タグ: 戦時中(20世紀前後)

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この前世は、今世で生まれる1つ前の前世になる。
何か戦争中お坊さんで、原爆の落ちた広島の被爆地をお経を唱えながら歩いているというビジョンが出てきたのが最初で、とにかくとても悲しい前世だった事がわかってきた。
その後ヒプノセラピーも利用しつつ、どんな人生だったのかを詳しく確かめ、大分全体像が見えてきた。

また死ぬ間際に来世の自分が読めるように修行記録を記した日記を誰かに預けたと言う記憶が瞑想中に出てきた。これがきっかけでいわゆる「前世の日記探し」が始まった。

前世の日記探しについては、一応今現在その前世で亡くなったらしき建物自体までは見つかっている。ただ、関係者を当たっては見たものの、今の所まだその建物で誰かが亡くなったと言う記録が見つかっていない。
この日記探しは今も進行中だ。また何らかの形で区切りがついた所で別記事でまとめたい。

  • 時代(西暦) :1900~1910年前後(明治40年前後)に生まれ、1960~1970年(昭和40年前後)前後に60~70代で亡くなる。
  • 主に住んでいた場所: 日本の東京で育ち、京都に移動。広島にも度々出向いている。
  • 主な職業:僧侶。表向き禅宗のお坊さんっぽいが、実際は密教系で修行していたらしい。

前世記録

※以下はヒプノで出た記憶を追加している

◆ 1910年前後:明治40年代前後に日本で生まれる

記憶としてはほとんど出てこないもののイメージとして浮かんできたのは、優しい雰囲気の母親と、ちょっと厳しい感じの父親だった。両親共によくしてくれて幸せな幼少期を送っていたのだとは思う。
人の性格や雰囲気は輪廻してもなかなか変わらない。この生でも物静かな感じの少年だったとは思う。

◆ 1923年9月(10代前後):関東大震災

  • 関東大震災
    関東大震災

1923年(大正12年)9月1日11時58分、神奈川県相模湾沖を震源にM7.9クラスの大地震が起こる。いわゆる関東大震災だ。

自分はたまたま違う土地にいたのか‥理由はわからないが、とにかく東京にはいなかったようで無事だった。
しかしどーも両親が東京の家に残っていたのか慌てて戻ってきたものの、一面焼け野原で自分の家のあった場所も灰しか残っていなかった。
その変わり果てた被災地を眼の辺りにして、呆然と立ち尽くしてる。そんなシーンが出てきた。

不思議と気持ちは何も感じられない。なぜか無表情、無感情。涙も出てこなかった。
まだ幼い自分には状況が呑み込めなかったのか、とにかく気持ちが何も感じられなかった。

近くをウロウロ歩きながら両親を捜すものの、心の奥では無駄だと感じており両親は死んだと言う事実を、この時はもうすでに受け入れていた様な感覚がある。

この前世では、いきなりそんな悲しい人生のスタートを切っていたようだ。

◆ 1920年代後半(10代前後):関西へ

震災に遭ってから、まだそんなに時間は経ってないっぽい。
身寄りが無くお寺で引き取られたのか、とにかくお寺関係の誰かに助けられて、とてもお世話になった感じがある。そのお坊さんか誰かに連れられて関西に移り住んだ感じだ。

  • 茶室でお茶を頂く (1)
    茶室でお茶を頂く (1)
  • 茶室でお茶を頂く (2)
    茶室でお茶を頂く (2)

ある日、そのお坊さんに連れられ、京都のどこかの綺麗な庭に入り、茶室のような所に入った。
なんだか妙な緊張感があり、自分のような親もいない汚い子供が、こんな所に来ていいんだろうかと言う引け目も感じられた。

座敷に入ると、お茶の先生らしき年配の女性が出てきて、優しく話しかけてきてくれた。そしてお茶を点ててご馳走してくれた。

初めて飲む暖かいお茶の美味しさ。
飲んでいると何故かポロポロと涙が出てきた。

それは別に泣くほど美味しかったと言う訳ではない。

ただ、お坊さんやお茶の先生に、とても優しくもてなされたことが心にしみていたのだ。きっと自分はこの時、亡くした両親の事を思いだしていたのだと思う。
優しくしてくれた二人が、亡くなった両親と重なって、ああ自分は寂しかったんだと、ここで初めて自分の気持ちに気付いて、勝手に涙が出てきたのだろう。

自分の立場の情けなさと、感謝の気持ちと、寂しい気持ちと、甘えたい気持ちとがぐしゃぐしゃになって、どうしようもなかった。
いつかこんな風に身寄りのない自分に優しくしてくれた人達に恩返しをしなきゃと強く思った。

前世での気持ちは今世にも非常に影響を与えやすく、今世でよく分からない特別な感情に支配される時は、前世の同じような年頃に、同様の感情になっていた可能性が高い。

今世の私の場合、10歳前後の頃に異様に東京に行きたくて騒いでいた時期があった。同時に自分の親が本当の親ではなく、どこかに本当の親がいるはずだから捜さなきゃいけないという変な衝動に駆られた事がある。
今にして思えばこれは一つ前のこの前世での自分の感情だったと理解できる。


※以下は瞑想中に出てきた記憶

◆ 1930年代(20代前後):修行

結構、早くから何か仏教系の修行を始めている。自分にはこれしか出来ないと言う感じで修行を始めている感じだ。
傘を被ったイメージが度々出るので、禅宗のお坊さんだったのでは?と考えてた。
しかし最近分かってきたのだが、自分の中の記憶にある「植物やモノに意識を移す」と言うやり方が、どーも密教であるらしく、おそらく表向きは禅宗を装っていたっぽいが、自分が隠れて本気でやっていたのは、どこかの密教系の修行だったと思う。

  • 修行を始める
    修行を始める

多分密教に進む時点で、この前世においても今世と同様に自分が過去世で何をしていたかぐらいは、ある程度自然に思い出せていたはずだ。
どんな修行をしていたのかは、あんまり出てこなくて、しょっちゅう山を歩いてるイメージは出てくるのだが、護摩を焚いてるとか呪文唱えているとか、そう言ういかにもって感じの記憶は、興味が無かったのか今の所あまり出てこない。

あと、何歳頃関わったのかもわからないが、出口王仁三郎が怖いけど好きと言う感情だけが強く感じられて、大本教にも何度か出入りしていたらしき記憶がある。陶芸なのか一緒に何か陶器を焼いていたようなイメージも出てくる。
ただ入信はしてなかったと思う。亡くなったのが亀岡と言うこともあり、興味深く思っていたのは確かだろう。

  • 気になる人
    気になる人

広島の厳島神社、三滝寺に何度か訪ねたっぽい。
また、広島の親しい女性とのイメージも出てきている。まだ原爆が落ちるずっと前のこと。出家する前かもしれないが、親しい女性が広島にいた。切ない感じなので好きだった人なのかもしれない。

でも何か理由があって仕方なく互いに納得した上で別れたようなイメージだ。振り返るとその建物の窓から悲しそうな笑顔で私のことを見て手を振ってくれている。それがその人との最後だったイメージ。
そしてその建物が原爆ドームだった。

原爆が落ちる前、その建物は「広島県産業奨励館」と呼ばれ、美術展などよく行われていたらしい。おそらくそんな展示ものを見る様なデートでもしていたのだと思う。
その時は、まさかそこを中心に原爆が落ちるとは思いもしなかっただろう。

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◆ 1940年前後(30代前後):第二次世界大戦

戦争が始まる。
出てくるキーワードは「人を殺すぐらいなら殺された方がマシ」。
この頃には(表向き?)お坊さんになっていたようで、その関係もあるが、そうでなかったとしても、非国民と言われようと戦争には加担しないと言う気持ちと、敵を倒せ的な風潮の世の中にかなり怒りを感じていた。
戦争は嫌悪の象徴であり、その戦争に対して嫌悪している自分もまた嫌悪の渦に巻き込まれていたと言える。
この戦時中、具体的に自分が何をしていたのかも、この後の原爆のシーンが強すぎて今の所あんまり出てこない。


※以下はヒプノで出た記憶(ヒプノ体験記の文面をそのまま転載)

戦時中は単独で行動していたっぽい。色んな人に色んな話を聞かせて、そのお礼に食べ物をもらって生活してたような感じ。歩くのは好きで苦にはならなかった。食料は芋ばっかりだった気がする。水と芋さえあればいくらでも生きられる変な自信があった。(今世で東京で一人暮らしの時、肉は食べずともジャガイモだけは欠かさなかったのだが、これも前世からのクセだったのか?)

広島には誰か親しい人がいたっぽい。年上の男性。ヒゲを生やした尊敬できる先生みたいな感じの人。
その人の名前は「あらき・・」「荒木・・トモヒロ?」多分そんな感じの名前。
原爆が落ちるかもしれないことを予感していて、その荒木さんの事が気になり、何とか伝えようとしていたっぽい。
この辺りのことはOさんにも、何か原爆のことを、みんなに知らせようとしてたんじゃない?‥と言われたが、何故、原爆が落ちるかも知れないと感じていたのだろう・・。

一つ考えられるのは、京都で大本教にも関わっていたっぽいこと。入信はしてなかったと思う。お坊さんとして出家していて、その立場を守ろうとしてたっぽい。大本教では原爆を予知されていたと言う話もある。もしかすると、そこで原爆の噂を聞いてたのかもしれない。その噂に自分でも何か納得できるものがあり、広島に通っていたのかもしれない。何とか荒木さんや他の親しい人達に伝えようとしてたのかもしれない。その辺りの詳しいところまでは思い出せない。

◆ 1945年(30代~40代):原爆

  • 原爆
    原爆

原爆が落とされる。
赤黒い曇り空のイメージ。広島の被爆地。原爆が落ちてからまだそんなに日は経っていない感じ。

自分は傘を被ったお坊さん姿で、ひたすらお経を上げながら赤い地面をゆっくり歩いている。自分は京都に住んでいたが、原爆投下を知ってとにかく現地に来たって感じだ。

歳は40歳前後。表向き禅宗のお坊さんではあるけど単独で行動していたっぽい。そのあまりもの光景に涙も出ない。沢山の黒焦げ死体と瓦礫の山。強烈な絶望感。

いや‥これは多分、死んだことに気付けず苦しみ続けている霊達の念がすご過ぎて、それに耐えられない自分を分かっていて、自分の感情をブロックしていて涙も出なかったんだろう。

セッション中に思い出しながらも、これは前世なんだと、今は泣いてもいいんだと思うと、わっと涙が溢れてきた。

その時の自分の感情もどっと出てくる。
戦争と言うものの酷さ。空しさ。無意味さ。みんな生きたいと願ってるはずなのに人を殺さなければ生きていけない矛盾の世界。自然と沸いてくる怒りと悲しみ。でも誰を憎めばいいのかわからない。

ある意味仕方が無いんだろうけど、沢山の人達の業と言うか、こればかりは自分一人の力ではどうしようもない。
何とかしてあげたいけど、本当にどうしようもなかった‥。
そんな感情を押し殺してひたすらお経を唱えながら歩き回る。よく分からないが時々、視点が転がっている死体からの視点になる。成仏できない死体に意識を重ねて、無理やり供養するような変わった術を使っていたっぽい。
我ながらホント不思議な術を使っていたと思い出しながらも感心してしまう。こういうところが密教っぽくって、絶対隠れて何か色々やっていたんだと思う。

  • 思い出の場所
    思い出の場所

私はお経を唱えながら被爆地を歩き、原爆ドームを見た時、あの女性の事を少し思い出していたようだ。
出家していたのだからきっと感情を動かすこともタブーだと自覚してたものの、どうしても思い出してしまっていたのだろう。
彼女はうまく逃げれたのだろうか、それとももしかしてこの原爆で亡くなったんじゃないかとか‥。
もしこの黒い死体の山の中に彼女を見つけてしまったらどうしよう‥。
見つける事はなかったけど。
でもこのセッション中、胸がとても苦しくなった。

散々被爆地を歩き回って、多分いくらかこの時に自分も被爆したのだろう。
広島原爆の当時の死者は、戦後を合わせると26万人になるらしい。
この時、見た光景は一生忘れることは無い。転生しても忘れない。いや忘れてはならないと思った。

前世の日記探しの中、原爆が落ちた当時の事を、広島の三滝寺の住職さんに色々教えてもらったところ、「当時、あちこちのお坊さんが臨時で泊まりに来る事もあったから、その中の誰かだったかもしれないね‥傘を被っていたとなると禅宗かな」と、突拍子もない前世話なのに話を聞いて教えて下さった。
ここから当初、禅宗のお坊さんだったのではと考えていたが、次の心臓停止体験中のビジョンから、どーも禅宗は表向きで、やっていたのは密教系だと言うことがわかってきた。


※以下は、寝ている時に突然心臓が停止したことがあり、その体験中に見えたビジョンを、当時の日記「仮死状態!?2003年08月3日(現在この記事の復元予定はありません)」から抜粋したもの。

いつものようにまた意識離脱状態におちたのですが、今日は何故か突然「本当の自分に会いたいなぁ」と言う思いが強烈に出てきて、すると全身が感電したようにビリビリした感覚に襲われ、気がつくと吸い込まれるように心臓に意識が向いて「あれ?なんでこんなに心臓が気になるの?」って思った次の瞬間、心臓が吸盤のように空間にビタンとくっつく感覚があってハッキリ心臓の鼓動が停止している実感が伝わってきました。

もうビックリして。でも同時に実は以前チベットの修行者の話で心臓が停止している一種の仮死状態の中で色んな次元を見て周ったり宇宙と一体化していくとか言う話をチラッと聞いた事があり、もしかしてそれに近い状態に今なってるんじゃないか?と思い、すぐ意識を肉体から放すように試してみた。でもなかなかうまくいかない。
それ以前に、これってこのまま心臓動かなかったら死ぬって事ちゃうん?幽体離脱よりタチ悪いんちゃうん!?って思ったらやっぱり怖くなって、そのとたんまた心臓が動き出す感覚がありました。

ちょっとさすがにこの体験は焦ってしまいましたが、時間にしたら多分2、3秒の事だったと思う。
時計を見ると午前4時ちょっと前。すぐにOさんにメール打ったらOさんもビックリしてて、とりあえず明日会って、この体験がどう言うものなのか詳しく聞いてみる予定。
でも、生まれて初めての体験のハズなのに、なんとなく要領が思い出せそうな気がするって事は、おそらく前世でも何度か体験してる事なのかもしれない。

  • 意識の移動?
    意識の移動?

でも妙なのは心臓停止中に、同時に広島の原爆後の死体の山の廃墟の中を歩いてる傘を被った坊さんの姿が見えた事。
それが一つ前の前世の自分だって言うのがわかるんだけど、とにかくすごく悲しいって言うのは伝わってきて、もしかするとその時の慈悲と言うかそう言った気持ちで一杯だった自分が、今の自分にとって会いたかった本当の自分なのかなって気はしました。

※以下も当時の日記「危機一髪!? 2003年08月11日(復元予定なし)」より抜粋したもの。

先週の心臓停止体験だが、その前後に見たイメージ。坊さんである自分が見えたのだが、おかしいのはスケッチを見てもらえば分かると思うが、それが下から見上げる角度で自分を見ていたと言う点。
その時の感覚はちょうど横たわってる死体の視点から見ている感覚でもあったのだ。
でも、見えている坊さんが自分と言う確信もあった。でもでも死体と一体化している感覚もありそれが死体イコール心臓停止と言う感じに繋がって、一気に現在の自分の心臓がシンクロして止まるような感覚でもあったのだ。

これはどう考えたらいいのか、ちょっと気になっていたのだが、もしかして坊さんをやっていた自分は、その被爆地の死体一つ一つに対して意識を重ね合わせて成仏させるような事をしていたんじゃないかと思った。

と、まぁ当時はそんな感じで解釈していたのだが、最近ある人から聞いたのは、この他のモノに視点を移す修行が、どーも密教にあるらしい。
生きた人には意識は移せないが、モノとか植物とか、人でも死んだ人なら出来るという。おそらくこの前世の自分は、それをやってたのだろう。
つまり表向きは禅宗のお坊さん、裏では密教って感じなのかと、今は解釈している。
ただチベットの生でも、舞い降りてくる葉っぱに意識を移す瞑想をしている記憶が出てきたので、もともと自分の得意なやり方という事も考えられる。

◆ 1950~1960年代(40代~60代):戦後

  • 戦後
    戦後

戦後は、普通のお坊さんとして生きていたのか、亀岡のどこかのお寺に移っていて、そこで一人で暮らしていたようだ。多分、結婚はしていない。一人でいるのが結構好きなようだ。
今生で何かと縁のある女神さんが、この京都の亀岡にある出雲大神宮の真名井の水の女神さん。この女神さんとは太古の昔の前世から縁があり、だからこの前世でも多分、歩いていけるような距離で、亀岡のこの出雲大神宮の近くに住んでいたのだと思う。女神さんについては、後ほどまとめて書く。

ジョンレノンが好きでうらやましいと感じていた記憶もある。
自分もこの人生で感じた事、体験した事から、何か人に自分の思う価値観を伝えていかなくてはと、何かしなければと、そんな思いが強く出てきている。

でも今、それをやろうとしても難しいと考えていた。
やるとしたら来世だなと考え、そのために、来世の自分に今の自分の気持ちや考えを、早く思い出してもらえるように、独自の修行法なども編集し日記にまとめて書き綴って残そうとしていたようだ。

この記憶が「前世の日記探し」の発端でもある。
この日記は、誰かに預けたか、隠したと思う。

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