潜在意識
前世について説明する前に、まず潜在意識について説明しなければなりません。
潜在意識と言う言葉は誰でも一度は聞いたことがあると思います。
我々が普段考えたり、意識できる範囲の意識領域を顕在意識と言います。
そして普段の意識状態ではアクセスできないような深い意識の領域部分、これが無意識や潜在意識と呼ばれている領域なのです。
意識を氷山に喩えるなら、海から顔を出している小さな部分が顕在意識。それ以外の海に隠れた大きな部分が潜在意識と言うことになります。
大人の我々は、普段の意識状態では潜在意識にアクセスすることはとても難しいです。それは潜在意識と顕在意識との間に壁があり、遮られているからです。
この壁を私は「情報の壁」と呼んでいます。つまり小さい頃から両親や大人に教わった常識や価値観、メディアなどから入る情報が溜まって出来上がった壁なのです。
この情報の壁は、ある意味「潜在意識を守っている壁」とも言えます。人から傷つく様なことを言われても、この情報の壁の中で過去の情報によって判断し「あの人は嫉妬して言ってるだけだ」と考え、潜在意識まで傷つかないように出来るわけです。
しかし幼い頃、子供の頃と言うのはこの情報の壁がまだ出来ていないため、大人に比べて子供の潜在意識は、沢山の情報がそのまま焼きつきやすく非常に傷つきやすいのです。
そのためその時期に焼きついた情報は、大人になっても様々な物事の判断に影響してしまいます。
なので多くの思い癖は幼少期に潜在意識に刻まれたものであり、それに影響されていると考えられているのです。
前向きな良い思い癖ならいいでしょう。でも悪い思い癖は必要ありません。排除したいところです。
この悪い思い癖はどうすればいいのでしょう。
催眠療法
悪い思い癖はどうすれば消せるのか。
ここで出てくるのが催眠療法と言う手法です。
「催眠」と聞くと昔テレビでやっていたようなショー的な催眠術を連想される方もいるかもしれません。
しかしここで言う催眠療法とは、医学や心理学の分野で研究、利用されている「臨床催眠」の分野にあたります。
かかったら目が覚めなくなるとか、思い通りに操られるとか、そう言った現象はまず起こりえません。
現実の表層意識を保ったまま、潜在意識にある情報を引き出していく手法になるので、止めたいと思えばいつでもすぐ止めることが出来ます。
逆に言えば持続性がなく、本人が「かかり続けたい」と意識を集中し続けないと体験し続けること自体難しい、いわば自己催眠とも言えるものなのです。
この自己催眠を、特にグループで行うワークにおいて「ここれんね」では「誘導瞑想」と言う言葉を使っています。
自分の力で自分を誘導し潜在意識にアクセスして必要な情報を引き出す。最終的には必要な時に自分で瞑想を行い、自分の悪い思い癖を自分の力で手放せるようになって頂く。
つまり「自分で自分を癒せる自分になる」ことを目的として行っているわけです。
では潜在意識にアクセスして、どのようにすれば悪い思い癖は消せるのでしょう。
それは「気付くこと」です。
思い癖の原因となる場面での、その時の自分の気持ちに気付くことなのです。
それだけでその原因に対する集中度が弱まるので、それに比例して価値観の偏り(悪い思い癖)も弱まります。
瞑想(催眠)状態の中、当時の場面が感情と共に浮き上がってきます。
ああ、いつも前向きに考えられないのは、小さい頃よく親に否定されてたからなんだ・・と、そして「否定されるのがつらかった。悲しかった。」と言う当時の感情がこみあげてきます。
そうやって自分の気持ちに気付いて感情と一緒に吐き出すことで、その原因に対する集中度が弱まり、前向きに考えられないような思い癖も弱まります。
原因が分かってしまえば、同じような状況になっても「ああ今、前向きに考えられないのは、小さいころ親に否定されていたからだけなんだ・・」と、現在の問題と感情を切り離すことも出来るようになります。
前世を体験する理由
思い癖の原因が幼少期にあることはわかりました。
しかし実際には原因は複数存在していたり、潜在意識にアクセスしても本当の原因ではなく、それを覆い隠す別の弱い原因を本当の原因だと錯覚することも多いです。
特に本当の原因が、とても恥ずかしい経験であったり悲しい経験であったりするとなかなか出てきません。
では、どうすればいいのでしょう。
幼少期のつらい自分の体験が、他人の体験であればいいのです。
つまり「前世の自分の物語」として体験すれば、つらいエピソードも他人の物語としてスルスル出てくるのです。
例えば今はとても優しい母親なのに、実は赤ちゃんの時に母親から虐待されていたとしたら…。
潜在意識からそんな記憶が蘇えってきそうになっても、必ず「認めたくない」と言う心の深い部分でのブレーキが働いて、進まなくなったり全く出てこなかったりすることがあります。
しかし母親から虐待されていた事実が、仮に前世の話だとしたら…。今の母親は関係が無いので、それほどブレーキをかける必要も無くなります。
事実の出来事を掘り起こす必要は無いのです。作り話で構わないわけです。
大切なのは作り話であっても、そこに伴う感情が真実であれば、それで必要な結果は得られると言うことなのです。
出てきた前世が、友人に裏切られて「つらかった」と言う前世物語だったとしたら。
もしかすると本当は自分が赤ちゃんの時、父親に裏切られたと感じた瞬間があり「つらかった」と言う感情がそこに生じていたのかもしれません。
その感情が前世の物語に置き換えられて出てきただけなのかもしれません。
それでもその「つらかった」と言う感情、気持ちを自分で認める事ができ、さらけ出すことで心は軽くなるのです。
つまりその前世の記憶が本当かどうかは全く重要ではなく、そこにともなう気持ちが、解放される感情が一番大切なのです。
ここれんねではこのように、前世物語や未来物語を通して、感情を開放していく様々なワークを行っているのです。
前世って本当にあるの?
実際に体験すると感情と共に前世の記憶として蘇ってくるので、これは本当なんじゃないかと、前世は実在するんじゃないかと誰でも気になってくると思います。
さらに「ここれんね」では、「
リンク誘導
」のようにグループ内で互いに会ってる時の前世への誘導や、古代文明をテーマにした誘導など、「前世を楽しむ」と言うスタンスで様々なワークも行っています。
そのため時には同じ参加者同士で、どーも同じ時代の同じ場所で同じ場面を、それぞれの視点で体験してるようにしか思えない記憶が出てくるようなこともあったり、参加者によっては前世体験で見た場所を、現実で見つけてしまったりなど、ますますこの前世は本当なんじゃないかとドキドキさせられる現象がよく起こります。
でもだからと言って、その前世が本当なのかどうかを証明することはできません。そもそも証明できる物差しを我々は持っていません。
死後も前世も物理的実態を持たない我々の「心」の中の体験現象だからです。
ここでいくら前世が本当にあるのかどうかを議論しても永久に答えは出ないでしょう。
大切なのは前世体験が本当かどうかではなく、一緒に湧き出てくる感情や気付きです。
体験と共に自分の中の囚われに気付いて、手放して楽になっていくことが大切なのです。
「ああ、あの人がここまで私を目の敵にするのは、前世でこんな事があったからなのか。何だか許してあげたくなってきた」とか、「私がここまであの人に気持ちが囚われてしまうのは、前世でこんな事があったからなのか。何だか分かってしまうと、どうでもよくなってきちゃった」とか。
体験した人が自分の中で気持ちを整理して、結果的に心が軽くなればそれで良いのです。
その前世が本当かどうかなんてどうでもよいことです。誰も否定も肯定もしません。
自分の中で「もしかすると本当かもしれない」とドキドキしながら、楽しみながら体験して同時に心が軽くなってくれれば、それでいいのです。
前世の実在はいずれ自分が死んだ後に、ゆっくり確かめるといいでしょう。