2012年 9月のアーカイブ

嫌いな人との縁を断ち切るには

※初めての方はトリップする前に「れんねメモとは」をご覧ください。

初回がこんな嫌なテーマと言うのも申し訳ないが、好きとか嫌いとかの問題は、お客さんの抱える問題の中でも一番多く囚われやすいテーマなので最初に持ってきた。

好きと嫌い

誰しも「好き嫌い」は、あるだろう。
あの人は大好きだから少しでも長く一緒にいたい。逆にあの人は大嫌いだから1秒も一緒にいたくない。
好き嫌いの多い人は、そんな感じで絶えず感情がうねりにうねってる。

でも、こんな事もある。
今まで大好きだった人が大嫌いになる。
逆に大嫌いだった人が大好きになる。

大好きだった人に裏切られて大嫌いになった。
大喧嘩していた相手と急に仲良くなって大親友になった。
付き合っている時は「あなたは私の天使」と言われていたのに、別れた途端「悪魔!」と呼ばれるようになった。。
身に覚えのある人もいるだろう(笑)
人間関係に限らず食べ物や趣味、仕事、様々な事で好き嫌いは普通にあるものだ。

しかしちょっと考えてみてほしい。
「好き」の逆は本当に「嫌い」だろうか?

頭で考える分には確かにそうかもしれない。
しかし実は潜在意識においては、ちょっと違う。
潜在意識はイメージで根付く。そのイメージが強いほど、しっかり根付く。
イメージが根付くというのは言い方を変えると、魂レベルで自分の意識がそのイメージに囚われてしまっているということになる。
「好き」も「嫌い」も同じ「そこに囚われている」ということだ。
「囚われている」の逆は「囚われていない」になる。

つまり潜在意識においては「好き」と「嫌い」は同じであり、その逆は「好きでも嫌いでもない」ということになるのだ。
どれぐらいの強さでそのイメージが焼き付いているのかどうかだけの違いだ。
「すごく好き」も「すごく嫌い」も強く印象が焼き付くが、「大して好きでも嫌いでもない」は、焼きつき方が弱いと言えるのだ。

潜在意識の焼き付きの強いイメージは、転生しても残りやすい。そしてそのイメージの対象と来世で再会すると潜在意識が反応する。
「この人は会った事があるような‥」「初めて会うのに、初めてじゃないような‥」

今世で感情の動く相手と言うのは、必ずと言ってイイほど前世においても関係がある。
特にどうしても「その人」が好きになれないとか、忘れられないと言った感じの場合は前世でも何らかの関係があり、縁が深かったと言える。
「印象に残らない人」「気にならない人」「どうでもいい人」は、基本的には前世の縁が薄いと言う事になる。
(ただし、印象が薄いのに何故かいつも一緒にいるような関係性は、むしろ濃い縁と言える。これについては後ほどあらためて書く)

今世では、憎くて憎くて仕方のない人が、前世では恋人だった。
今世では大好きな人なのに、前世では殺し合っていた。
なんだか真逆の様で、これらは潜在意識においては、お互い相手に囚われていると言う意味では同じなのだ。
脳に刻まれる情報は、肉体が滅ぶのと同時に破壊されてしまうが、潜在意識に刻まれた感情は、輪廻する上でも残っていく。

だからいつも言っている事だが「嫌いになるほど縁が深まる」のだ。
「あの人は大嫌い」と思うほど、その人との縁は深まり、来世もきっと出会うだろう。
もちろん今世の間においても潜在意識が引き合い一緒にいる事も増えてしまう。

仲の悪い親子も沢山いる。
何でこんな親の元に自分は生まれたんだと、親が憎い、親が許せないと。
でも憎めば憎むほど、この親子は来世でもまた一緒になる。
潜在意識にとっては、好きとか嫌いとかが問題ではなく、どれだけその人に対して意識が囚われているかが問題だからだ。

しかも残念なことに「好き」と言う感情よりも「嫌い」と言う感情の方が「囚われが強い」と言える。
「あの人が大好きだから来世も一緒になりたい」と思う気持ちより、「あの人が大嫌いだから来世では絶対に一緒になりたくない」と言う気持ちの方が強くなりやすいので、後者の方がまた来世で一緒になりやすい。

今これを読んで、ちょっとゾッとした人は、その離れたい大嫌いな人に対して、意識を向けるのは、もうやめた方がいいだろう。
来世でまた出会って似た状況を繰り返すだけだ。

じゃあ、そんな大嫌いな人とうまく縁を断ち切るにはどうすればよいか。
それは、その人に対して「好きになる」のではなく「好きでも嫌いでもない」状態になる事だ。

そんなの難しいと思うかもしれない。
でも、ちょっとここで客観的に感じてみてほしい。
なぜ、その人に対して、そこまで自分の気持ちが囚われてしまうのか。

特に相手を嫌いだと感じる場合。
人を嫌いになる理由は様々だが、その多くが自分と似た部分を相手の中に感じた時、それを認めたくないために嫌悪感が湧いてくる傾向がある。

例えば「あの人は口うるさいから嫌い」と言った感情が湧いてくる場合。おそらく自分自身の中にも、自分でも気付けない似た部分があると言える。それは単純に「自分も口うるさいから」とは限らない。

「口うるさい人」と言うのは、例えば「私の本当の気持ち」をみんなにも分かって欲しいんだけど素直に伝えられず、つい、あまり関係のない事をベラベラ喋ってしまって嫌がられるだけと言うタイプの人もいるだろう。
もし、その人に対してそんな風に感じられたら、その「口うるさい人」を嫌悪してしまう自分の中にも、何か人に対して「自分の事をうまく表現できていない」部分があるとも考えられる。

「嘘をつく人」が嫌いなら、自分もどこかで「嘘をついている」とは限らず、嘘をつく「理由」の部分で、相手と似た感情を持っているから嫌悪してしまうのかもしれない。
例えば、その人が見栄を張るために嘘をついているように感じられたら、もしかすると自分も嘘はつかないけれども、見栄を張りたいと言う気持ちは強いかもしれない‥と言った具合に「理由」の部分、「気持ち」の部分に注目すると、その原因を見つけやすい。

もしそれが見つかったら、自分の中にもある要素だと認められたら、その事を誰かに聞いてもらえばいい。
「吐き出し」の作業だ。
話せそうな人がいない場合は、日記に書くのもイイ。
言葉にすると自分の中で整理づけやすくなり、その事に対する囚われが小さくなる。

そうやって自分の気持ちに気付いてこれると、意外と相手に対する囚われも弱まってくるものだ。
嫌いだった人は、縁も切れやすくなる。

ではここで、そんな「嫌いな人」と、前世ではどんな関係だったのかを、ちょっと見てみようと思う。
お客さんに多かった例をまとめてみる。

1:お互いに大嫌いな相手の場合

互いに感情が動く場合は、前世においては互いに傷つけあうこともあれば、逆にすごく仲が良かった前世もあるはずだ。
すごく仲が良かった記憶もあるからこそ、相手のちょっとした行動で傷つきやすく、裏切られたと感じやすい。
それが大きな傷となって残り、憎むようにもなる。
その憎しみの感情が互いに大きければ大きいほど、縁が深く愛情も深いことに気付くといい。
それを認めたくないから、憎しみの感情も大きくなるだけなのだ。

この場合、仲良くなりたければ、自分のプライドを捨てて、自分から折れる事を考える。憎しみの言葉を相手にぶつけたくなるものだが、それは相手も同じこと。
憎しみの言葉ではなく、その裏にある自分の弱さ、惨めさを相手にさらけ出す方がイイ。
案外、ガラッと関係が変わり大親友になる可能性も高い。

しかしここで注意したいのは、大親友にはならない方がいい。
なぜなら大親友になってしまうと、また相手のちょっとした事が許せなくなり、憎しみが生じてきやすい。
こういう相手とは、あんまり深入りしない程度の付き合いがちょうどイイ。

2:自分は大嫌いだけど、相手はこちらを気にしていない場合

自分はその人と「一緒にいたくない」「近寄りたくない」「苦手」「離れたい」と、もしかして前世で自分は、この人に殺されたんじゃないかと思うくらい自分は嫌悪してるのに、その人自身は、あんまり自分のことを好きでも嫌いでもない、気にしてなさそうな場合。

この場合、前世では自分の方が、その人を大きく傷つけた可能性が高い。
つまり、その罪悪感が潜在意識に残っており、それが浮いてくるのを認めたくなくて嫌悪感が湧いてくるケース。
罪悪感の消化は、懺悔が一番早いのだが、思い出せもしない記憶の事を懺悔するのも難しい。

ただ、こっちは嫌ってるのに、向こうにはあんまり嫌われてる感じがしない時点で、一方的に相手に対して嫌悪してしまってることについては懺悔できるだろう。
言葉だけでも構わないので、心の中でこんなに嫌ってしまってごめんなさいと、懺悔を繰り返すと囚われが薄れ縁が切れやすくなってくる。

3:自分は嫌いなのに、相手は自分の事を大好きな場合

いわゆるストーカーなどもこのケースに含まれる。
ストーカーの場合、多くは親あるいは誰かの代わりを、あなたに置き換えていると言う事が多い。
その辺に本人に気付いてもらうことが大事になってくるのだが、このケースは色々複雑で、一言では説明できないので、またいつか別の機会にまとめたい。

ここでは前世でのケースのみ書いておく。
こう言った場合に前世で多いのは、何らかの厳しい状況の中にいたその人を、あなたが助けたと言うパターンだ。

例えば親に虐待されていた子供を助けたとかなどだ。
特に子供の記憶は潜在意識に残りやすく来世に持ち越しやすい。しかも虐待の様な特殊な状況も重なると、助けたあなたに対して「救ってくれる」と言うイメージと一緒に「怖い」と言う虐待された時の恐怖のイメージも一緒に焼き付いている。

つまり今世ではあなたに対して「救ってくれる」と「怖い」と言う状況を「再現」しようと無意識に動いたりする。「今すぐ私の所に来てくれないと私はここから飛び降りて自殺します」と言う様な感じで苦しめてくる。前世の時の様にあなたが助けてくれるシーンを再現したいのだ。

この場合どうすればよいかは、このパターンは色んなケースがあるので、基本的なことだけを言えば、他と同様まずその人に対して「嫌悪」しないことが第一になる。
嫌悪するほど縁が深まるのは、先ほど書いたとおりだ。
もしあなたがすごく嫌悪していたら、前記の2のケースにも当てはまる。つまり前世であなたがその人を傷つけている可能性もあると言える。その場合は懺悔も必要だろう。

あとは、とりあえずその人の話を一度聞いてあげることだろうか。
多くの場合、そう言ったカルマを持ってる人は今世においても子供の頃に親に捨てられたなど、何らかの影を持っている、その辺の話を聞いてあげると、その人は楽になる。
本当は親に愛して欲しかったこと、その気持ちをあなたに置き換えていただけだったことにその人自身が気付けると、その人も多少は落ち着いてくる。

ただ、ここで言っておきたいのは、これもいつも言っている事ではあるが、決して「助けたい」と思いながら話を聞いたり助けたりしないこと。
その人のためを思うのなら「その人が自分の力で乗り越える」ことを願って手を貸すことだ。話を聞くにも淡々と内容を理解することにとどめる。他人事として距離を保って聞いてあげる。でないと増々依存されるからだ。

救助隊に助けられた人は「救助隊」に対して感謝する。救助してくれた人に対して個人的に感情が湧いてくることはあまりない。
それは助けられた人も「仕事で助けてもらえた」と意識できるからだ。
救助隊も、この人は好みのタイプだから先に助けようなんて考えながら助ける人はいないだろう。

でも仕事でもない人が助けてくれたら、しかも異性だったりすると「運命の人?」と余計な感情が動きやすい。確かに何らかの縁はあるだろうが、こういう形で感情が動いてしまうと、ついその助けてくれた人と来世で再会した時、わざわざ前世の状況を繰り返したくなる。
何か「私がピンチの時にあの人が助けてくれる」と言う状況を作ろうとして、その人を苦しめてしまったりするのだ。
その極端なものがストーカーと言った行動に結びつくワケだ。

上記はあくまで一例で、他にもさまざまなケースがあるが、また機会を改めたい。

基本は好きでもない人に必要以上に優しくしない事も大事だと言うことだ。
嫌いになれと言うのではない。変に相手に期待を持たせないこと。
状況によっては、あえて相手に「嫌いです」とハッキリ伝えた方が、相手も諦めがつきやすく相手にとってもイイ場合もある。

4:こちらは何とも思って無いのに、やたら相手に嫌われる場合

これは、もう自分は好きでも嫌いでも何でも無いんだから、放っておけばいい。
相手が自分を嫌うのは、相手の中の問題であり自分の問題ではない。わざわざ相手に好きになってもらう必要はない。
自分自身が、その人に対して本当に「どうでもよい」と感じられるようになったら、縁は自然と切れる。

ただその際、暴力を振るわれるとか、傷つけられると言った場合。
この場合、自分が潜在意識にすでに「傷つけられる」と言う要素を持ってしまっていると言える。いわゆるカルマだ。
この場合は、自分が知らず知らずに別の誰かを傷つけてしまっていないかなど、対処が変わってくるので、その辺はまた別の記事であらためたい。

5:その他、自分が必要以上に相手を嫌ってしまう場合

2や3のケースとは、ちょっと違うパターンがある。
それは自分が、その人を嫌っているつもりが、実は自分ではなく、自分の近くにいる人の感情を知らず知らずに自分の感情として錯覚してしまっているケース。

これは親子関係において一番多い。
父親が大嫌いなのだが、何で嫌いなのか、も一つ自分でもよくわからない。
考えられるのは、自分ではなく母親が父親を嫌っており、その母親の気持ちを知らず知らずに自分の気持ちのように感じてしまっていたと言うパターンだ。

この場合は自分が父親ではなく母親に囚われていると言える。
おそらく母親ととてもよく似た要素を持っており、シンクロしやすい。前世においても母親と縁が深かったのだろう。

この場合、これに気付いた時点で大丈夫。
自分の中で、これが本当に自分の気持ちかどうか確かめ、違ったらイメージで他人の気持ちを切り離すだけでいい。
たまにこういう場合もあるので参考まで。

他にも霊的な理由で第三者に感情をコントロールされるなど、ちょっと普通では起こり得ない特殊なケースも稀にあるが、そうであっても基本的には、嫌いな人に対して「囚われない」が一番のポイントだ。
「好きになる」でもない。「好きでも嫌いでもなくなる」ことだ。

まぁ、そんな気持ちにまでなれたら、その頃には「縁が切れてほしい」と言う気持ち自体も無くなって、その人は「好きでも嫌いでもない、縁が切れても切れなくても、どうでもいい人」になっている。
なんだか「どうでもいい人」と書くと聞こえはちょっと悪いが「もう自分にとって何も問題のない人」と言えるだろう。

ところで、好きな人ともっと縁を深めるにはどうすればいいのだろうか。
これは、また次回のテーマと言うことにしたい。