感情が動く相手は、確実に前世で何らかの関係性があると言える。 逆に、縁のない人と言うのは、感情が動きにくい事はもちろん、その人の存在に気付く事自体難しいものと考えてイイ。

ただし、縁は感情で惹き合うと言うより、「似た要素」を持った者同士で惹き合うと言う感じだ。なので、感情があんまり動かない相手であっても、何故か一緒にいる事が多い相手、空気の様な存在みたいなパートナーと言うのは、これまた縁が深いと言える。 ただ「似た要素」を持つ者同士なら仲良くやっていけそうなのだが、実際にはそうとは限らない。

例えば「満たされた」と言う要素を持つ人なら、同じ様に「満たされた」人と縁が生じやすく、そんな縁ほど互いに「満たされた」空気の様な感覚で馴染めるかもしれない。

しかし「寂しい」と言う要素で惹き合う縁になると、寂しい者同士で一緒にいると寂しさが無くなるのではと思われそうだが、そう言うものではない。
「寂しさ」と言うのは、このサイトでも何度も書いてる様に、「親に愛されていないかもしれない」と言う不安を兼ねた寂しさと言える。
恋人によって満たされるのではと錯覚しやすいが、満たされる事なく、じゃあ違う人なら満たされるかもと浮気をしたり、別れや出会いを繰り返したりもするのだが、この寂しさは親によってしか満たされる事がない。そこに気付かないとなかなかぬぐえない「寂しさ」なのだ。

「怒り」「嫌悪」と言う要素で惹き合った場合はどうか。「怒り」や「嫌悪」と言うのは「理解されたい」と言う気持ちの裏返しでもある。
互いに「私を理解して欲しい」と相手に求めるが、理解されたいと感じている人が、相手を理解しようとするだけの気持ちの余裕を持つ事は難しく、結局ケンカや争い事を起こしてしまう。

人の縁とは、こんな感じで、似た要素を持つ者同士で生じ、そこに様々な人間関係が生じてくるのだ。

では、これらの事を、踏まえて、第一印象で、どうやって相手を見極めるかの話に戻ろう。
初めて会った人に対して、自分の心がどう動いたかを客観的に感じる事で、相手との縁をある程度見極める事が出来る。

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■第一印象の違い

【1.波乱の予感】相手を見た瞬間、強烈な印象を感じる相手。

一目惚れ、大好きと感じる相手。あるいは大嫌いと感じる相手。苦手意識や緊張感が生じる相手など、とにかく感情が大きく揺さぶられる相手がこれに当たる。

大好きな人と、大嫌いな人が、一緒にくくられてしまうのか!?と思うかもしれない。 しかし潜在意識とは、そう言うもので、「大好きか、大嫌いか」の問題ではないのだ。感情が「激しく動く」か、「動かない」かが問題なのだ。 つまり、「強い囚われの縁」にあたる相手だ。大好きだった前世もあれば、大嫌いだった前世もあると言える。

ドラマで言えば第一話で衝撃の出会いが起こり、主人公が運命だと感じて急速に惹かれていく相手。 あるいは、主人公に対し宿命の敵として登場するイジワル役がそうだ。

大きく感情の動く相手と言うのは、イイ意味でも悪い意味でも、感情の波の激しい前世の縁だったと言える。 大の仲良しだった生もあれば、互いに憎みあってた生もあるだろう。 最初に一目その人をみた時、イイ意味でも悪い意味でも、特にドキドキするような相手だったら、慎重に関係性を築いていった方がイイ。このドキドキの感覚というのは、ある意味潜在意識が、前世においてこの人の事で大いに苦しんだ、と言う事を覚えているからドキドキするのだ。

異性で互いにドキドキしてる感じなら、大恋愛、大失恋を繰り返してる相手だろう。喋りかけたいけど怖くて声をかけられないなど、こちらだけがドキドキしてる感じなら、長年の片思いで苦しんだ相手かもしれない。
ドキドキとまではいかないが、すんごく愛おしい、離れると耐えられない様な場合、 先立たれて長年忘れられなかったという可能性もある。
立場的に話しかける事さえ難しい相手だけど強烈に惹かれると言う場合、前世でも身分の差で苦しんだ相手かも知れない。
そんな感じで、自分の中の印象から、前世での相手との関係性は、ある程度つかめる。
他にも色んなパターンはあるが、基本的には 苦しんだ方が、潜在意識には残りやすく、来世で惹かれやすいので、特に一目惚れの場合は、今世においてもまた大きく苦しむ可能性がある事は覚悟しておいた方がイイだろう。
その人と苦楽を共にし、これから長年、傷つけ傷つけられ、激しい恋愛がしたいと言う人ならお勧めする。 でも無駄に歳を取りたくない、平穏な結婚がしたいと言う人にはお勧めしない。

同性なら大親友あるいは憎しみ恨みの関係の可能性と言った感じだろう。 一気に仲良しになる感じだったら、あんまり距離を詰めると怖い。一応ある程度距離を保って、接する事をお勧めする。

逆に苦手意識がふつふつ湧く様な相手なら、もし会社の同僚など、この先もう避け様のない付き合いが必要となるなら。 向こうも苦手だと感じている事が多いので、あえて、こちらから弱さを見せたり、話しかけたりして接近するとイイ。
それで、嫌な態度を取られても気にすることはない。 少なくとも相手がこちらに対する苦手意識が小さくなると、こちらの苦手意識も自然と小さくなるので楽になるものだ。
ただ、苦手意識が無くなりすぎて、激しく親密になるのは気を付けた方がイイ。ある程度距離を保った方がイイ関係性と言える。

 

【2.平穏の予感】初対面なのに緊張感が湧かない、単純に話しやすいと感じる相手。

初めて会う人なのに、緊張感なく自然と喋れる。無言になっても、特に気にならない。別にそんな好きでも嫌いでも無いが、一緒にいると安心できる。 感情の波が、あんまり起こらない相手。
自然と一緒にいる事が多く、相手がいない時は、ちょっと寂しいと感じる。

わりと長続きしやすい縁と言える。前世でも長続きした縁の可能性が高い。 異性なら、退屈かもしれないが、浮気されたり離婚の心配もないし、トラブルも起こりにくい。 同性なら、気を遣わなくてもいい楽な相手と言った感じで、今世でも長い付き合いになりそうだ。

ちょうど、ごく普通の自分の親や兄弟に対する気持ちが、それに近いのではと思う。 普段は何とも思ってないけど、いなくなると、ちょっと寂しいと感じる様な相手が、これにあたる。

友達で言えば、最近連絡取ってないけど、まぁまた連絡を取ろうと思えば、たいして抵抗感なく連絡を取れるような相手。 異性で言えば、今まで恋愛対象としては考えた事なかったけど、いざ相手がいなくなると寂しいと感じるような相手。 ドラマで言えば、最終回で「そういやアイツは、いつもそばにいてくれた」と主人公が初めて気付いて、くっつく相手。

これは、さっきの相手に囚われると言う視点で見れば、縁が薄そうに見えるのだが、そうではなく波立つ関係か、波立たない関係かの違いだけとも言える。 一緒にいても、あんまりドラマチックな展開は望めないが、居なくなった時に初めて、その存在感に気付かされる様な人だ。

人間界より上の天界がこんな感じで、人間界に比べると苦しみがほとんど生じ無いだけに楽ではあるのだが、苦しみが無いと幸せを幸せと認識できなくなる。だからあんまり長く天界にいると、今度は何か変化が欲しいと下の世界に興味を持ってしまい、また人間界に落ちてくる。そんな魂も沢山いる。 我々も、当たり前の様に、酸素を吸っているが、呼吸する事自体難しい様な、ここより下の世界もまたある。そんな所に落ちて初めて、呼吸できる事の幸せに気付いても遅い。

ただ、もしどちらかが早死にしたり、今世に限って何らかのトラブルが起こった場合、来世からは【1】の縁に切替る可能性もある。
また、こちらは話しやすいのに、相手の方は妙に緊張している様な場合は、前世において自分が相手を苦しめていた可能性がある。
こういった場合は、まぁ‥とりあえず心の中で「ごめんなさい」と唱えておこう。。

 

【3.挨拶の予感】全く興味が湧かない。話してても何とも感じない相手。

ある程度の縁のある人なら「優しそうな人」だとか「苦手な人」と言う具合に、何らかの印象が出てくる。 その印象すら出てこない。とりあえず挨拶をするだけの関係の人など。こう言った知人レベルの関係者は、前世においてもそれほど深くかかわっていなかった可能性が高い。しばらくしたら切れる縁の人かもしれない。

ただ、興味は湧かなくても仕事で関係する人、何らかのグループで一緒の人と言う感じで、これからしばらく関わると言う様な人なら、それは感情に関係なく、何らかの似た要素を持つ者同士と言う縁があって惹き合っている人だ。
こう言った人は、これから来世にかけて縁が深くなる可能性があるので、信頼できそうな人であれば、ちょっと積極的に関わってみても面白いかもしれない。意外な共通点など見つかるかもしれないし、それほど仲良くはなれなくとも、そこから縁が繋がって、来世辺りでは、もうちょっと親しい関係になってるかもしれない。

 

【4.無縁の予感】全く気付かない、何にも感じない相手。

まぁ、縁のない人と言うのは、互いに気づく事、見かける事自体難しい。
なので、わざわざ前世や来世での関係を、ここで考える必要もないだろう。

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では続いて、初対面の人に対し、前世ではどういう縁であれ、今世では、どういう人なのかを素早く見抜く方法だ。
上記の第一印象での判断を踏まえて、以下の点を意識しておけば、5分も喋れば相手がどういう人か掴めるだろう。

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■相手の雰囲気から理解する。

・怒り口調の人。怖そうな人。口の悪い人。
怒りは、理解されたいと言う気持ちの裏返しだ。「本当の自分を誰もわかってくれない」と感じている。 こういう人には、まず聞き手に回って、その人の話をよく聞く。その人を理解しようと言う気持ちで接する必要がある。

・やたらはしゃぐが、どこか寂しさを感じる人。
寂しいから無理に楽しい空気を作ろうとするタイプ。しかしそれは、その人にとって一時的に寂しさが紛れるだけに過ぎない。 安易に優しくすると、依存に繋がったり、すぐ裏切られたと思われたり、難しい部分は多々ある。 この寂しさは多くの場合、本人の親に対する感情に関係する。その辺りを理解していく必要がある。

・嫉妬心をかきたてる様な行動や話をする異性。
これも、根本的にぬぐえない寂しさを抱えている人に多い。嫉妬心をかきたてられる様な行動を見せつけられた時、自分の中に嫉妬心が湧いてくる様なら、自分も相手と同様に寂しさを抱えていると言う事になる。気は合うかもしれないが互いに浮気しあう様な「波乱の予感」も覚悟した方がイイ。
逆に相手の行動にあきれて、気持ちが覚めてくる様なら、恋愛対象としてはお勧めしない。振り回されるだけだろう。あなたにとってその人は幼く感じるかもしれないが、このタイプは先ほどと同様、本人によってしか解決できない寂しさを抱えている。その事を意識して距離を維持して関わるなら問題ないだろう。

・理論的に話す人。情報だけの会話の多い人。
どこそこの店は、ああだこうだと言う、感情の伴わない情報のみの会話が中心の人は、自分の感情がうまく出せていない人なので、ストレスを貯めていやすい。こちらから気持ちに関わる会話、例えば恋愛話などを持ち込めそうであれば、その辺から少しずつ解きほぐしてあげられるとイイ。

・こちらの話をよく聞いてくれる人。
普段からカウンセラーの様に、よく話を聞いてくれる人と言うのは、ある程度自分の気持ちに余裕があるから出来ると言える。 ただ、こちらとしては自分が話すだけで、相手の話が聞き出せないので、実際に相手がどういう人か、気持ちがどうかとか分かり難かったりするので難しい。
特に異性の場合、話をよく聞いてくれるから、つい好意を持ってくれてるんじゃないかと思ってしまいやすいが、その前に自分はどれだけその人の事を知っているのか、よく思い返してみてから考えた方がイイだろう。 このタイプを早く理解するには、相手と同様、こちらも上手に聞き手に回る事だ。

・口下手な人、無口な人。
これは人によって、様々なので、単に喋らないから寂しい人とか判断できない。 親によく怒られた人は、会話をする時も、相手の表情を伺いながら話す癖がついていたり、親がよく喋るから子供もよく喋るとも限らない。 喋り方からだけでは、見えてこない部分も沢山ある。
なので、とりあえず相手の話す話の内容の方に意識を向けた方がイイだろう。 こちらからも心を開きつつ、質問などで、その人の心に近付いて少しずつ理解していくしかない。

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続いて、その相手の話す内容から理解できる点を挙げる。

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・口癖や人の評価する言葉、悪口は、その人自身を表す。
初対面で、たった5分ほどの間で、繰り返されるキーワードがあったら、その人自身がそのキーワードに関係する事で、何らかの形で「囚われている」と見る事が出来る。
例えば、友達の事を「裏切られた」とか「信用できない」といきなり繰り返す人なら、「裏切り」と言う要素を抱えている人と見る事が出来るので、この人は以前にも何度か裏切られている、あるいはこの人自身が誰かを裏切って、その罪悪感を背負っている為に囚われている可能性がある。
特に裏切った友人を責めるような口調の場合、自分が誰かを裏切っており、それを認めたくないから友達の似た部分を責めている可能性が高いと言える。
なので、人の悪口を繰り返す人は、ある意味、心の深い部分では、自分自身の悪い部分、認めたくない部分を自分でもよく認識しているとも言える。 その人自身が、そこを素直に人に話せるようになると、本人は楽になりやく、自然と人を責める様な悪口も言わなくなる。

・こちらの話を遮ってでも自分の事を喋ろうとする人。
人に分かってもらえていないと普段から感じている可能性が高い。 何でも言いたい事を言ってるような印象を与えるが、実は本当に言いたい事が何も誰にも言えていない人だ。本当に言いたい事がなんなのかを理解する必要がある。

・卑屈な言葉を繰り返す人。
認めて欲しいと強く感じている。 認める言葉がけをすればイイが、依存に繋がりやすいので、まず何故いつから認めてもらえないと感じる様になったのか探る必要がある。

・自分の事を大きく見せようとする人。
自信のない表れと言える。 褒めた所で、本人は一時的にしか満足できず、依存に繋がる可能性もある。自分を大きく見せなければならない理由が過去にあるので、そこを理解する必要がある。

・感情の言葉をよく口にする人。
嬉しいとか寂しいとか、ストレートに口に出来る人は、ストレスを貯めにくく、人とも溶け込みやすい。
ただ、素直な自分を演じているだけの人もいるので、その場合はちょっと難しい。その辺は口調でわかると思う。

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ちょっと思いつくまま書きなぐった感じなので、整理しきれていない部分も多々あるし、他にも色んなケースがあり、全部がこの通りに当てはまるわけでもない。あくまで参考程度にとらえて欲しい。

ただ、誤解されると困るのだが、これは、相手を判断する材料と言うよりは、相手や自分を理解する材料として考えてもらえるとうれしい。
まぁ「第一印象で、その人を見極める方法」と書いた方が興味をひくだろうと思って、このタイトルにしたのだが、本当は「第一印象で、その人を理解する方法」だ。

「なるほど、あの人は人の悪口ばかり言ってるから信用できない人だな、さっさと縁を切ろう」と、気付いてもらう為に書いたのではない。
信用できない人だからと嫌悪して、無理に縁を切った所で、必ず似たよな信用できない人は、また現れる。
と言って、別に嫌だと感じる人と頑張って仲良くしようと言ってるワケでもない。その人がどういう人か早く理解する事で、嫌な人をワザワザ嫌だと感じて苦しむ必要がない、囚われる必要が無いと言う話なのだ。
囚われなくなったら、自分と似た要素が無ければイヤでもじきに縁は切れるので、気にする必要も何もないと言う事だ。

意地悪な人も、別に心から望んで意地悪な人になってるわけではない。意地悪な人になるのも難しいものだ。必ずその切っ掛けとなる過去があり、しかたなく運命で意地悪な人になってしまっているだけの話だ。
世の中の犯罪者も同じだ。生まれた時から犯罪者を目指す人はいない。

そもそも、そう言った意地悪な人、信用できない人と出会った、縁付いたと言う事自体に意味があり、自分自身の中にその理由があるものなのだ。

最初にも書いたとおり縁は「感情」で惹き合うのではなく「似た要素」を持つ者同士で惹き合うのだ。
どんなにイヤな人、信用できない人であっても、自分と何らかの「似た要素」を持っているから出会うのだ。

あの人は嘘をつくから信用できない。でもその嘘をつく人と出会った自分の中にも必ず、その人と似た要素を持っていると言える。
もしかするとその人は、注目されたくて、寂しくて、愛されたくて、イイ人だと思われたくて嘘をついているのかもしれない。
そう考えた時、自分は嘘はつかないけど、注目されたいと考えるのは私も同じだ。。と言う具合に探せば必ず何らかの似た要素を持っている。だから出会ったと言えるのだ。
そこに気付けた時、相手の気持ちを理解出来た時、きっとイヤな人はイヤな人でなくなる。そこに気付いて欲しくて書いたのだ。

好きだと感じる人も、嫌いだと感じる人も、どちらも自分自身の中の深い所にいるもう一人の自分との出会いだ。
イイ人との出会い、悪い人との出会いは、認めたい自分、認めたくない自分との出会いとも言えるのだ。

出会いと言うのは、必ず意味がある。
そしてあなたがこの文面を今読んでいる事にも必ず意味はあるハズだ。

天使や神々への祈り方

神社に参る時、パンパンと手を叩き、お願いする。
どうでもイイ事なのだが、私は、この「パンパン」と音を立てるのが下手で、いつも「ぱすっぱすっ」と、音が出ない。別にイイやと思いながら気にはしないものの、やはり「パンパン」と大きく音を鳴らせる人を見ると羨ましい。 いや、たぶん練習すればすぐに出来る事なんだろうけど、面倒くさくてしないだけなのだが。。。
そんな中、最近ちょっと気付いた事がある。 この「パンパン」と手を叩くのは、そこの神様を呼び出す為に叩くのだが、本当に手を叩くと神様が呼ばれて来てくれるのか?

これから話す事は、あくまで私が個人的に感じた事だ。 それが本当かどうかなんて証明できないし、証明する意味もない。
そもそも神様が実在するかどうかを証明する事は、我々に心があるかどうかを物理的に証明しようとする様なものだ。 つまりどちらもただの「概念」とも言える。

例えば、我々は自分には「心」があると、お互いに理解できる。それが人間同士で共通認識できるから、我々は「心」というものを一つの「概念」として、誰もが理解しているに過ぎない。
魂や精霊、神と言った存在は、感じる人と感じない人がいる為に共通認識が出来ない。ゆえに常識的概念として成り立たないだけだ。
物理的に証明できないからではない。物理的に証明出来ないから存在しないと言うのであれば、「心」も物理的に証明出来ないのだから存在しないと言う事になる。

そう言う意味で、魂や精霊、神と言った存在は、信じる人、感じる人達にとってだけの「概念」とも言える。 「概念」を、わざわざ「物理現象」として「存在する」とか「しない」とか、無理に解釈しようとするから、おかしな話になる。
「概念」だからこそ、物理的に実在を証明できなくても、多くの人は初詣に行ったり、お墓に参ったりするとも言えるだろう。

話を戻そう。そういう意味で私が感じるものも、私の中の一つのただの概念、イメージであると言う事を最初に言っておく。 これぐらい最初に書いておかないと、今回はかなりスピリチュアル寄りな話になるので、いちいちどうでもいい様な所にひっかからない様に、念を押しておいた。
大事なのは高次の存在と言う概念を、どういう気持ちで解釈すれば、一番自分の心が軽くなりやすいかと言う話になる。

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【 神仏への祈り方 】

友達と神社にお参りに行った時、何気に横で見てたら、友達が「パンパン」と手を叩くと同時に、その神社の上の方からスーッと光が下りてきて、友達と繋がるのがわかった。

その友達は元々神主さんでもあった人なので、二礼二拍手一礼をキチッとして、手を叩くのも「パンパン」と、とても綺麗ないい音を出す。その時は、ああやっぱり儀式的にキッチリとやれば繋がるのかなと、その時は思った。 。

しかし、どーもそうとは限らなかった。

同じ神社に、一人で行く別の機会があった。マイナーな神社なので、その時も、他に人がいなかったので、お参りの後ちょっと近くのベンチに座って、神社を眺めながらくつろいでいた。

そこに、一人の男性が来た。 カメラを持っていたので観光に来た人だろうと思った。私自身「ぱすっぱすっ」な人なので、この人は「パンパン」と音の出せる人なのかなと、ついその人のお参りの様子を興味本位で見続けてしまった。

その男性は、キチッと二礼二拍手一礼をした。やはり「パンパン」とすごくいい音をさせていた。 ああキッチリした人だ。すごいなーと感心していたのだが。。。。

??何故か、その人が手を合わせている間、例の光が降りて来て、その人に繋がると言う気配が全く感じられなかった。

何故?と思ったが、すぐに分かった。

この男性は、私に見られている事に気付いて、神様の事ではなく、私の前で二礼二拍手一礼がキッチリとカッコよく出来る事の方に集中していたのだ。。。

私が横で見ていたばっかりに・・私が見ていなければ、祈りの方に集中できて、ちゃんと繋がったかもしれないのに、ちょっと申し訳ないと思った^^;

また別の機会に、別の友達と神社仏閣を回る事があった時、二礼二拍手一礼になっていなくても、手を合わせた瞬間、すごい勢いで、そこの神様と光で繋がる友人もいた。別に霊感があるとかそういう友人ではない。

あとから本人に聞いたら、親が入院中で、親の事を本気でお願いしたと言っていた。

つまり神仏に祈る時は、別に儀式的な事は、たいして重要ではない。 一番大切なのは「気持ち」と言う事だ。

どれだけそこに神様がいると信じて本気で願えるかによって違ってくると言えだろう。 だから私みたいに「ぱすっぱすっ」な人であっても、気にする事はない。 本気で「○○なります様に」とお願いできると、ちゃんとそこの神さんと光で繋がれる。

では、なぜ我々の気持ち次第で、繋がったり繋がらなかったりするのか。それは最初に書いたとおり、我々自身の概念に過ぎないから。。。

と、書いてしまったら、ここまで書いてきた事が全くロマンもありがたみも無くなってしまうので、概念ではあったとしても、もう少し余韻の残る面白味のある概念として認識してもらえるよう話を深めたいと思う。

そもそも神様とは、いったいどういう存在なのか。 神様からは我々はどのように見えているのかの話になる。

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【 神仏の世界 】

ヒプノを受けられるお客さんの中で、前世ではなく、生まれる前の記憶を鮮明に思い出す人も時々いる。 そこで天使や神々と言った存在に出会った事を思い出す人もいる。中には、自分自身が天使であったり、神さんであったりした記憶を思い出す人もいる。祠で祀られてる様な記憶を思い出す人もいた。天使として人間界を覗いて縁を操作してた記憶を思い出す人もいた。

本当に?と思う様な話は沢山あった。 でもそれらが本当かどうかなんて証明は出来ない。ただ言えるのは天使や神々と言った概念で解釈できる情報が潜在意識から出てきたと言う事だけだ。

それらの共通項から、天使や神々がどう言った存在なのか、大凡の概念がさらに絞り込めるようになる。あくまで仮の概念ではあるが、祈る対象も元々概念なのだからイメージしやすくなる分にはいいだろう。

お客さんの話は本人の了解が必要だし、ここでは申し訳ないが、私自身の話を少し書いておこうと思う。 私自身は自分でヒプノを使って前世を確かめる事もあれば、自然に思い出す事も、夢に出て来る事もある。

そんな私が去年、変な夢を見た。

全く何もない真っ白な世界に私は一人立っていた。 私は白い布のような着物、左手に修行僧が持つ杖の様なもの、右手に宝珠の様なものを持っていて、ただジッと立っているのだ。

ここで、これが「夢だ」と夢の中で気付く。

しかしどーもこのリアル感が、ただの夢ではなく別の次元にいるのか、いや、これは前世の記憶ではないかと思えてきた。

近くには水たまりの様な部分があった。よく見るとそこに巨大な蓮の花がいくつか咲いていた。直径2m近くあったんじゃないだろうか。 ちょうど人間がそこに座ると仏さんぽくなる様なそんな大きな蓮の花が、様々な綺麗な色で光っているのだ。 それ以外は地面も空も何もなく、ただひたすら真っ白な世界と言う感じだった。

この辺りで、大分意識が鮮明になってきて、目を覚ましそうだったが、そのまま自分でヒプノに切り替えて進めていく事にした。

まずあらためて自分が何者なのか集中してみた。 多分、持ってる物とか姿から、なんたら観音さんとか、うんたら菩薩さんと言った存在ではないかと思えてきた。

菩薩さんと言った神様は、比較的人間界に近い天界の存在で、生前修行などしていた人が、比較的到達しやすい領域の神さんだ。 だからわずかながらも人間的な感情が残っている菩薩さんもいて、人間の願い事を受け入れやすいと同時に、祟りや天罰を与える様な神様もいる。

そこよりもっと高次元になると人間的要素が無くなっていくので、個人的な願い事は受け入れてもらいにくいと同時に祟りや天罰を与える様な神さんもいなくなる。

お客さんの中にも、こう言った菩薩さんや天使レベルの記憶を思い出す人はいたので、そう特別珍しい事ではない。 それを踏まえ頂いた上で、話を続けよう。

私は、さらにその記憶を探索する事にした。 まず自分の気持ちに意識を集中してみるが、気持ちは全く感じられない。感情が動かずただ無心にそこにいると言う感じ。 うれしくもつらくも何もなく何も感じない。ただずーっとそこにいるって感じだった。

無心と言うか、意識が停止している様な感じだ。

これって多分、ずーっと永遠にこの状態なのでは?と思った。

ちょっと前世の記憶としては、天界での記憶と同様、人間的な感覚で見ると退屈な記憶になりそうだと思った。

でも、一応と思い、この前世においての「何かが起こっている重要な場面へ」と自分を誘導してみた。 すると、ちょっと変化が起こった。

何もない誰もいない真っ白な世界のはずなのに、そこに人影が現れた。

ボロボロの服を着た日本の江戸時代風の着物を着た20~30代ぐらいの生きてる人間の女性だ。 とても弱っている様子で、赤ちゃんを抱えていた。 その女性が私の前にすーっと近寄ってきて、何か手を合わせて私にお願いしているのだ。

おそらくお金も食べるものも無くて、それでも何とか子供だけは助けたい一心で、お願いしている様子だった。 詳しい事情は分からないが、その人に対して私が意識すると同時に、その女性と繋がって、私からスーッと光が出て、その人の所に届くのが分かった。その女性は、祈り終えると、またすーっと白い世界に消えていった。

これって、もしかして地上で、神社かどこかにお参りに来た人の意識が、この白い世界にまで届いてきてると言う事だろうか。 興味深く思えた。

一瞬ではあるが、この女性がお参りに来た瞬間、自分の心が少し動く感じがあった。 この女性に力を貸そうとほんのわずか意識が動く様な感じだ。

他にもこういう事があるのかと思い、この場面からその前後をさらに色々探ってみた。 すると、どーもこうして誰かがお参りに来ると私の意識がほんの少し動くと言う事を繰り返している事が分かってきた。 そして、お願いされると、それに対してエネルギーを送ると言う感じだ。

何をお願いされてるのかは、よくわからない。 他の菩薩さんとかは違うのかもしれないが、私の場合は「何を願われているのかは、よくわからないけど…とりあえずエネルギー送っとこ」って感じでやってた様だ^^;

それでも本当そんな感じでほんの少し意識が動くだけではあるんだけども、この真っ白な世界の中では、やはり重要な事と言うか、それ以外は本当に何にも起こらない世界と言う事なのだろう。

お参りに来る人は、子供から着物の女性、職人の様な男性、様々だった。でも、みんな江戸時代の様な昔の姿で、ボロボロの服の人が多かったので、何か災害の前後の時代なのか、私が何か貧しい地域に祀られていたと言う事なのか。

特にそれらの人々に対して何か感じたりすることもなく、基本的に単にそれらを見てるだけって感じだ。 ただ先ほどの女性の様な、本当に必死でお願いに来るような人の記憶は、やっぱりそれなりに他の人よりもやや強く印象が残る様な感じだ。

もう一人印象に残っているのは、やはりボロボロの服を着ていて、まだヨチヨチ歩きの小さな子供なのに、人間にしてはやたら精神性が高い男の子が来た。

おそらくこの男の子は、将来、日本の歴史上の誰か重要な人物になる運命の人だと分かって、私の方がちょっと嬉しく感じてる様な場面だ。 この利他的な高貴な魂は、きっと他の多くの人々の魂を救ってくれると期待している様な感じだった。

たぶん江戸時代辺りで、農民の出で出世していく様な誰かだと思うが、そう言う輝きの違う人間は、神様の世界から見ても分かる様だ。

最後、私が亡くなる場面に移動してみた。

元から生きてるわけではないので、亡くなると言うより、また違う次元に移動する様な感じだった。

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この記憶が出てから気付いたのは、どーも神様の世界から特定の人間に意識を向けて、エネルギーを送る事は難しく、逆に人間側が特定の神様に意識を向けて、本気で祈りを捧げると、比較的その神様も繋がりやすくなり、力を貸しやすくなるらしいと言う事。

そしてもう一つ、祈り方が正しいとか間違ってるとかは、天界の存在達にとっては関係のない事。わからない事の様だ。

例えば、賽銭が多いとか少ないとかも、神様にはわからない。 ただ、祈る側の人が賽銭するのは「もったいないから」と言う気持ちがそこにあり、賽銭せずに手を合わせる事に「罪悪感」があったら、おそらくその罪悪感の方が強く通じてしまい、神様は願いをかなえる為ではなく、その罪悪感を和らげるためのエネルギーを送るだけになってしまうだろう。

これでは何の為に手を合わせているのかわからない。 いや、それ以前に「罪悪感」があると、自ら祈りを捧げる気持ちにブレーキがかかって、全く届かないかもしれない。

誰かが傷つく事をお願いするのも、意識上には無くとも潜在意識には必ずと言ってイイほど「罪悪感」が生じてしまう。 この「罪悪感」が大きいと、高次元と繋がりにくくなる。こう言った場合は、どうすればいいのか。

先にその事について懺悔すればいい。

こんな悪い自分では、きっと神様も見捨てるだろう・・と感じるなら、まずその事について懺悔する事だ。 実際には、神様が見捨てるのではなく、そう言った罪悪感を抱えたままの人が自ら心を閉ざすから繋がりにくくなるだけの話なのだ。

神様が人間を裁くのでなく、人間の神々に対する概念を元に、我々が自ら自分を「罪悪感」によって裁いているに過ぎない。

どう懺悔すればいいのか、分からなければ、ひたすら「ごめんなさい」を繰り返し唱えるだけでもイイ。 そして心が少し軽くなった感じが得られてから、あらためて神様にお願いしてみると、そのお願いのしやすさに違いがある事に気付くだろう。

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【 天使への祈り方 】

天使と言う存在も比較的、人間界に近く繋がりやすい。 天使はわりと、人間の感情をイイ方向に高めるような感じで力を貸してくれる感じがある。

例えば、何かイイ事があって、うれしくて誰かに感謝したい時なんかに、天使に対して「ありがとう」と感謝を伝えてみるとイイ。 そう言ううれしい感情の時に天使は繋がりやすい様で、何らかの祝福のサインをもらえるだろう。

天使は楽しい事と言うか、人間のワクワクした気持ち、うれしい気持ち、やさしい気持ちに繋がりやすい感じだ。 神仏に比べて比較的気さくな感じで、具体的な人間関係や恋愛についても力を貸してくれやすい。

ここで、ちょっと覚えておいてもらいたい事がある。 それは、他の神々に対してもそうだが、天使のサインなどを基準にして物事を判断してしまわない事だ。

決して、それが「正しい事」「間違っている事」を高次元の存在が「判断」してサインを送ってくる事は無いからだ。 なぜなら「正しい」も「間違い」も我々人間にとっての概念に過ぎない。 天使や神々のいる高次の次元においても、それが人間界と同様に「正しい」であったり「間違い」であったりするとは限らないからだ。

人によっては、そう言ったものを感じやすい人ほど、これは神様が「進め」と言ってるんだ!と、解釈して物事を決めてしまう事がある。 私自身も、今までよくそんな風に解釈して進めてきて正解だったと感じる事は沢山あった。

しかし、先ほどの天界の記憶からもちょっと分かってきた事なのだが、どーも高次元の存在達は、人間が「正しい行動」「間違っている行動」に対して、なんらかの判断をしてサインを送って来てるわけではない様だ。

ただ単に、その時の人間側の気持ち、感情、その感覚的な状態を感じて、それに応じてエネルギーを送って来ている。 つまり、人間が悪い事をしようとする時、「罪悪感」が生じ、それに対して天使達が、「そんなマイナスの心の状態で大丈夫なの?」と言う反応を示す。 逆に良い方に進む時、「充実感」が湧いていて、それに対して天使達も祝福してくれる。そんな感じの様なのだ。

その時その時の人間の感情に対して反応してるのであって、どーもその人の人生そのものを見据えて反応しているわけではない様だ。

なので、その方向に進むべきかどうかと言った問題に直面した時、結論はあくまで自分で決める事であり、それに正しいも間違いもないと考えた方がいい。

何事もそこに透明感があり、充実感が伴う事なら進みやすくなるし、罪悪感や望まない感を伴う様な事なら進みにくくなる。それだけの事だ。

必要以上に天使や神々に依存してしまうと、その結果、失敗した時、天使や神々のせいにしてしまうだろう。

あの時、天使が二人を祝福してくれていたのに、なんで浮気されるの!なんでビンボーになっちゃたの!と言った所で天使達を責めないでほしい。

さすがに天使達も特定の人間の心をコントロールする様な権利までは持ってはいない。

二人の気持ちが暖かくなった時、それを祝福しているのであって、特定の未来を約束しているわけではないのだ。

天使たちは、たいがい何を聞いてもニコニコしながら「大丈夫」としか言ってくれない。指示してこない。ただ祝福のエネルギーを送ってくれるので、それを受け取って、ちょっと暖かい気持ちになる。そんな感じの存在だ。

そして最終的な結論を出すのは、やはり自分でしかないのだ。 自分が納得できる方向なら、そこに充実感やわくわく感が生じるし、その気持ちに対して祝福される分には、気持ちも明るくなるし天使と繋がるのも大いにイイ事だ。

あと、もっと人間に近い領域の存在。 ご先祖様とか守護霊と言った存在は、比較的人間臭く、ちょっとした自己中心的なお願い事も力を貸してくれるかもしれない。 特にご先祖さんは、自分の子孫や家系の利益になる事には力を貸してくれやすいだろう。

逆に人間に対して「ああしなさい」「こっちに進みなさい」とやたら強制的、指示的な存在もいる。 こう言った指示的な存在の多くは低級霊が高次の存在に化けているだけなので、気を付けなければならない。つい、こんな感じで断言されると頼りたくなるのが人間だ。そこを利用して心をコントロールしてくるのは低級霊に限られる。これについてはエリアシフトの4以降で詳しく説明してるので、ここでは割愛する。

基本的には、高次の存在は、曖昧な答えしかくれない。「大丈夫」「それでいいんだよ」「心配ないよ」そんな感じだ。

人を傷つけたり悪口を言ったり、そう言った罪悪感を感じる様な事を避ける。そして天使や神々、そう言った神秘的なものに必要以上に依存する事無く、自分の道は自分で決める。それを基本にしていれば、そうそう変なのには繋がるものではないので大丈夫だ。

全ての事象は、必要性があって自分自身に起こる。 そこから学ぶべきものがあり、それに気付く為に起こる。

最初から間違いも失敗も学びだと考えて、それを楽しむぐらいの気持ちで、自分が進みたい方に自分で決めて進めばいい。

未来の方向性は既に自分の中にあり、それに自分で気付くだけでいいのだ。

そういった人に、天使や神々も力を貸しやすい。

自分が相手にどう思われているか。。

【1】相手にどう思われているか気になってしまう

「自分が相手にどう思われているか」
これを気にする人は沢山いる。

これを必要以上に気にしてしまう為に、失敗する人もいる。
好きな人なのに「もし私の事なんとも思ってなかったら。。」と考えてしまい、そんな惨めな自分になりたくないと、ワザワザ嫌われる様な冷たい態度をとってしまい、本当に相手に嫌われてしまった。。なんて話もよく聞かされる。
ワークの中でもこの話に引っかかる人が沢山いるので、今回ここでもあらためて記事として書きたいと思う。

なんで好きなのに嫌いなフリをするのか。

ドラマでもそんなシーンはよくある
恋するヒロインに友人が余計な声掛け「もしかして彼の事、好きなのぉ?」
真っ赤になりながらヒロイン「そ、そ、そんな事あるワケないじゃない!誰があんなイイ加減で無神経なやつ、一緒にいるだけでムカムカする!」
そして最終回、「オレ来週からアメリカに行くんだ。叶えたい夢があるんだ。」と主人公。
ヒロイン真っ青になりながら「そ、それは良かったじゃない!ア、アナタがいなくなったらせいせいするわ。」と声を震わせる。
主人公「何言ってんだ、お前も来るんだよ。この夢はお前もいなきゃダメなんだ。一緒にアメリカに来てくれ。」
「え・・?」泣き出すヒロインを抱きしめる主人公。
テーマソングが流れだしハッピーエンド。

ドラマなら全11話で、こんな風に終わる所だ。しかし現実ではなかなかそうドラマの様にはならない。
好きなのに嫌いなフリをしたら。。本当に嫌われてると相手に思われてしまい、去られてしまうのがオチだ。

どーもお互い気があるのは分かっているのに結局うまくいかなかったと言う話もよくある。互いに相手を牽制し合って失敗する。
これらは、お互いに「相手にどう思われているか」と言う事に必要以上に意識が囚われている結果なのだ。
「嫌われたくない」「嫌われるのが怖い」だから先にこちらから相手を嫌ってしまう、嫌いなフリをする。
そうやって結果的に縁が切れてしまう。
仮に相手は薄々、本当は好きなんじゃないかと気づいていたとしても、嫌いな態度、気のない態度をされると、相手は離れていくしか出来なくなる。

何故なら、この現実社会においては、嫌がられていると感じる行動をされているのにも関わらず追いかけたら、ただのストーカー行為になってしまうからだ。
だから嫌われてるんじゃないかと思える行動をとられると、本当に嫌われている事も想定して行動するしか出来なくなる。
そう、現実では嫌いなフリ、気のないフリは、縁が切れる最短コースに繋がりやすい。

では、どうすればよいのか。

【2】何故、相手にどう思われているのかが気になってしまうのか、その原因

「嫌われたくない」「嫌われるのが怖い」だから先にこちらから相手を嫌ってしまう、嫌いなフリをする。
何故そうなるのかを、まず考えなければならない。

ここで出てくるのは、やはり毎度の話になってしまうが、親との関係性の話に繋がる。
相手にどう思われているのか気になってしまうのは、小さい頃の親の反応を伺ってしまう自分の気持ちからも来ていると言える。
つまり「嫌われたくない」「嫌われるのが怖い」と感じているのは、本当は相手に対してではなく、自分の親に対しての気持ちなのだ。

以下にその原因例をいくつかあげてみる。

(1.自分に対する評価が気になる。常に高い評価をされていないと不安 。
例えば、気になる人に対して、自分のイイ部分だけを見せようとして必死になってしまう。自分の惨めな部分、弱い部分は決して見せられない。もしそんな部分を見せてしまったら嫌われてしまうんじゃないかと必要以上に不安になる。
こういった場合。小さい頃、親がとてもあなたの成績や出来栄えを期待してたり、また誰かと比べていたりしてなかっただろうか。親の評価がとても気になってしまう子供時代を過ごした場合にこの傾向が強くなる。
あなたは親に褒めてもらおうと必死になる。学校のテスト答案用紙を親に見せる時、どんな気持ちだったか。親に見せるのが怖くて、イイ点を取れた時だけ親に見せていたなんて経験があったとしたら、今現在、気になる人に対して、イイ部分だけを見せようと必死になってしまっていないだろうか。
(2.怒られるのが怖い。間違える、失敗するのが怖い。
人と会話をする時、常に相手の機嫌を伺いながら話してしまう。何かすぐ怒られてしまいそうでビクビクしてしまう。
これも、そのまま幼少期に当てはまる。つまり親によく怒られたり、厳しく育てられた場合だ。間違えるとすごく怒られたとか、叩かれたとか。
だから間違えない様に一生懸命やってしまうのだが、どれだけ一生懸命やっても間違ってるんじゃないかと不安になってしまう。 自信が持てなくなる。
(3.常に相手と話していないと不安。一人になると寂しくなる。
電話をするとついつい長話になる。友達と一緒に呑みに行くと帰りたくなくなる。一人になるのが怖くて、浮気をしてしまう。
小さい頃、親がそばにいなくて寂しい思いをした事がないか、思い出してみて欲しい。
急に親がいなくなって怖い思いをしたとか、一人で留守番する事が多く怖かった。親がいつも喧嘩していた。邪魔者扱いされたなど。
(4.自分から行動が出来ない。自分のやる事に自信が持てない。
行動したいのに行動できず先延ばししてしまう。否定されるのが怖い。同時に誰かがやろうとしている事を、すぐ否定したくなる。だからと言って自分の考えを主張する事も出来ない。どうするのが良いか明確な答えがなかなか出す事が出来ない。
小さい頃、自分で何かしようとすると親に否定されたとか、自分で何かやる前に親がやってくれていたとか。そんな経験はないだろうか。
本当は自分でやりたい事があるのに、親に違うと言われてやり通せなかった。親に従うしかなかったなど。つまり今の自分が行動できないのは、親の了解を得ないとやってはいけないと潜在的に思い込んでしまっているためだ。
親がOKサインを出してくれることを大人になっても無意識に待ってしまっていると言う事だ。相手から何とかしてもらえるんじゃないかと期待してしまうのも、小さい頃、親が何とかしてくれていたから。 しかし大人になった今、他人である相手が何とかしてくれるわけもなく、そのままで待ち続ける事になりやすい。
(5.異性とのコミュニケーションが苦手。
友達としては大丈夫だけど、異性として意識すると行動できなくなる。
皆で遊ぶ事は出来ても、異性と二人きりになると必要以上に緊張してしまって失敗するパターン。異性親と接する時間が少なかったり、異性親との関係に虐待などのトラブルがあった場合も、大人になってから異性との関わりの中で様々な抵抗感として出てくる事がある。
どう行動すればわからない時と言うのは、異性親に対してどう接すればいいかわからない状態。
相手に異性親を投影してしまって、行動しにくくなる状態だ。

他にもさまざまなケースがあるが、人それぞれなので、なかなか大まかに分別していく事は難しい。
上記も必ずしもそうとは限らず、人の数だけ原因も違うと考え、あくまで一例として、参考として認識して欲しい。

では、こういったケースに当てはまってしまう場合、どうすればよいのか。
本格的に根本的に何とかしようと思ったら、カウンセリングなどに通ってしっかり小さい頃の未浄化の思いを吐き出していく必要もあるのだが、 ここでは、一時的にでも自分の行動パターンを変えられるような対処法として、その方法を書いてみる。

【3】相手と自分を切り離す

まず、多くの人は苦しくなった時、相手が変化してくれる事、相手が行動してくれる事、状況が変化してくれる事を、望んでしまう癖がある。

つまり友人や恋人と喧嘩してしまった時、「自分は正しい」と「間違っているのは相手」だと考える。
相手が変わる事、相手が謝る事、相手が告白してくれる事を期待する。

例えば、もしこの世に存在する生命が自分一人だったとしたら、果たしてそこに「正しい」と「間違い」は生じるだろうか。 単純に、自分が納得できるものが正しく、納得できなものが間違いになるだろう。
一人ならそれでもいいだろう。

しかしこの人間社会は70億もの人間がいる。70億人分の「正しい」と「間違い」がある。

だからそこに多くの人が納得できる「常識的な価値観」が生まれ社会が成り立つ。 それに従えないものは少数であれば罰せられ、多数が「正しい」と考える価値観に従わせる。

国レベルの価値観になると簡単にはおさまらない。「納得できる価値観」に差が生じる国同士で、お互いに相手の国の価値観を自分の国の価値観に従わせようと考えるが為に戦争が起こる。

ちょっと話が飛躍してきたので、話を戻そう。

つまり人それぞれで「正しい」と「間違い」に差が生じるのは、本来当たり前の事なのだ。
それをワザワザ無理して「すり合わせ」ようとする所に苦しみが生じやすいのだ。

いや、もちろん多くの人の心が一つにまとまったら、それはそれで素晴らしい事だと思う。
だが現実は、我々人間の精神性はまだまだとてもそこまで大人ではない。

だったら、まずは無理して心をすり合わせようとする前に、相手の価値観を認める事から始めた方がいいだろうと言いたいのだ。
それは自分の価値観を相手に合わせる事でもない。
互いに自分の考え、相手の考えを、そういう考えもあるんだなと認め合うと言う事だ。

最初に書いた「自分が相手にどう思われているか」と考えてしまうのも、この心のすり合わせを無理にしようとしてる事と同じだ。
自分ではなく相手の価値観をワザワザ自分の価値観に従わせたいと考えるから、相手がどう思っているのか気になる。相手の価値観が気になるのだ。

そして嫌われたくない、相手に好きになってもらいたいと、相手の価値観を自分の価値観に合わせてもらう事を望む。
しかし人の価値観と言うのは、そう簡単に変わるものではないから、そこで苦しくなるのだ。

自分と相手は、それぞれが違う環境で生まれ、違う人生で成り立って存在している。 それをワザワザすり合わせる必要は何もないのだ。

まずそうやって、自分と相手の価値観と言うものを切り離して認識する事が大切になる。

【4】相手に誰を投影してしまっているのかを感じてみる

次に自分の価値観と言うものについて、それが本当に自分が感じている、望んでいる価値観なのか、客観的に感じてみる必要がある。

ここで、ちょっと視点を変えよう。
初めて会う人に対する感情の動き方、いわゆる第一印象と言うものは、相手の発するエネルギー的なものから何かを察知して印象を決定づける事も、もちろんあるのだが、実際には自分の中にある情報を無意識に相手に投影して、この人はこういう人なんじゃないかなと相手を判断してしまう事の方が多い。
その印象の付け方には以下の様な三つのパターンがある。

一つは、自分の過去の記憶において、相手のイメージに近いものが繋がる事で生じる感情だ。
例えば、自分の父親が背が高くて怖い人だったら、背の高い人をみただけで、この人は怖い人かもしれないと第一印象で判断してしまう。
そうやって過去の誰かを相手に投影してしまうケースだ。

もう一つは、自分自身を相手に投影してしまうパターン。
特に自分の中の認めたくない要素を相手の中に感じた時に嫌悪感が湧いてくるなどの形で感情が動く。

例えば、偉そうな人をみて気になってしまう時、「アイツ、エラそうだな」と、見ていてムカムカすると言う時。
自分の過去を思い返すと、必ずと言ってイイほど、自分自身も過去において誰かに対して「エラそうだ」と思わせる様な態度をとっていたりするものだ。
それを無意識に認めたくないが為に、過去の自分と似た人をみると「嫌だな」と感情が動いてしまうのだ。

最後に、あえて付け加えるなら前世で縁のある人と出会った時に感情が動いてしまうパターンだ。
魂レベルで沈んでいる記憶が相手と出会う事で浮き上がってくる。その変化に驚いて自分の感情が動く。懐かしい感じだとか。激しい感じだとか。暖かい感じなど。
ただこれも相手を正しく見ているのではなく、あくまで自分の中の前世での印象だと言う部分に注意が必要だ。

実際にはこれら3つのケースが混ざり合って第一印象と言うものが決まってくる事がほとんどだ。

ここで、最初の「自分が相手にどう思われているか」と言う話に戻る。
相手にどう思われてるかを考える時に、浮かびやすい考えと言うのは上記の様に「自分の中の過去の情報」によって作られる事が多いのだ。

相手に「嫌われてるかもしれない」とつい考えてしまう人は、自分自身が誰かに対して嫌悪感を抱きやすい人だと言える。
相手に「怒られるかもしれない」と考える人は、自分自身が誰かに対して怒ってしまいやすい人だ。
「あの人、私に気があるんじゃない?」と考えがちの人は、自分自身が惚れっぽい人だろうし、「浮気してんじゃないの?」と疑ってしまいやすい人ほど、その人自身浮気心が強いと言える。

そして実際に相手がどう考えているかは、相手もまた相手自身の過去を投影して考えているに過ぎないと言える。
自分も相手もそれぞれで互いに自分自身の過去を自分の中で投影しながらコミュニケーションをとっていると言えるのだ。

つまり相手の気持ちを正しく察知できている事の方が稀だと言う事なのだ。相手の気持ちが分からなくて普通なのだ。
だから相手との間に気持ちの摩擦が起きやすく、さらにそれを無理にすり合わせようとするから苦しくなったり、うまくいかなくなったりする。

もうちょっと言い方を変えれば、相手がどう考えてるかは相手自身の中の問題であり、自分の問題ではないと言う事だ。

相手が、あなたを傷つけるような言葉を発したとしたら。それはそれで潜在的な罪悪感を背負うのは相手なのだから、あなたが気にする事ではない。
相手は、これからその罪悪感と向き合って生きていく。
あなたは、あなた自身が誰かを傷つけていなければ、心も軽いのだから何も問題はない。

相手が、あなたの事を「嫌い」だと言ったら。それは相手の価値観であって、あなたの価値観ではない。あなたが気にする事ではないし、恥ずかしいと思う必要もない。
あなたは、相手が好き。だったらそれでいい。わざわざあなたが相手に合わせて嫌いになる必要もない。
また、それを嘲笑う第三者がいるとしても、それは本当の意味であなたの事を笑っているのではなく、その人があなたにその人自身の過去の自分を投影しながら嘲笑っているに過ぎない。その人の中で起こっている問題と言う事になるのだ。

そして、あなた自身が嘲笑われている様に感じてしまうのは、相手が本当に嘲笑っているのかどうかに関係なく、あなた自身が過去に誰かの事を嘲笑っていた事があり、その過去の自分を、今の相手に投影して嘲笑われている様に感じているに過ぎない。つまりあなたの中だけで起こっている問題と言えるのだ。

。。。。。。。

なんだか文章にすると非常にややこしく聞こえるのだが、言いたい事は伝わっているのではないだろうか。

なので「相手が自分の事をどう思っているか」なんて事は、相手の中だけの問題なので、相手に任せておけばいい話なのだ。
自分が考えるべき問題は「何故、相手にどう思われているのかが気になるのか」が自分の中の問題になるのだ。

相手の考えを「過去の自分」で作って想像してしまいやすいと言う部分は、非常によくある事なので、ここをおさえておかないと、相手との関係性に余計な食い違いを生じさせ失敗しやすいとも言える。

その様にならない為にも、自分と相手と言うものをまず切り離して考える。
自分だったらこう考えるが、相手も同じように考えるとは限らないと言う部分は結構重要だと思う。

ここをしっかり押さえた上で、ではこれから自分はどうしたいのか、どう行動すればよいのかを考えるとイイ。

【5】自分の中の不安要素を浄化する

自分の中で、相手の問題を切り離す事が出来たら、次に自分の中の不安と向き合ってみる。
しかしこの不安は根本的に消し去るには、時間のかかる事なので、ここでは、まずその不安を現在の自分から切り離して、ちょっと横においておく。
そうやって保留状態にさせて、現実面での障害要素を一時的に取り除く方法で進める。

(1.最悪場面を吐き出してみる。
ようは最悪の状況を徹底的に考えてみるのだ。どういう状況になったら一番イヤなのかを想像し、それを紙に書き出してみる。
この時、必ず「自分の気持ち」を想像しながら「過去形」で書き出してみて欲しい。
例えば「取引に失敗して上司に怒られ、とても悲しくなった。その後、悪い噂が広まって、もうどうしようもなく苦しくなって会社を辞めた。」とか「彼に告白してフラれて、もうすごくつらくて死にたいと考えて、悲しくて悲しくて自殺した。」と言う感じで「つらい」「悲しい」と言った気持ちの言葉を無理やりにでも添えながら「過去形」で極端過ぎるぐらいまで書き出していくのだ。 そうやって自分の中にある不安を外に吐き出してみるわけだ。
(2.その物語がどこから連想されたのかを考えてみる。
これがうまく出来ると浄化が起こる。つまり上記で書きだした物語は、実はあなたの過去において「既に起きた出来事」である可能性が高いのだ。
それがどこで起きたかを探る段階になる。
例えば「上司に怒られた」は「親に怒られた」の置換になっていないか。「悪い噂が広まった」は子供の頃、友達関係の中で似た様な事は起こっていないか。「彼に告白してフラれた」ことは過去においてないのか、「自殺した」はそれほど思い詰めた事はないかなどだ。
そこで思い当たる出来事が過去にあれば、その時の気持ちを思い出して、また紙に書きだす。「あの時はつらかった」「悲しかった」と言う風にだ。過去に思い当たる出来事がない場合、前世で似た事があった可能性もある。
そんな感じがする様な場合は、自分でその前世を想像して、物語にして書き出してみるとイイ。別に前世を正しく知る必要はなく、そこに関連する気持ちを認識する事が大切なので、「きっと私は王子様に捨てられて、悲しくて悲しくて海に身を投げて自殺したの」と言う具合にだ。
ちょっと話はそれるが、特にこの「自殺したい」と言う感情の湧きやすい人は、結構、前世ですでに自殺してる可能性が高い。前世で自殺してしまったからこそ今世その人生のやり直しをしている為につらい状況になってしまっていると言うパターンもよくある。
これでまた今世で自殺すると、また同じような人生を来世で迎えなければならないと思っておいた方がいい。逆に今世をしっかり乗り越える事が出来たら、もう似た様なつらい来世が来ることはない。
(3.現在の問題と切り離す。
浄化の手順まで出来たら、あらためて現在の問題は上記のものとは別問題だと認識しておこう。上記の話は既に終わった過去の物語だ。現在の問題とは違う。
これがしっかり認識できると、わざわざ上記の失敗を繰り返そうとする必要もなくなる。

現在の問題に触れる時に、また上記の様な不安が湧きあがってきたら、上記の手順を繰り返して吐き出しておこう。
そして次に、相手と正しくコミュニケーションを取る方法に移る。

【6】自分の正直な気持ちを伝える

「自分が相手にどう思われているか」は相手の中の問題であり自分の問題ではない。
自分の問題は何故それが気になるのかと言う事。
その理由は最悪の状況を想像して、過去形で書き出す事まで出来た。
そしてそれが既に自分の過去において起こっていた事が影響していたと理解できた。
その過去の出来事は、今の問題とは別問題だ。

では、ここまでの事を踏まえて、あらためて上手に相手とコミュニケーションをとるにはどうすればよいのか。
それは「自分の考え」ではなく「自分の気持ち」を正しく相手に伝えられる自分になる事だ。

漫画の主人公は、どれだけ強くても必ず弱点がある。
その弱点があってこそ読者は感情移入しやすくなる。 その弱点を持っていながら頑張る主人公だから、読者は応援したくなる。
最初から無敵で完璧な主人公は「すごい」と思われる事はあっても「応援したい」とは思われない。 時には負けるかもしれないと言う弱さがあるから「頑張れ」と言いたくなる。
それは読者自身も沢山の弱点を持っているからこそ主人公に感情移入したくなるのだ。

この弱点を持つと言うのが、人との信頼関係を築く為の重要なポイントにもなる。

あなたが気になる相手にアピールする時、いつも「強い自分」「素敵な自分」を見せる事だけに懸命になってしまっていないだろうか。 相手は強くて素敵なあなたを見て「すごい人」「カッコイイ人」と思われる事はあっても、それだけでは「そばに寄り添いたい」とまでは思われない。

最初の自分が相手に「どう思われているだろう」と気になってしまう時点で、これはまだ「強い自分」「素敵な自分」を見せる事だけに懸命になっている状態で「弱点」を互いに見せれるほど信頼関係は成り立っていない事が分かる。

ここから先に進めるには、この信頼関係を確立していく必要がある。 つまり自分の「弱点」を相手に理解してもらう事が大切になってくる。

ここで、そんな弱点は自分の場合、特に思い浮かばないと言う人もいるとは思うが、ちょっと待って欲しい。
実は弱点を理解してもらうと言うのは、ここでは「高い所が苦手」とか「人参が食べれない」とか「バーゲンに弱い」とか、そういう弱点ではない。

「気持ちの弱点」の事になる。

最初の「自分が相手にどう思われているか」が気になる、不安になると言う事自体、すでに立派な気持ちの弱点なのだ。
その不安な気持ち、心の弱さを相手に知ってもらう事が、「バーゲンに弱い」事を理解してもらうより、よっぽど相手との信頼関係に繋がりやすいのだ。

つまり「自分が相手にどう思われているか」が気になるのなら、相手にその「自分がどう思われているか気になってしまう」と言う事を素直に伝えるだけで、信頼感が増すと言う事なのだ。

なんだかここまで話が長々と続いて最後に、こんな単純な結論で終わるのかと、一瞬なんだそりゃと今感じた人は10人中6人は、いるかもしれないが、その単純な事が実際にはなかなか出来ないから、ここまで長々と書いた。

実際にはこんな感じだ。
彼が、なかなか仕事で忙しくて会ってくれない。もしや嫌われた?と不安になる。 だからつい「なんでいっつも仕事なの!」と怒ってしまう。彼は「ごめん」と言うだけで、ちょっと気まずくなる。

でもこれだけでは、おそらく彼は変わらない。人によっては「アイツには仕事の大変さが分からない」と言う感じでますます会う時間が減ってしまう。 これは彼も彼女も自分の弱点を見せる事が出来ていない状態だ。

ではどうすればいいか。
「なんでいっつも仕事なの!」と怒る前に、自分の弱さを見せる。
つまり「会う機会が以前より減って、何だか最近、嫌われてるのかなって不安になってきた」と「気持ちの弱さ」を相手に伝える事が大事なのだ。
そういう言い方をされると彼の方も申し訳ないなと言う気持ちになる。仕事は忙しくても何とか彼女の為に時間を作ろうと言う気持ちになる。

恥ずかしくて、そんな言い方出来ないとか、キャラ的に無理って人は、とりあえず会話に気持ちの言葉を入れる事から始めるとイイ。
「うれしい」「楽しい」「悲しい」「寂しい」「つらい」と言った言葉を出来るだけ使うようにする。 それだけでも相手の警戒心を緩めていく効果があるので、信頼関係が高まりやすい。

嫌われたくない想いで無理に理由を作ったり、嘘を付いたりを繰り返してると、その場はそれでしのげても確実に信頼関係は薄れていく。逆効果だ。
「ついイイところを見せたくって嘘をついてしまった。ごめん」と、自分の気持ちを正直に添えて謝ればいい。
仮に相手がそれで「嘘だったの?」と怒ったとしても、それは相手の中の問題。 嘘をついたままでこちらが罪悪感を抱え続けるよりはよっぽど楽になる。

どう答えて良いのかわからず黙り込んでしまう。無視する様になるのは、相手からすると「嫌われた」と誤解されやすい。
だったら「こう言う事に慣れて無くて、どう答えればいいのかわからない」と伝えるだけでいい。 相手が誠実な人ならちゃんとフォローしてくれるし、フォローしてくれなかったら、その程度の人だったと分かっただけでもイイ事だ。 こちらは正直に気持ちを表現したのだから何も問題はない。

みんなと過ごして楽しかったら「今日はなんだかすごく楽しい一日だった」とぽろっと口にするだけでも周りの友人達も笑顔になってくるものだ。

情けない自分を恥ずかしいと思う必要は何もないのだ。
心に弱点のない人間はこの世にいない。だからこそ、その弱点を素直に表現できる人ほど人から信頼されやすくなるものなのだ。

そんな自分の弱点に気付いて少しずつ表現できるようになる事で、結構その人の印象は大きく変わる。
自然と周りの人の気持ちも緩んで、周りの人のあなたに対する接し方にも変化が出てくる。
こうしてようやく状況に変化が起こる。

その頃にはおそらく、いちいち相手にどう思われているかなんて気には、ならないだろう。
そんな事より、自分がどう思っているかを表現する事の方が、気持ちのいい事に気付く。

相手がどう考えているかは相手に任せておけばよい問題。
自分の問題は本当の自分が今、何をどう感じているかだ。