心応理メモ

タグ: 嫌な気配の浄化法

※本ブログ「れんねメモ」を初めて読まれる方は、読んで後悔する前に「れんねメモを読む前に」をご確認ください。

  • 浄化法
    浄化法

今回のテーマは浄化だ。
例えば怖いテレビや動画を見た後、嫌な気配を感じる事があるだろう。
それは気のせいだ。
‥‥。
と、それで納得できる人なら、この記事を読む必要は全くない。
気のせいで済ませられる人や、目に見えないものを一切信じない人は、ある意味その考え方でちゃんと防御しているからだ。
気のせいだと思いたいけど、信じていないけど不安になる人。
ムッチャ信じるから怖い人、怖い動画を見てる時って絶対アチラの方々が寄ってきている‥と考えてしまう人のために今回はその嫌な気配の浄化法を書く。
休止中に書いた塩酒風呂の入り方もあらためてこの記事で復元しておく。

まずその前になぜ嫌な気配と言うものが生じるのか。
なお嫌な気配の中には、未来に対する悪い予感的なものもあるだろう。
これは潜在意識がキャッチするある意味警告なので、その未来の道から外れる努力をすればイイし、嫌な予感そのものを消してしまったら警告の意味がなくなる。
なので未来の予感的な嫌な気配については、今回ここでは省略する。
それ以外の主に外的要因による嫌な気配。その浄化法が今回の話になる。

運命に影響を与える三つの要因

さて、嫌な気配の浄化法について書く前に、そもそも何がこの嫌な気配を起こすのかを理解してもらうため、少し人間の運命に影響を与える三つの因縁についても簡単に書いておきたい。
誰しも幸せになること願って生きているとは思う。全人類の不幸を私が背負ってあげたいと願っている聖者のお方はここでは省かせていただく。
幸せになれるかどうかはその人自身の価値観や行動によって決まってくるものではあるが、それ以外に本人が意図せずとも影響を受けてしまう要因が三つある。
一つ目は前世からくる因縁。(前世で生じたカルマ)
二つ目は先祖や家系からくる因縁。
三つめは土地からくる因縁。
大きくはこの三つだ。この三つの因縁についてもう少し詳しく書いていく。

前世の因縁の浄化法

一つ目は前世の因縁、カルマ。これが一番影響が大きいというか、その人自身の運命そのものを作り出している因縁とも言えるだろう。
極端に言えば他の先祖や土地絡みの因縁も、結局どんな土地のどんな家族の元に生まれてくるか、本人の前世の因縁によって決まってくるから、最も重要な因縁と言える。
私はこんな親の元に生まれたくなかった、もっと裕福な家に生まれたかった、そう感じる事は誰にでもあるだろう。
しかし今生活しているその家、その家族の元に生まれてこそ学べることがあり、アナタの魂が選んで生まれてきているとも言えるのだ。
そしてそこで学ぶべきものを学び終え、必要が無くなり囚われが無くなった時に、自然と縁は切れていく。

この因縁は、主に人と接しながら生きていく中でその摩擦から生じるカルマの積み重ねとも言える。
人と接して嬉しくなったり悲しくなったり、そういった感情の動きが潜在的に刻まれ残ってしまう。
これを消化しようともがく事でまた刻まれる。そんな感情の動きの繰り返しが魂に刻まれ続け、消化しようと輪廻を繰り返す。
ある意味この因縁は、自分に接するものに対して潜在的無関心になっていかないと、なかなか完全な消化には至らない。
全ての苦しみを消化しようものなら、悟りを開く修行でも始めた方が輪廻のスパンで考えるとよっぽど早いだろう。

ただそこまで望んでいるのではなく、今ある苦しみから逃れたいのであれば、基本的にはそれに囚われず淡々とこなし生きていくことで消化は出来る。
もう少し早く消化したいのであれば、考え方や行動の変化によってある程度は短期間で消化出来る。
カウンセリングや前世療法で、囚われを手放して変化を得ていくのも一つの手ではある。
ただ前世については無数にあるし、やみくもに見ても本当の原因にはなかなかたどり着けないものなので手間はかかる。
なのでここではもっと簡単な、普段からあまり意識せずに出来る浄化法を少し紹介しておく。

まず、あらたな余計なカルマを積まない方法。
「特定の人を批判しない」という事だ。
心応理講座では耳タコの話ではあるが、あの人がどうとか、この人がどうだとか、潜在的罪悪感を積むような言葉は使わない。
人の問題はその人自身の問題であり自分の問題ではない。自分の問題は人の事が気になってしまう自分の感情自体だ。
つまり批判はすべて自分自身にも当てはまるから言いたくなるものだという事を意識してみる。

次に既に積んでしまったカルマの簡単な消化法。
これも今更と言いたくなるほどご存じの方は多いと思うが、「ホオポノポノ」の利用だ。
「ごめんなさい。許してください。愛しています。ありがとう。」と繰り返し唱えるだけで幸せになるというおまじない。
ここではこれの唱え方のコツを書いておこうと思う。

まずは何度か唱えてみて、この4つの言葉の中で唱えることに抵抗を感じる言葉を探す。
その抵抗を感じる言葉が、消化されるべきカルマに関係していると言えるのだ。
逆に普段から抵抗なくよく使う言葉は問題が無いので、唱えてもあまり意味を成さない。

例えば「ごめんなさい」と言う言葉を唱えることに抵抗を感じる場合。
「なんで何も悪いことしていないのに謝らなきゃならないの?」って感じで感情が動いてしまうような人は、嫌悪が強い傾向にあると言える。
前世で誰かを傷つけてしまい潜在的罪悪感に囚われていると、それを認めたくないために今世で嫌悪が強くなってしまうのだ。
この傾向の人は「ごめんなさい」といった言葉を発することにとても抵抗を感じ、その反面まわりの人の過ちが許せなくなる。
なのでこの「ごめんなさい」を繰り返し唱えていくことで、潜在的罪悪感と共に嫌悪感情を消化できる。

つまり、ホオポノポノは前世のカルマの消化を促すおまじないとも言える。
これを唱えることに抵抗を感じる人ほど、前世に関係したであろう人々を想定しながら唱えていくとカルマが消化される事象を起こしやすくなる。
前世療法を受けなくても出来る最も手軽な消化法かもしれない。

先祖の因縁の浄化法

前世が消化されてもなかなか変化が起こらない時は、次に先祖や家系からくる因縁が足を引っ張っている可能性を疑ってみる。
実は私は元々先祖とかあんまり重視していなかった方で、まぁ墓参りさえしっかしていたらイイだろう‥ぐらいにしか考えていなかった。
それが除霊などをするようになって、必然的に霊の供養をする機会が増えて色々分かってきた。
ご先祖さんも子孫の幸せを邪魔したくはないんだけど、色んな思いに囚われて気付いてほしくて、苦し紛れに結果的に子孫の幸せを邪魔してしまっていることが多いんだなと。

例えば、望んでもいないのに不倫の恋にばかり縁付いてしまう人の場合。
誘導すると似たような成就しない恋愛を繰り返していたと言う前世が出てくるケースはよくある。
普通はその辺りの前世を見て、感情を解放すれば囚われは弱まり、不倫の縁を引き寄せにくくなる。

しかしそもそも、こういった前世があると今世この世に生まれてくる時に、似たようなカルマを持っている家族の元に転生してしまいやすい。
不倫の因縁を持っている魂は、不倫の因縁を持っている家系に生まれやすいと言えるのだ。
となると自分の前世で消化しても、実は親も不倫の経験があったりすると、親の感情の影響を受けてまた不倫の縁に繋がってしまう可能性も残っている。
さらにすでに亡くなっているご先祖さんの中にも不倫で苦しんでいた人がいたりすると、その苦しみに気付いて欲しくて子孫である自分に不倫の縁が繋がってくる可能性もある。

人は死ねば普通は生まれ変わる。しかし人の魂は分裂したり結合したりすることもある。とても多次元的だ。
つまりご先祖さんの本体は生まれ変わっているとしても、恋愛で報われなかったという想いが別の魂のように同時にアチラの次元に存在し、先祖の霊として子孫に影響を与えていたりもするのだ。
何とも面倒くさい話になってくるのだが、そういった意味で前世で原因を消化しても変化が起こらない時は、先祖の因縁を意識してみるのも手と言う話だ。

先祖の因縁を解決する方法としては、基本的にはお墓参りなどの先祖供養だ。
でも、もしお墓参りに簡単に行けない人は、無理に行く必要はない。
ちょっとしたイメージで供養してみるといい。
具体的には広いお花畑にご先祖さん達が集まってゆっくり過ごしているイメージをする。
お供え物があれば、それが分裂してご先祖さん達全員に行き渡るイメージをする。
ない場合は、イメージの中でご先祖さんが好みそうなものを作る。オニギリやみそ汁、お茶などが沢山現れて、ご先祖さん達に配られるイメージをする。
ご先祖さん達は我々の気持ちぐらいすぐ分かるので、そうイメージをするだけでキャッチして喜んでくれる。

あと、これは手段として書いてよいのか分からないが、参考までに書いておく。
苗字を変えると先祖の因縁も変わる。
つまり結婚して相手の苗字に変わる。すると新しい苗字の相手の家系に何らかの因縁があれば、今度はそれの影響を受けるようになるのだ。
もちろん自分自身が旧姓から離れて新しい苗字になったと言う意識は重要で、結婚しても会社では旧姓を名乗るような人は旧姓の影響も続く。
そういう意味では、将来結婚や養子で苗字が変わる可能性のある人は、今のご先祖の問題はあまり気にしなくてもイイかもしれない。

土地の因縁の浄化法

そして三つ目の土地からくる因縁。
これについては、あいにく私が直接問題として取り組んだことが、まだほとんど無いので、霊の供養的みたいな形で何か直接操作できるのかは、今のところちょっと分からない。申し訳ない。
私自身は、引っ越す時に上との繋がりやすさで決めるのだが、繋がりにくいと感じる部屋とかであっても、時間をかければ上に関しては孔もあけれるし、不浄なものも浄化は出来る。
なので近所にある神社仏閣関係や、山や川と言った風水的なもの、地球そのもののパワースポット的な、各地のエネルギーの差のような影響もあるとは思うが、後付けで何らかの形で操作も出来るとは考えている。
ただ現時点では私もよく分かっていないので、これについてはまた色々分かってきた時にあらためて書きたい。

まぁ分からないだけで終わるのも、アレがアレしてアレみたいな意味不明の内容になってしまうので、ここでは「塩盛り」だけ簡単に書いておこうと思う。
粗塩を用意する。粗塩そのものについては後述の「塩酒風呂」で詳しく説明しているので参考にしてほしい。
粗塩はそのまま使ってもいいが、一日外で太陽の光にあてて干して清めるとさらにイイ。
そして自宅の玄関、よく使う部屋の四隅などに皿に盛って置いておく。量はコップ半分ぐらいか。適当で構わない。
あとは普段からその盛った粗塩を目印に光に囲まれ守られているイメージを、思い出した時に小まめにする。
私の場合は粗塩をビニール袋に入れて四隅に置いたりする。何かの拍子にこぼしてしまうのが嫌なので。そして1ヶ月ぐらい経ったら、その塩を塩酒風呂に使っている。
あと粗塩の代わりに水晶の類を四隅に置くのもいい。

これらの効果は、そこで生活する人自身の普段のイメージ力にも大きく左右されることを付け加えておきたい。
つまり効果があるものと信じて普段から意識する事。潜在的に信じているような人なら別だが、全く信じない人が同じことをやってもあまり効果は無い。

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イメージによる浄化法

さて前置がかなり長くなった。そう、ここまでは前置だ。ここから本題になる。
前世の因縁や先祖の因縁は、長きにわたって影響するもので、急に嫌な気配がするようなものではないので、区別してもらうために先に書いておいた。
土地の因縁も、引っ越す時に何かを感じる事はあるかもしれない。
それが暖かく明るく感じられるものなのか、冷たく暗く感じられるものなのか、その辺りで判断して決めるといいと思う。

ここから書くのは上記以外の嫌な気配。つまり何らかの意図をもって寄って来られるアチラの方々に対する対処法だ。
最初にも書いたが、そもそも霊も神様も信じない人や、そんな気配を感じた事のない人は、むしろそのままの方がよい。この記事を読む必要はない。

嫌な気配と言うのは、一部の未来予知的な警告以外は、何らかの低波長のエネルギーによって引き起こされる。
その主なものとしては、生きている人間の低波長の意識(生霊)、死んだ人間の低波長の意識(死霊)、死んだ動物(人間以外)の低波長の意識(動物霊)の三つ。
低波長と言うのは心応理でいうところの嫌悪感情、孤独感情、不安感情を指す。
私にとっては一番厄介なのは生霊。次に動物霊。最後に死霊だ。
この三つのそれぞれの特性と対処法について書いていく。

生霊の浄化法

生霊は誰でも飛ぶ可能性がある。
「憎い!」「許せない!」と言った怒りを伴う感情(嫌悪感情)の時や、「愛おしい」「私だけを愛してほしい!」と言った強い利己的な感情(孤独感情)に囚われた時に飛びやすい。
後は生霊と言うほどでもないが、不安感を持った人と関わっている時に、こちらまで妙に不安に駆られるという事も敏感な人ならよくあるだろう。

ちなみに相手の幸せを願うような博愛に近い感情は、生霊ではなく光となって相手を守護したりする。
相手が自分だけを愛していて欲しいと言った感情、自分だけのものにしたいという感情、愛したいのではなく愛されたいという感情は、親の代わりを求めている感情に近く生霊が飛びやすいのだ。

生霊は最初は本人の感情に従って飛ぶのだが、あまりその感情を繰り返すと、本人の魂の一部が生霊として独立し、本人が忘れていても勝手に自動運転で行動するようになってしまう。
なので祓っても祓っても繰り返しやってくる。生霊を止めるには本人に気付いてもらうしかない。
飛ばしている本人が「自分の生霊が飛んでしまっているかも。それは嫌だな。」と気付いてくれるとピタッと止まる。
また飛ばされる側も、生霊が来ていることを意識しすぎると、生霊にその意識のエネルギーを与えて大きくさせてしまう面もあるので注意が必要だ。

生霊は憑かれやすさとか関係ないので、基本的に防ぎようがない。
ただ、嫌悪や孤独や不安感情が小さい人であれば波長が合いにくく、憑かれても物理的なケガをするなどの現象は起きにくい。
代わりに近くにいる波長の合う人が、ケガをするなどの影響が出てしまうことがあるので厄介だ。

誰か生きている特定の人の思念が来ているような気がする場合。
まず生霊には餌をやらないでほしい。
つまり「これ生霊じゃね?やばくね?」と彼らを意識することは、彼らに意識のエネルギーを与え、活動力を与えていることにもなるのだ。
まずは必要以上に意識しない。

そして可能であれば飛ばしている本人に伝えて気付いてもらう。
「昨日遊びに来た?」と本人に教えてあげる。
まぁ「昨日、私のこと考えてなかった?」ぐらいが無難かもしれない。
それで生霊の自動運転が止まる。

逆に自分が無意識に生霊を飛ばしてしまっていることもあるだろう。
もし10年ぐらい経っても未だに思い出してしまうような、そんな忘れられないような人がいたら、おそらく飛んでしまっている。
長年生霊が自動運転してしまっていると、飛ばしている本人に時々思い出してもらおうと生霊が動くようになる。
そうする事で、エネルギー補給してさらに活動し続ける事ができるからだ。
こんな形で循環しだすと、飛ばしている本人はすっかり忘れていても、生霊は活動し続けていたりする。
この状態になると思い出すたびにどんどん生霊に運気も吸い取られ、いつまで経っても忘れられなくなって、新しい未来に繋がりにくくなる。

もし過去に思い当たるような人がいたら、今すぐ意識的に「あの人の所に意識が飛んでしまっていたら嫌だな」と考えてみて欲しい。
バレてるかも!気持ち悪がられているかも!と、飛ばしている本人がしっかり意識すれば、ちゃんと止まってくれる。
特に好きだった人なんかは、しっかり切り離しておかないと、知らず知らずにそっちに自分のエネルギーが吸われて、新しい恋愛がなかなか縁付かないという事もよくある。
過去は過去。前世の恋人も過去の恋人。必要以上に囚われず未来に意識を向けて前に進みたいものだ。

動物霊の浄化法

動物霊については「 霊能者とは 」の記事で詳しく書いているので、そちらを参照して欲しい。
ここで追記するとすれば最近の傾向を少し書いておく。

このところよく見かけるのは動画配信などを見て動物霊をもらってしまう人だ。
SNSや動画配信は面白ければ一気に多くの注目を浴びる事が出来きて憑けまくれるので、今動物霊達の間でも大人気なのだ。
よく動物霊に憑かれた人を見つけた時に、どこで拾ってきたのか調べていくと、Youtubeなどの動画を見ていて憑かれたというケースがとにかく多い。
特にスピ系の動画には気を付けて欲しい。「動物霊の対処法」みたいなタイトルの動画を見たら動物霊に憑かれた‥なんて事がよくあるのだ。私もどう突っ込んでイイのか分からない^^;
間違ってもそんなタイトルで検索しないで欲しい。
見る人も誰が憑かれていて誰が大丈夫かなんて分からないだろう。そこはもう見る人の波長に従って縁付くとしか言えない。
見る人が嫌悪や孤独や不安に偏っていると、やはり動物霊に憑かれた人のサイトや動画に縁付きやすくなる。
なので動物霊に憑かれた時点で、動物霊の対処法をネットで探しても、すでに憑いてる動物霊に誘導されるので、動物霊に憑かれた人のサイトしか見つけられなくなるのだ。

動物霊はスピ的な事が好きな人、楽して儲けたい人、周りに注目されたい人、理論的思考の人は狙われやすい。
スピ好きな人には色々奇跡を起こし、神さんに化けて近付けば簡単に騙されてくれる。楽して儲けたい人には突然のラッキーを装って。
注目されたい人には、霊力を与えたり才能を与えれば喜んで憑かれてくれる。理論的思考の人は、その人の信じる理論的ルールにさえ従えば、思い通りに誘導出来る。
動物霊に憑かれないためには、基本的には嫌悪や孤独や不安に感情が偏らないこと。
特に彼らが苦手なのは、欲のない普通の幸せを望む真面目な人間だ。つまり普通の生活で真面目に勤めて欲張らなければ、彼らに狙われることは基本的に無いものなのだ。

動物霊の対処法としては、後述する死霊にも有効なのだが、基本的には塩酒風呂と神社参拝だ。
この二つについては、後ほど詳しく書く。
ここでは緊急性のある場合に、何も用意しなくても出来る簡単なイメージ対処法を書いておく。
ただしこれはあくまでその場の嫌な気配の消し方だ。度々嫌な気配が続くような場合は、塩酒風呂と神社参拝も必ず行って欲しい。

何か憑かれているのかも‥と嫌な気配を感じる時は、まずその気配が体のどこで感じられるか探してみる。
もし特定の場所に嫌な気配があったら、それを黒い影など特定のイメージでとらえてみる。
ちなみに私の場合は最初に黒い影でイメージしてみるのだが、それが動物霊の場合は途中から影が「にゃんこマーク(^・・^)」のイメージに切り替わるので動物霊だと分かる。 なぜ(^・・^)になるのかは…よく分からない。
多分、私の潜在意識の中で「人間以外の動物」と言うシンボルになっているのだと思う。それ以上の深い意味は無いはずだ。
ただ蛇も狐も狸も鳥もみんな(^・_・^)になってしまうので、何の動物かは見分けがつかなくて何とも微妙だ。

次にその影をギュウーっと握りつぶすように小さく小さくなっていくイメージをする。
どんどん小さくなって、パチンコ玉ぐらいにカチカチに固まってるイメージをする。
あとはそれをしっかりつかんで、心応理を受けた人なら精霊界を思い出して、受けていない人は彼らの帰るべき次元を想像して、そのパチンコ玉を投げつけて、向こうで彼らが光に包まれて解放されるイメージをする。
ここれんねのグループワークに参加されたことのある人なら、練習瞑想を思い出してほしい。あれと同じだ。

ポイントはしっかり信じてリアルにイメージすること。
特に手に掴む時は、しっかり手に移動したイメージをする。背中とか手の届かない所であっても、掃除機のようにスポンッと手の中に入るイメージで捕まえられる。
そして投げつける時は、しっかり手から離れて飛んでいくイメージを最後までする。
イメージするのが苦手だという人は、しっかり「出来たつもり」「やったつもり」になることで出来る。

死霊の浄化法

そして最後は死霊(人間の霊)について。
私はあんまり死霊さんと接したことが無いというか、気付くこと自体が無かったので知識は浅い。
最近になって、動物霊を人間に戻して浄化する機会が増えたので、やっとちょっと色々分かってきた。
基本的に死霊はこの場合、成仏していない人の霊、未浄化の感情だ。
つまり現世に心残りがある意識体。消化できない感情の塊に囚われて動けないような状態。

生きている人間も、特定の考えに囚われて動けなくなる時はあるだろう。
あの人の事を忘れたいのに忘れられない!って時、あの人のイメージが頭のまわりをぐるぐる回っており、意識するたびに増々そのイメージに意識のエネルギーを注入してしまい大きくなって余計に忘れられなくなる。
この状態で亡くなると、そのイメージに囚われたまま魂が動けなくなり成仏しにくくなる。
コチラとアチラの次元の狭間で死霊として彷徨ってしまう‥そんな感じの存在だ。

死霊は同じような苦しみを抱えている人に、波長が合って寄ってくることがある。
普通はむやみに怪しい場所とかに行かなければ、そう簡単に憑かれることは無いので心配ない。
なんらかのマイナス思考に囚われていると拾ってしまうかもしれない。

なので死霊の対処としては、普段から前向きな気持ちを維持できるならそれが一番いい。
前向きな人は、彼らも居心地が悪いので憑かれにくいし、憑かれても直に離れていく。
絶望するような悩みを抱えている時に「ナニ落ち込んでんだよ頑張れよ!」って言ってくる人には、悩みを打ち明けにくいだろう。
同じように絶望するような悩みを抱えている人がいたら「この人なら私の悩みも分かってくれるかもしれない」と話しかけたくなる。これと同じだ。
成仏できない霊は、嫌悪、孤独、不安感情に支配されている状態の意識だ。これらの感情が無ければ普通は成仏している。
なので同じように嫌悪、孤独、不安感情に偏っている人の所に寄ってきやすい。
だから前向きな気持ちを維持できるならそれが一番よい。
それが難しければ「私にはアナタを助けられません。助ける気はありません。」とキッパリ強い気持ちで、心の中でお断りすること。
心でそう思うだけでちゃんと彼らには分かる。
あるいは、そもそも普通は嫌な気配は感じても、それが生霊なのか動物霊なのか死霊なのか分からないと思うので、とりあえず動物霊同様に嫌な気配をギュッとパチンコ玉にして、天に投げつけるイメージをしてもいい。
どこか怖い場所に行って急に肩が重くなったとか、そういった拾っちゃったかもって時は、パッパッと手で祓うだけでもイイ。
何らかの本人との縁が無い限りはそれだけでも落ちる。

本当は死霊の家族の者が供養するのが一番理想だ。
もし死霊さんの気配がハッキリ分かるような人ならば、落ち着いて一度話を聞いてあげられると一番いいのだが。
ただこれをやりだすと、私も助けて!私も何とかして!と次々引寄せてしまう恐れがあるので、お勧めは出来ない。
なので本格的な供養については、ここでは省略しておく。

光による浄化

その他、とにかく悪い気配を消す方法として、光で自分の体を浄化する方法も書いておく。
天から大きな光が降りてきて全身に強く降り注ぐイメージをする。これだけでもしっかりイメージが出来れば浄化出来る。
もうずっと光が降りてきているイメージが自動化されるぐらいのつもりでやれるともっとイイ。
基本的には感情の波立たない落ち着いている時に、暖かい気持ちで行うとイイ。
具体的にはこの記事の最後に自己誘導文を紹介しているので参考にしてほしい。

イメージによる浄化法の心構え

ここまで書いたイメージによる各対処法の心構えを最後に付け加えておきたい。
「霊は既に死んでいる存在。物質界で最も強いのは生きている人間の意志。」
この言葉の意味をしっかりかみしめて欲しい。

人間は理解できないものに対して恐れを感じる。
だから幽霊やお化けって怖いものってイメージがある。そして襲われたらきっと勝てないみたいなイメージ。
漫画や映画はその恐怖感を煽った分だけ、勝利の爽快感が大きくなるので、余計に見えない存在を誇張して描く事が多い。
しかし実際、幽霊やお化けは全く怖いものではない。
そもそも元は我々と同じ生きた人間だ。
寂しくて悲しくて辛くて生きている我々にすがってくるだけなのだ。

魔界から来た鬼のような存在だって同じだ。
彼らはこの人間界では無力。直接人間を襲ったり支配したりは出来ない。
そんな力があったら、この人間界はとっくに滅んでいる。
実際には、そんな力が無いから、わざわざ人間を様々な手で誘惑してくる。
わざわざメディアで、いかに見えない存在が怖いものであるかのように演出してくるのだ。

私は一番厄介なのは生霊だと最初に書いた。
生きている人間の意識の方が、死んでいる死霊や動物霊よりよっぽど強いからだ。

そして同時に高次の存在もまた、この人間界においては基本的に無力だ。人間に直接は大して影響を与えることはできない。
霊能者とは 」の記事にもあるが、いくら沢山の神様がついてるような霊能者であっても、本人が油断すると簡単に動物霊に憑かれてしまう。
神さん達がいくら助けたいと思っても、本人が神さんに化けた動物霊の方を信じてしまうと、もう助けようがないのだ。
ここは人間界。人間の意志が一番強く、そして一番恐ろしい存在でもある。
この事をまずしっかり意識して欲しい。

そしてもう一つ、こう考えるのも嫌な気配を消すコツになる。
「想像の産物は想像で消せる」
って事。

これを言ってしまったら、今まで長々と書かれた怪しい話は何だったのかと思われそうだが、あくまで気持の上での話だ。
「人間の意識が一番強い」って考え方より、こっちの方がシンプルでしっくり来そうならこっちでもイイ。
そう。霊なんてものはそもそも物理的存在ではない。実体が無いのだ。
ただの我々の想像の産物だと一度考え直してみよう。ただの想像なら想像で簡単に消せるだろう。
気のせいは気で消せばいいだけの話だ。
嫌な想像は、もっと強力な心地よい想像で消してしまえばイイだけなのだ。

と、まぁ心構えというかイメージとしてはそんな感じだ。

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神社参拝と塩酒風呂

神社参拝

高次の力は人間界では基本的に無力と書いた。
しかし地球上においてはエネルギーの流れ方に差があり、大きな流れのあるポイントにおいては、高次の力は人間にとって大きな影響を与えることができる。
いわゆるパワースポットと呼ばれる場所で、日本で言えば大きな神社が建てられていることが多い。
昔の人達が、高次の存在と繋がりやすいと感じられた場所において神様を祭ったりしていた場所なので、大きなパワーが得られるのは確かだろう。

イメージによる浄化法が難しい場合は、最寄りの大きめの神社へ参拝に行くとイイ。
しっかり管理されている大きな神社は、エネルギーもイイので低級霊も落ちてくれやすい。
自分の行った事のある神社でしか分からないが、神社のエネルギーにも色々種類があるようで、京都近辺の方なら北野天満宮。東の方は熱田神宮。西の方は出雲大社が、特に悪い気を祓うにはお勧め。
30分ぐらい過ごすと大概は落ちる。
単純に考えると伊勢神宮が一番大きいのでそちらが良さそうなものなのだが、いいエネルギーをもらうにはとてもイイのだが、低級霊などを祓う分には上記の神社の方がさらに効果があるようだ。そのうちその理由やもう少し全国でお祓いに強い神社など分かってきたら、あらためてここに追記しようと思う。

※2022.04.05追記
関東のお客さんからの情報で確認できたものを追記します。関東であれば茨城県の鹿島神宮が悪い気に効果ありです。ただしこれはかなりキツめ状況を想定しての効果です。普通にその辺の低級霊を拾ったとかなら伊勢神宮を含め普通に近所の大きめの神社で十分効果あります。ご参考まで。

なお参拝時は、あんまり憑かれていることを意識しすぎないこと。まだ憑いてるかな?と意識することは、まだ憑いててねとお願いしているようなものだ。
一度忘れるか、あるいは神さんのエネルギーを感じる事の方に意識を向けた方がイイだろう。
もちろんこれは神社のパワーを信じている人ほど落ちやすい。
お寺とかの方がパワーありそうと普段から考えている人なら、不動明王なんかを祭っているところを参るとイイだろうし、その他の宗派の方はそれぞれの自分の信じている宗教施設の方がイイかもしれない。

参り方としては、別記事でも書いているが、摂社など隅々まで参拝することはあまりお勧めしない。神社によっては摂社や末社の管理で手抜きされていて、そこに動物霊が入り込んでしまっていることがたまにある。
基本的には本殿だけ。あるいは綺麗に管理掃除されていてお供え物があるような社だけ参る方が確実だ。

その点以外、具体的な参拝方法などはあまり気にする必要はない。別記事でも書いているが、しっかり気持ちを込めて参れば何も問題ない。
ただ普段から決まりごとが気になる人。
例えば呪文も「3回唱えなさい」と書かれていると3回唱えないと効果出ないんじゃないか?と考えてしまうような人は、事前にキッチリ調べて決められた通りに参った方がいいだろう。
そうでなければ、決まり事よりも気持ちを込める事の方に意識を向けた方がいい。

そもそも呪文や印もそれ自体に力があるわけではなく、電気を通す回路の様なもので、唱える人自身の意志の強さや気持に従って電気が生じるようなものだ。
意志の強い人であれば、回路は無視して直接電気を起こして神仏に繋がればいい。
それに今に伝わる呪文や決めごとが数百年、数千年前から果たして本当に原形をとどめているものかどうかも怪しい。
いや、それ以前に特に密教系の呪文なんかの今に伝わるほとんどのものは、一般の人でも唱えやすいようにかなり簡略化されているはず。
私が密教修行者だったら、多くの人々を救うためのお経は隅々まで理解した上で隠れて唱えるものの、それとは別で誰が唱えても間違っても危険のない形で簡略化したお経を作って、そちらをワザと一般に漏らすだろう。いや多分絶対前世でやってそう^^
そういう意味でも決まり事はそんなに気にせず、気持ちやイメージの方に集中されることを私はお勧めする。

塩酒風呂

そして塩酒風呂の入り方。
まだ除霊等がよくわからなかった頃、お客さんに教えてもらい試してみた時、頭に塩酒を刷り込んでいると一瞬髪の毛が大量に抜けたのかと思うほどズルっと何かが取れる感触があった。
その直後に寒気が無くなったので、動物霊が取れたのだと理解できた。以来、塩酒は手放せなくなっている。
昔から霊障には塩酒が効くらしく、なぜ効果があるのかは私にはさっぱり分からない。
元々は日本神話の中で伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰った時に、海で身を清めて邪気を祓った話が始まりのようだ。そのうち理由がわかったらあらためて追記したい。

今は自分自身が憑かれていないかのチェック代わりとして、何もなくても週に一回以上は入るようにしている。
動物霊はあらゆる形で嘘をついてくるが、塩酒は嘘をつかないからだ。
寒気は無くとも、なんとなく今日は塩酒入りたくないなと感じると、ああ小さいのが憑いてるんだなと考え直して入る。
ここまでのイメージ対処法でもスッキリしない時は、塩酒風呂に入るとイイだろう。
慣れてくると入った後の爽快感が分かるので癖になる。
その塩酒風呂の簡単な入り方をここで説明したい。

まず一般的な入り方としては、湯船に粗塩100~500g(嫌な気配が強い時ほど多めに調整)に純米酒1合を入れて、それに10分以上浸かるという方法だ。
浸かる時は頭にも塩酒のお湯をかけよう。あと家族のいる人は最後に入るようにして沸かさずに冷めないうちに浸かるのがイイ。
沸かさないというのは大丈夫だとは思うのだが、塩が風呂釜を傷めないかちょっと気になるからなだけだ。
浸かったあとは、普通に体を洗ってシャワーで流す。お湯もそのまま捨てればイイ。これが一般的な浸かり方だ。

でもこれだと塩酒の消耗がかなり激しい。
特に私の場合は除霊の前に入るので、神社などの施設系の掃除の時は数日かかるので、ほぼ毎日入らなくてはならない。
するともうしょっちゅうスーパーに粗塩と純米酒を買いに行かなきゃならなくなる。
レジのお姉さんにも、きっと粗塩と酒だけで生きている怪しい男だと思われている。
なのでここからはもう少しエコで、かつ効果的な入り方を書く。
なお用意する粗塩と酒の種類については、筋肉反射で色々分かる友人「みみたろう」さんが効果順を調査してくれたので、それも書いておく。

用意するもの

1.粗塩

特に「赤穂の天塩」が強力なのでお勧め。
筋肉反射で友人に調査してもらったところ、製造方法の工程に「イオン膜」とある商品が、共通して効果が無いと出るので避けた方がイイとの事。
私は「赤穂の天塩」を使っているが、上記の条件を満たしているようでイイようだ。スーパーに無ければ上記の条件を参考にするとイイだろう。

2.純米酒

筋肉反射で友人に調査してもらったところ、一番効果がある(評価10)と出たのは松竹梅の「蔵出半蔵工房仕込み」と日本盛の生原酒「純米大吟醸」らしい。
原材料名に「糖類、酸味料」と書かれているものが、共通して効果が無いと出るので避けた方がイイとの事。
つまり「米(国産)、米こうじ(国産米)、醸造アルコール」のみが書かれたものが効果があるらしい。(「米(国産)、米こうじ(国産米)」のみでも良いとの事)
私はお酒は全く分からないので、近くのスーパーで見つけられず、とりあえず福徳長の「純米酒」と言う清酒を使っているのだが、これも上記の条件を満たしており効果は大きい(評価10)とのことだった。

3.飲み物(スポーツ飲料)

これは無くても大丈夫だが、一応お勧めしておく。
汗が大量に出るので、水分と塩分を補うため、出来ればスポーツ飲料を持ち込んで浸かりながら飲むのがお勧め。
私はいつもポカリをコップに半分ほど持ち込んでいる。

入る手順

  • 塩酒風呂
    塩酒風呂
  1. コップに2分の1ほど粗塩を入れて(100g前後)、粗塩が溶けて隠れる程度に純米酒を入れて混ぜる(50cc前後)。
  2. 腰が浸かるぐらいのお湯をためて、半身浴しながら粗塩と純米酒を混ぜたものを全身にすり込む。特に頭、両腕、背中、お腹は重点的に。 この擦り込む時、皮膚や筋肉や骨の中まで塩酒がしみ込んで、悪いものが小さく皺くちゃになって消えていくイメージをすると効果的。
  3. 10~20分ほど半身浴する。この時にスポーツ飲料を飲むか、好きな飲み物と一緒に粗塩を少し舐める形でもよい(水分と塩分を補給するため) すると汗がボトボト出てくるので、塩サバの塩抜きのごとく汗と一緒に悪いものもどんどん出てくるイメージをするとイイ。
  4. あとは湯船から出てシャワーなどで洗い流し、普通に体を洗って終わり。

上記の量は嫌な気配をしっかり落としたいという場合だ。
慣れてくると上記の半分ぐらいでも効果が出せるようになる。
まぁ人にも寄るので、とりあえず適当に入れて何度か試してみてほしい。そのうち物足りなかったり余ったりして段々分かってくる。

ポイントとしては、特に両腕と頭を重点的に擦り込む。腕は肩から手の指先まで擦り込んで欲しい。
意識まで乗っ取られた人を除霊する時、いつも頭の部分に親玉的な動物霊がいるので、頭は重点的に。
次に多いのは背中とお腹、そして足だろうか。
足はいつも私が見落としやすいので、単に足に逃げ込まれているだけかもしれないが、特にふくらはぎから下はしっかり刷り込んで欲しい。
背中は手が届きにくいが、後の首元からトロッと塩酒を流して、背骨や肩甲骨から悪い気が一緒に流れ落ちるイメージをするといい。
足先は半身浴の場合、お湯につかってしまって擦り込みにくいと思うが、一旦立ち上がるか、ちょっとお湯から足を出して擦り込む。
その足をお湯に再度浸からせる時は、塩がお湯に溶けることに意識を向けず、塩酒の清めのエネルギーが既に足に浸み込んでいることをイメージしながら浸からせる。
擦り込む時は、塩酒が筋肉や骨のまわり、骨の中まで浸みこんで、悪い気が塩漬けになって皺くちゃになりボロボロ落ちていくイメージをしっかりする。
塩酒って効くのかな?って思いでやっても効かない。これは神社参拝も除霊も何でもそうだ。
信じてしっかりイメージすることで大きな効果が得られる。
大概はこれで落ちる。

しかし意図的に狙われて憑かれた場合は、彼らも耐えようとする。
これで落ちない時はもう本格的に狙われている時なので、しばらく塩酒と神社参拝を続けて、スピリチュアル的なことを全て手放すか、ここれんねを訪ねてもらうかだ。
私が寒気しながらお待ちしています。。

イメージの重要性

心応理でも最終回近くで説明しているが、イメージ力と言うのはちょっと大げさに言えば万物創世の源の力とも言える。
リアルにイメージするほど現実化しやすくなるものだ。引寄せと同じだ。
これは目に見えない次元に対しても同様。

ちなみに私は、除霊も上との交信にしても呪文的なものは全く使わない。全てイメージのみで行っている。
お祓いなど専門にやっていた前世ではよく使っていたみたいなのだが、人に教えても呪文そのものに囚われてしまう人が多いのが気になっていたようで、今世では宗教とは無縁の環境に生まれた。
なのでここでも心応理講座でも基本的にイメージのみで行うやり方をメインとしている。

繰り返し書いたように最も強いのは生きている人間の意志力なのだ。
信じて疑わない心が最強の力になる。
ぜひ常に自分は光に守られている、光が降りてきているイメージをより強くリアルにイメージする癖をつけてほしい。
これだけでも除霊効果があるし、色々とイイことを引き寄せる引き金にもなる。
心から幸せを感じる気持ちが、さらなる大きな幸せに繋がるものだ。
今日寝る時は是非、体が光に包まれるイメージをしながら寝てみてほしい。

では最後に予告した簡単な光のイメージの誘導文を書いておく。(※「 霊能者とは 」の記事に追記したものと同じです。)
ここからは静かに大きく呼吸しつつ、以下の文章を読みながらイメージしてみてほしい。


天から大きな光がおりてきて、今頭上から入ってきた。

頭部が光で一杯に満たされる。
頭皮から頭蓋骨、脳、耳、眼球、鼻、口、喉へと今光で満たされた。
口からは息を吐くたびに、不要な黒い煙がフーっと宙に出て、熱へと変換されて消えていく。

首、両肩、両腕、両手首、両手先まで光で満たされていく。
指先からは、不要な黒いものがボトボト地に落ちて、熱へと変換されて消えていく。

肺から心臓、お腹、腰、両足の付け根へと今光で満たされた。
食道、胃、肝臓、すい臓、腎臓、小腸、大腸と光で満たされていく。
肩甲骨から肋骨、背骨、腰、お尻へと今光で満たされた。
お尻からは、不要な黒いものがボトボトと地に落ちて熱へと変換されて消えていく。

両太ももからふくらはぎ、すね、足首、足先まで今光で満たされた。
足の指先からは、不要な黒いものがボトボト地に落ちて、熱へと変換されて消えていく。

全身が光に満たされてとても心地よく、とても明るい気持ちになってきた。

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運気の上げ方(功徳の積み)

※本ブログ「れんねメモ」を初めて読まれる方は、読んで後悔する前に「れんねメモを読む前に」をご確認ください。

運気を司るエネルギー

毎回言ってる事ではあるが、前世の記憶と言うのは、思い出せば思い出すほど、似たような人生の繰り返しだ。
昨年行った心応理ワークで、連続して前世を体験した人の中でも、とにかく似た人生の繰り返しに気づかされた人も多かった。
一つのテーマに絞り、その問題の原因となる前世を見に行っても、その原因となる前世がいくらでも出てきて、きりが無かったりする人もいた。

なので最近は、グループワークなどで既にいくつもの似た前世を思い出しているような人が、あらためて個人セッションを受けられる場合は、その一つのテーマに対する原因となる前世を、遡れるだけ遡ってみると言う誘導方法を行っている。 (通常、特に初めての方に対しては、1つの前世に絞ってもらった方が、体験も深まりやすいので、こういった誘導はしていません。)
その結果、色々と面白い共通項が見えてきた。

前世と言うのは、多くの人が過去の時代において人間だった記憶を思い出す人がほとんどだ。それは半分、根付いている概念的なものにも影響されていると言えるだろう。人間以外の人生を前世として認める事は、ちょっと難しかったりするものだ。
しかし、上記の通り特定のテーマでどんどん遡ってみる。紀元前、超古代文明の記憶、さらにもっと遡り、まだ地球が誕生して間もない頃まで遡ると、多くの人が地球以外の他の惑星で生活していた頃の記憶が出てくる。
そこではやはり人間の様な姿で高度な文明の中で生きてる記憶が出てくる人もいれば、人間以外のよくわからない生命の記憶が出てくる人もいる。
そう、多くの人が地球誕生以前から、やはり生命として輪廻を繰り返していた記憶が出てくるのだ。

その地球で転生を繰り返す以前の前世で、大きな原因が見つかる人もいる。結局それが原因で、それ以降ひたすら地球でその原因を消化できずに輪廻を繰り返していたというパターンだ。
そんな感じで、根本的な原因を探すべく徹底的に前世の大本を探るという誘導を行っていく中、さらに興味深い記憶の出てくるお客さんがいた。 天界にいたときの記憶を思い出す人だ。

天界にいた頃の記憶を思い出す人は何人かいた。私自身も天界に居た時の記憶はある。
でも天界と言えば、少なくともこの人間の世界よりは楽そうなイメージがあるだろう。そんな楽な世界にいたのに、何で今は人間として転生してるのかと言う疑問がある。本当に天界があるなら誰でもみな天界に行ってずーっとまったりフワフワ遊んでいたいものだ。
でもこうして天界の記憶を思い出す人が人間の世界に居るという事は、天界に行ったらそれで、ずっと天界にいられると言うワケでもないと言う事だ。

これについては私の中でも、天界という世界も人間よりは上の世界と言うだけで、転生する事もあるのだろうとは考えていた。
それは仏教で言うところの六道輪廻の中に天界も含まれて表現されている所からも想像できる。もし天界が永遠にそこにいられるような次元なら、六道輪廻からは外れた世界であり、解脱と同じ意味の次元と言うことになるはずだ。

もう一つ私の中で、こう言う事ではないかと思っていたのは、いわゆる天使や神々がよく人間に助言したり導いたり、奇跡を起こしたりして助けてくれる表現があるが、そもそもなぜ天使や神々は人間を助けてくれるのかと言う点について。
これは非常に人間的な考え方になってしまうが、そういった人間を助ける事で、神々はある特定のエネルギーを稼いでいると考えている。 その稼いだエネルギーで、その次元に居続けられているのではないかと言う事。

これは以前の「天使や神々への祈り方 」で書いた菩薩さんのような時の記憶が出て来たときに感じた事だが、人間を助ける事で何かエネルギー的なものが上昇するような感覚があった。それがその次元に居られるエネルギーにもなってるような感じだ。
つまり人間界でいうところの仕事と同じで、稼いだエネルギーで生活して生きてるような感じとでも言えばいいだろうか。
なので、神様にとって人間は商売のお客さんの様なもの‥。いや、なんだか書いてて非常に所帯染みた考え方で罰が当たりそうだが(笑)。
なので一応フォローするなら、もちろん神様もわざわざ、今年のシーズンは稼ぐぞぉ的な意識で動いてるのではなく、そこには大きな慈悲が根付いており、ただその慈悲で動いている。その結果としてエネルギーも自然と保たれている。
商売意識があったらとっくにその意識状態と波長の合う人間界に堕ちてくるだろうとも言える。

ちょっと横道に逸れたが、その天界の記憶を思い出すお客さんの中で、さらに天界から堕ちて来るプロセスを思い出すお客さんがいた。 それがちょっと興味深かった。
その人の記憶では、こんな感じだ。
天界で天使だった頃、仲間と一緒に天界の空を飛び回って、ずーっと遊んでいたらしい。 たびたび偉い人に仕事をするように注意されていたという。
仕事と言うのは、人間に良いインスピレーションを与えたり、奇跡を起こしたりして人間を助ける仕事だという。
しかしその人は、それを無視して遊び続けていたという。するととうとう天界から堕ちて、人間に転生してしまったと言うのだ。

これは私にとっては、それまで考えていたものを裏付けるような形で得られた情報なので、なかなか興味深かった。
やはりどーも天界においても、その次元に居続けるにはエネルギーが必要だという事。そのエネルギーは人間を助けるようなことで得られるという事。
これは、ちょうど仏教で言うところの「功徳」に近いのではと思う。

私は別に仏教信者でもないし無宗教ではあるが、仏教用語は非常に人間に理解しやすい形で表現されているので度々使わせてもらっている。
ただ人間に理解しやすいということは逆に言えば、人間の概念に制限されやすい意味に解釈されやすいという弱点もある。
なのであくまで「意味が比較的近い言葉」として、今回はこの「功徳」と言う言葉を仮に使って、人の運気の流れ方を書いてみようと思う。

ちなみに、先ほどのお客さんの天界の記憶の中で、どーも私もそこにいたらしい。
天界を誘導している最中に、お客さんが突然「あ・・トミシマさんがいます!」と言いだすので、ビックリした。
思わず「え・・!今、私は、そこで何をしてるのですか?」と聞くと「マジメに働いています!」と答えられ、ちょっと噴出してしまった^^;
でも、同時にホッとした。「一緒に遊んでいます!」・・とか答えられたら、何だか普段偉そうに語っている立場的にどうしようかと思った(笑)

人の一生においての功徳の流れ方

私は「偶然」と言う言葉ほど「非科学的」な言葉は無いと思っている。科学で解明されない現象は全てこの「偶然」と言う言葉で片付けることが出来てしまうからだ。
お金持ちの家に生まれてくることも、貧しい家に生まれてくることも、ただの「偶然」という言葉で片付けられる。運が良かった、悪かったで片付けられる。

しかし多くの人の前世の記憶を見ていくと、愛情のある家庭に生まれることも、無い家庭に生まれることも、お金持ちの家に生まれてくることも、貧しい家に生まれてくることも、そこに一つの法則性が見えてくる。
それを分かりやすく表現できるのが「カルマ」や「功徳」と言った仏教的概念だ。
今回はその「功徳」の話になる。

カルマは良い行いをすれば良い事が返ってくる、悪い事をすると悪い事が返ってくるという、対象を限定的に見た場合の解釈になるが、功徳はカルマとはちょっと違う。
もっと長期的というか、全体的というか、これが言葉で説明するのも難しい。 エリアシフト(※現在の心応理講座)でも最終回で説明してるが、いつもどう表現すればイイか悩む。ネットで調べても功徳についてハッキリ明確に説明しているものが見つからず、正直言って本来の意味がどういったものかは、私にもハッキリは分からない。

ただ体感的には誰でも何となくわかると思う。「あの人は徳があるなぁ」と言う表現は何となく分かるだろう。
功徳は沢山あると、良い事や幸せだと感じる事が多くなり、多くの人に慕われるようになり、功徳が減ってくると、幸せだと感じる事も減っていく。 一種の運気をつかさどるエネルギーのような物だと考えれば近い。
では、この功徳と言うものをもう少し分かりやすいように、人の一生に当てはめて、その流れについて書いてみる。

幼少期

我々が生まれてくる時、すでに人間に生まれる事が出来ると言う分の一定の功徳を持っているから生まれることが出来る。
生まれたての赤ちゃんが誰が見ても輝いて見えるのは、情報の壁が薄いと言う部分もあるが、この功徳も沢山持って生まれてくるからこそ輝いているとも言えるだろう。

生まれてから大人になって働くまでは、子供は親に育てられる。それは親とどういう関係であれ、一定の功徳を持って生まれてきたからこそ養ってもらえる運命を持ち合わせていると言える。 そんな功徳を持って生まれてきたから子供は、親でなくても可愛いと感じる。何とかしてあげたいと言う気持ちになる。

しかし生まれ持った功徳は、生きていく中で少しずつ消耗していく。逆に親は、その子供を育てていく事で功徳を稼いでいる。
言い方を変えれば子供の功徳のエネルギーは両親に流れていくと表現する事もできる。 だから親にとって子供は可愛く手放したくない。
親は子供を育てると言う形で、子供から功徳を稼いでいるのだ。

ある程度年齢がいくと、子供は家を出たくなる。両親から離れたくなる。両親が重く感じられるようになる。
これは生まれ持ってきた功徳が消耗していることを、体感的に気付いてくる年齢に至るためだ。
この先は自分で功徳を稼がなければならない。だから将来に対する不安感も出てくる。
同時に言い方は悪いが、親によっても功徳が消耗させられていることに気付き、親から離れたくなる。 普通は一人暮らしなどを始めたくなるものだ。家から出たくなる。自立したくなるのだ。

だから20歳前後になったら、子供が自分で功徳を積めるようになると理想的だ。別にイイ大学やイイ就職先につく必要は無い。就職先が見つからなかったら、バイトでもいいし、バイトも難しければボランティアでもいい。
小さい頃、初めて自転車に乗れた時の事や、逆上がりが出来た時の気持ちを思い出してみて欲しい。そういった困難を乗り越えての成功体験の積み重ねが、大人になってからの本人の自信に繋がる。
それと同じで功徳の積みも、小さい積みから重ねていく事で、大きな功徳を積めるようになる。
お金は入らなくとも、人に感謝されてうれしいと感じる体験を増やしていくだけで、功徳は溜まり自然と運気も上昇して、やがてイイ職につけたり大きな成功を得たり出来るようになる。

そんな経験が無いという人は今からでも全く遅くはない。
ちょっとした親や友人の何かの手伝いからでもいい。感謝されそうな事を探してやってみればいい。
ただし、その時いちいち見返りは望まない事だ。特定の相手に何かを望む事もまた消耗に繋がる。
そんなものは相手からもらわなくても、功徳が稼げれば自然とどこか違うところから入ってきたりもするものだ。それを楽しみにしておけばイイ。

社会人

会社に勤めると働いて給料がもらえる。 これは厳密にはこうだ。
会社でお客さんに喜ばれる仕事をして、お客さんから感謝されて功徳を稼ぐ。
しかし会社からは給料が出る。その給料をもらう事でその分の功徳は消耗する。
会社は社員の給料を支払う事で、お金は減るが功徳は稼ぐ形になり、その後の会社の運気に繋がっていく。
言い方を変えれば会社は社員を通してお客さんからの功徳を稼いで成長していく。 だから給料が安くても、本当は自分が頑張った分の功徳はちゃんと自分の中に入っているものなのだ。

功徳は溜まってくると自分の願い事や欲しいものが手に入りやすくなる。ちょうど目に見えないお金のようなものだ。
功徳が沢山溜まると良い事も増える。つまり運気が良くなる。

しかし例えば目に見える安い給料に不満を持ったとする。会社に文句を言ったとする。
ここで気を付けなければいけないのは、文句を言ったり悪口を言ったり、傷つくような事をしたりする事は、大きく功徳の消耗に繋がると言う事。
文句を言われた会社も、その社員の不満を押さえ込もうと抵抗すると会社の方も功徳を消耗する。
功徳を消耗すると、お金が出て行くことが増えたり、傷つけられる事が増えるなど、嫌なことが増えてしまう。

じゃあ、逆に給料安くても不満を言わずに我慢していればいいのか?
我慢するようなら、それでは功徳の消耗と同じだ。
ようは給料が安くても、お客さんが喜んでくれるなら構わないと言う意識で頑張っていられると、功徳はさらに溜まっていって、ある時それが現象化する。
昇進の話が出てきたり、あるいは他所の会社からおいしい引き抜きの話が出てきたりなどと言う具合に、自分とその会社との似た要素が無くなり、功徳に差が生じてきた時点で縁が切れる。 そのチャンスのタイミングでうまくさらに上へと移動すればイイ。

家族において

さて、仕事で稼いだ功徳はその後どうなるかと言うと、家で消耗する形になる。
たとえば実家に住んでるなら、家に住まわせてもらっていると言う点で消耗し、ご飯を食べさせてもらっていると言う時点で、また消耗する。
逆に親は子供を養い続ける形で、功徳を稼いでいることになる。

だから功徳を分かり易いように現金的な解釈で表現するなら、家にいるだけで親に功徳を奪われている状態とも言える。
なので自分自身の功徳、運気を上げたいなら、家から出るか、家にお金を入れるか、親孝行するかなどで取り戻した方がいい。

親にしてみたら、子供が可愛いし何とかしてやりたいと、一生懸命子供のためにと動くことで、功徳を稼いでる事にもなるのだが、子供の方はその分功徳を消耗してることになるので、子供自身の運気は落ちる。
だから必要以上に子供を甘えさせると、子供は余計に自立できない。「過保護」と言った表現は言い方を変えれば、子供の功徳を親が奪いすぎて子供が自分で功徳を稼げなくなる状態とも言える。
本当の意味で子供に幸せになって欲しいのなら、子供自身が自分の力で功徳を稼げるように考えて接する事だ。

功徳は近い言葉で言えば、感謝されるような事を行う事で溜まるエネルギーと考えればいい。ただ近い言葉と言ったのは、厳密には別に特定の相手から、その功徳のエネルギーを奪っているわけでもないからだ。
分かりやすいから奪うと言う言葉を使ったが、厳密にはどーも違う。 実際には奪う側は、高次元のエネルギーが入りやすくなるような感じだ。
奪われる側も奪う側に功徳を持っていかれるのではなく、ただエネルギーを消耗すると言う感じ。
だから消耗する側は、相手に感謝を伝える事で、多少なりとも消耗を防ぐような形にもなる。

結婚後そして老後

子供が大人になって結婚した後はどうなるか。
父親となる人は、先ほどのように同じく外で働いて功徳を稼ぐ。稼いだ功徳で家が建つ。そこに奥さん子供がいる。家族を養うことでまた功徳を稼ぐ。
母親となる人はどうなるか。専業主婦の場合は、ご主人の家なら家に住んでいる時点で功徳は消耗していく形になるのだが、ご主人や家族の為に、ご飯を作ったり家事をしたりする事で功徳を取り返している。

共働きで奥さんも家賃や家計を助けているような場合は、ご主人と同じように功徳を稼いでいる事になるので、ご主人も家事は分担したほうがいい。功徳的に見れば家事も立派な仕事になるからだ。
やがて両親の功徳に見合った功徳を持った子が生まれてくる。その子供を育てていく事で、また功徳は積まれる。

年をとって年金生活になる。子供が若い頃、子供のためにと懸命に功徳を積んだ親は、自然と子供に助けられる。
死期はさまざまな理由によって決まってくる。基本的には稼ぐ功徳よりも消耗する功徳の方が大きかったりするとある程度功徳が無くなった時点で、病気や事故に遭いやすくなる。

ただ、様々なケースがあるので一概にそうだとは言えない。自分ではなく家族のカルマを吸収してしまう事で生じる病気もある。それでもとにかく何らかの浄化だと考え、何の浄化なのか気付きに至り、前向きな気持ちを保つ事ができれば、功徳さえ残っていればそう言ったものも乗り越える事は出来る。
あるいはそういった前向きな気持ちを保つ事自体もまわりにいい影響を与えるので、新たな功徳になる。
理想は老衰で、幸せな気分で亡くなることだ。

そして亡くなると残った功徳は来世に持ち越され、その功徳に見合った人生が来世で展開する。
なので、もう亡くなるって時は、財産があったら出来るだけ手放したほうがイイかもしれない。手放す事で財産は功徳に換金され、もっとイイ来世に繋がるかもしれない。

功徳がどういったものかイメージ出来てきただろうか。人に親切にした時、ちょっと温かくなるような感覚。あれが功徳が入ってくる感覚だと考えるといい。
逆に人と騒いで楽しく過ごした後、妙な寂しい感覚があるだろう。あれが功徳を消耗した時の感覚だ。

え?人と楽しく過ごすことは幸せなことだしイイことなんじゃないの?と思うだろう。
単純に日々の辛さを忘れるために騒ぐだけとか、特にこれからの人生になんらイイ変化をもたらす事に繋がらないようなお楽しみは、功徳を消耗するだけと言える。
だから終わった後に寂しい気持ちになる。
なので友達と騒いだり楽しんだりする時は出来るだけ互いにまた明日から仕事頑張ろう!みたいな前向きな気持ちに互いになれるような楽しみ方のほうが理想的だとは言える。

最初のお客さんの天界から落ちた時のエピソードの話。その人は天界で働かずに遊んでいて堕ちてきたと言う。こう言った表現をする天界の記憶を思い出す人は、これまでにも何人かいた(功徳が無くなって落ちてきたと言っても、人間に比べたら全然ある方なので、人間界では比較的、楽な暮らしの出来る人生を送っているはず)

これらの話から、人間界は目に見えるお金を稼いで生活していく形だが、天界は功徳を稼いで生活していける次元と解釈することが出来る。
しかしこの功徳を稼いで生活できると言うのは基本的にはこの人間界においても同じだ。 功徳を稼ぐとお金は後からついてくる。
功徳があり本当にお金が必要な時は、思わぬところから自然と入るものなのだ。 功徳は目に見えない、お金は目に見える。だからお金で生きていると錯覚しやすいだけなのだ。

次に、功徳についてもう少し具体的に例を挙げていく。

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自分の周りの人達を一人一人思い出してみて欲しい。親切にしてあげたいと思う人、そうは思えない人と分かれるだろう。 あるいは遊びに誘いたい人、誘いたくない人。何かおごってあげたい、おごりたくない人。
これがすでにその人達の功徳の違いをキャッチしていると言えるのだ。
何かと親切にしてあげたくなる人は功徳を沢山持っていると言える。 簡単に言えば、そう言うことになる。

ただ実際には、複雑で単純にそうとも言えない場合も多い。
例えば相手の方が、こちらの状態に影響されてそのように行動してしまうだけと言うこともよくある。
自分が欲張りだと、自然と周りの人もそのエネルギーに影響されて欲張りになる。オークションやバーゲンにいくと競って欲しくなるのは、そのためだ。
常に損したくないと、お金に必要以上に囚われていると、自然と自分と接する人もお金に対して損したくないと言う意識が強くなるので、結果的に余計にお金が入りにくくなったりする。

一見得したように見えても、それが自分の功徳に見合ってないと、得した分だけ別の所で損をすることもよくある。
逆に普段から人に親切するのが好きな人は、自然とその人の周りの人も親切な人が集まりやすいものだ。
もちろんこれらは親の影響も大きい。 実際にはその人自身ではなく親のカルマや波長の影響で、その人の性格が本来のものではないような状態になっていることもある。

それでも本質的に功徳のある人は、誰からも信頼され自然と人気が出てくるものなので、すぐにわかる。
その人が何か困ってると自然と助けが入る。それほど働いてるようでもないのに、お金に困まってる様子でもない。
常に前向きで、その人と話をしているだけで元気になってくる。そう言った人が本質的な功徳を持ち合わせている人と言えるだろう。

うつわを大きくする

では、どうすれば功徳を沢山持てるか。エリアシフトでは功徳の話と一緒にうつわの話をする。
うつわと言うのは、功徳を貯めるためうつわだ。このうつわは人によって大きさが違い、沢山の功徳を貯めるためには、このうつわを大きくしなければならない。うつわが小さいといくら功徳を貯めてもこぼれ落ちてしまうからだ。

うつわと言うのは、その人の精神性とでも言えばいいか。例えば目先の事でなく、沢山の人の将来の幸せに繋がるような事が実行できる人、会社全体や、国全体、地球全体を考えて、日々行動に移せる人など。あの人はうつわが大きいと言う表現で表されたりもするだろう。
そういった人はうつわが大きく、貯まる功徳も大きいので、それだけイイ事や幸せな事も起き易い。

ただしそう言った沢山の人に影響を与える立場、そこには集合的カルマ、集合的功徳とでも言えばいいか、そこに絡む違うエネルギーの影響もあるので、また話は変わってくる。
政治家なんかは、国全体の業や功徳に影響される事も多く、本当によい政治が出来れば、とても大きな功徳に繋がるが、悪い政治に繋がるとその業も深い。
ただし、例えば1000人を虐殺した政治家が、そのカルマによって来世で1000回殺されるのかと言うとそうでもない。 指示したのがその政治家であっても、実際に1000人の虐殺が起こることは災害に近く、その国の業の影響の方が大きい。
その政治家が背負うカルマは、その魂の背負える大きさに限られる。同時に積んだ功徳も来世に持ち越せるのは、その魂の持っているうつわの大きさに限られ、残りはこぼれ落ちてしまう。

これは妙に京ひぷの(※現在のここれんね)に限っての事なのか、特に幕末と戦国あたりの歴史上の人物の記憶を思い出す人が多く、なんだかそんな歴史上の人物で頑張っていた人なのに、今世では普通に主婦?みたいな、ちょっとそのギャップに心の底で身悶えしていたのだが、客観的に考察していく中で、自分の中で出てきた結論が、上記のような感じだ。
もちろん国を動かすほどの立場になるだけでも、多大な功徳が必要になる。それだけの功徳を稼ぐには、それだけ多くの人の信頼を得る事が重要になるだろう。

かなり横道に逸れたが、うつわを大きくするためには近い表現で言えば、自分個人や家族と言った単位ではなく、沢山の人の幸せになることを考えて行動できるようになる事と言えばいいだろうか。手段は色々あるとは思う。

人を通しての功徳のため方

うつわが大きくなると自然と功徳も貯まりやすくなるものではあるが、もう少し具体的な貯め方としては、基本的には人に感謝されるような事をどんどんやっていく事だ。
別に言葉で感謝されなくてもイイ。その人が「ああ助かった」と、幸せだと感じてもらえるだけでいい。
朝早く学校に来て、自分の教室や部室を掃除する。そんな事でも功徳は貯まる。自分が掃除したことを知られる必要は無い。

例えば、人が困っている時に自然とスムーズに助けられる人と言うのは、功徳の積みがうまい人だ。
相手が次にこの行動に移す時、これがないと困るだろうと、相手の気持ちを自然に察知でき助ける事ができる人。 いわゆる「気が利く人」だ。
こう言った人は小さな功徳を意識せずに自然と積んでいるので、いい運気を掴みやすい。

人のいい部分を見つけて素直に褒める事が出来る人も、功徳の積みがうまい。 人の中の目に付くイイ部分と言うのは、自分の中にも眠っている同じイイ部分とも言える。
だから人を褒めれば褒めるほど、功徳になると同時に自分のイイ部分が刺激され成長する。

小学低学年の頃、その時の担任の先生が早く賢くなる方法として、こんな事を言ったのをよく覚えている。
「家の玄関で、斜めになった靴をちょっと正しく直すだけでも、脳のしわが1本増えて賢くなるんですよ」
これを聞いた当時の自分はそれはすごいと思って、毎日靴の位置を直したら自分はどこまで賢くなるんだろうとワクワクしながら、親が靴を斜めに脱ぎ捨ててくれるのを心待ちにしていたものだ。
それで脳の皺が何本増えたかどうかはわからないが、これって今から考えると、徳積みにはなってたんだろうなって思う。 だから子供に自然と功徳を積ませるには、こういう教え方もイイかもしれない。

自然を通しての功徳のため方

自然から功徳をもらう方法もある。自然のある場所に行ってすがすがしい気持ちになる。そんなのでもいいし、自然の場所が遠ければ、日の出を見て太陽からエネルギーをもらう方法もありだ。特に朝と言うのは、太陽からとても綺麗なエネルギーが注がれる。こう言ったエネルギーを貯める方法もある。
ん?自然や太陽のエネルギーって功徳なのか?と思うかもしれない。私も今書きながら少し思った^^;
いや、でも確かに朝は外を歩いてるだけでも気持ちがいいし、明らかに昼間とエネルギーの質が違うと思う。元気になる感覚がある。十分功徳だと思う。
まぁ、ちょっと確信はないので、また何か分かったら追記しようと思う。

あとは天からもらう方法。これはエリアシフトの最後では「供養」として説明した。神様や自分のご先祖さんに対して食べ物や水を献上してから頂く方法だ。
具体的にはお墓参りに行って、お供えしたものを帰ってから頂く。神さんや天界の存在に供養して功徳をもらう方法もあるが、この辺りはあんまりスピ系に偏ると、中にはただの動物霊を天界の存在と錯覚してしまう人もいて、ちょっと危険な部分もあるので、WEB上では説明を省略する。 先祖供養だけでも十分だと思う。

自分の目標は、人の目標を手助けする事で叶い易くなる

色んな職業において、その道を極めるために弟子入りする事が昔からあるだろう。 弟子入りと言うのは、弟子の間は、師匠の身の回りの世話や手助けをひたすら行う。
雑用ばっかりで、全く仕事を教えてもらえない。いつになったら仕事を教えてもらえるんだろうと、そんな状態のお弟子さんもいるだろう。

しかし功徳と言う視点で見ると、弟子として師匠の身の周りを世話する状態だけでも、ちゃんと師匠の仕事の運気、功徳を分けてもらっている事になる。 だから仕事を教えてもらえなくても、ちゃんと自立するための功徳は溜まっていくので、何も心配は要らない。 弟子をしながらも自分なりに自分の腕を磨けばいいのだ。
そうすれば、ある一定の功徳が溜まった時点で必ず何らかのチャンスが訪れる。それを逃さず掴む事だ。
逆に師匠に対する不満ばかり溜め込むと、余計に功徳は溜まらない。 将来の夢がある人は、とにかくその夢を叶えている人に近付いて手助けする。そうする事で、その分野での道が開けやすくなり功徳も積みやすい。

功徳の消耗を防ぐ

人を傷つける事や迷惑をかけることは大きな消耗に繋がる。人に依存したり、助けられる事も功徳の消耗になる。
自分で出来る事は出来る限り自分で行う。人に頼らないことは功徳を消耗しない基本姿勢としてイイ事だとは思う。 でもそれに慣れて余裕が出てきたら、積極的に人に親切を行って功徳を積み、同時に人からの親切も、ああこの人はすばらしい功徳を積んでるんだなと考えて受け止め、その人を褒め称える事でよりいっそうその人が功徳の積みに励むようになったら、その事自体が自分自身の功徳にも繋がるので理想的だ。

その他「楽しむ」と言うのも功徳の消耗に繋がる。これは先ほどの天界から堕ちる話からも分かる。 楽しむ事がいけないと言うわけではない。生産的な事に繋がらない楽しみが、タダの功徳の消耗と言う事だ。
みんなで飲んだ後、ちょっと寂しくなるあの感覚が功徳の消耗だ。

しかし、その楽しみによって自分がよりいっそ前向きになる。前進に繋がるなら、ちょっとした功徳の消耗も それ以降の大きな功徳の積みに繋がるなら何ら問題ないだろう。
よく大きな仕事が片付いた後、みんなで乾杯しようみたいな事はあるだろう。 これは乾杯が功徳の消耗に繋がり、大きな仕事が片付いたあと、つまり大きな功徳が積めた後なら多少功徳を消耗しても大した事は無いだろうと潜在的に分かっているからだ。

小さい頃、この勉強が終わったら、お菓子を一個食べようみたいな事をしてた人もいただろう。
人間は潜在的に楽しみが功徳の消耗に繋がる事も、人のために動く事が功徳の積みになることもよく知っているのだ。
なので人と楽しむ時は、何かそこに目的を作っておく事が、消耗を抑えるコツだ。今日はみんなで楽しんで、明日からまた頑張ろうみたいな。そんな気持ちで楽しめるならいいと思う。
例えば、友達と呑みに行って別れる時は「じゃあ今度は、○○さんが、○○出来た時にまた呑もう」みたいな感じで目標を立てるだけでもいい。するとまたみんなで呑むのが楽しみだと思いながら、その目標まで頑張れる。
逆に、ああこのままずっとみんなと楽しみたい、死ぬまで飲んで朽ち果てたい‥。みたいな心構えは、気持ちは分かるが残念ながら功徳は消耗していく一方だ。

無意識の功徳の消耗を防ぐ

功徳の積みが下手な人は、自分で気付かないうちに人に迷惑をかけていたりするものだ。
例えば、何気にゴミを道に捨てる。特に日本は道が綺麗な方なので、ちょっとしたゴミも結構目立つ。
捨てた本人は軽い気持ちだが、想像してみて欲しい。 そのゴミが、誰かが掃除をして片付けられるまでに二日かかったとする。その二日の間に、そこを1000人の人が通り、その中の300人の人が、そのゴミを見て嫌な気分になったとしたら‥。
捨てた本人は、300人分の気分を悪くさせたと言う事になる。それだけ功徳を消耗した事になる。

いつも思うのはメディアの恐ろしさだ。何万と言う人が目にする一つの番組でも、見る人を幸せな気分にさせる放送内容にするか、不安をあおる放送内容にするかで、どれほどの功徳の差が出るのだろうと。
今なら、ネットの影響力も大きいだろう。普通の友人関係の間レベルで考えたら、たいした事のない悪い冗談でも、それをネットで流してそれを見た人のうち1万人の人が気分を害したとしたら、その影響を想像する事は難しくない。ブログ炎上や、逮捕される人。普通に考えたらちょっと大げさなのではと思うような事態になってしまうのはこのためだ。1万人分の迷惑料を支払わされているようなものなのだ。
政治家のちょっとした失言がすぐ政治家生命に響いてしまうのも今のこの情報化社会の特徴とも言える。 ただ、逆に言えばちょっとした人に幸せを与えるような事をネットで発信し、それを1万人の人が読んで幸せな気分になれたら。これもまたすごい功徳になると言える。

そんな感じで、功徳の積みと消耗は気づかない所に沢山ある。だから自分の行動で人がどんな気持ちになるのかと言うことをよく客観的に理解しておく事が大事だ。そこを意識できる人なら、無意識に功徳を大きく消耗するような失敗はしない。
と言うか、本当はそんな功徳の積み云々を意識せずに、自然と功徳が積める人になる事が最も理想的だ。

天界では、人間を助ける事で徳が積める。他にも物質界の生命を守ったり、成長を促す事で徳は積める。
しかし、人間界に比べると天界で徳を積むというのは実は結構難しい事なのだ。
なぜなら天界は人間界に比べて、苦しみそのものが絶対的に少ない。まぁ、苦しい事が少ないから天界と言えるのだが。 だから助けを必要とする人がほとんどいない。そのため徳の積みようが無く、物質界の生命を助けて、功徳を積んでいる。

天界って一見、幸せそうなイメージだが、苦しみの無い世界を具体的に想像してみて欲しい。 苦しみがないという事は、楽しみを楽しみとして認識できないと言うことなのだ。
人間界には一定の苦しみがある。苦しい事があるから、楽しい時を「ああ楽しい」と認識できるのだ。
苦しみが無くなったら、楽しみとはいったい何と比べて楽しいと感じればよいのか。
だから苦しみをよく知っている人ほど、楽しみたい楽がしたいと感じる事が出来るのだ。

人間界は苦しい事が沢山ある。おかげさまで功徳を積むチャンスがゴロゴロ転がっている。
つまり苦しい世界と言うのは、非常に功徳が積みやすい世界とも言えるのだ。
もう天界から見れば、功徳を積める最高の穴場だ。 だから功徳が無くなって天界から落ちてくる魂もいれば、その功徳を大量に稼いでやろうと出稼ぎ感覚で天界から降りてくる魂もいるのだ。
あんまり長く天界にいると退屈すぎて、むしろ苦しい事が刺激的で魅力的に感じられてしまったりするのだ。

その人が天界から単に堕落して堕ちたのか、それとも功徳を積みに降りてきたのかは、その人がこの人間界でどのような生き方をするかによって分かるだろう。
単純に功徳を消耗し続けるような生き方なのか。あるいは功徳を積みまくるような生き方なのか。

そしてそれが来世どこに転生するかに繋がっていく。
また人間として似たような人生を送るのか、今世で積んだ功徳によって、もっと高い世界に転生するのか。
これからの自分の生き方で全て決まっていく。

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第一印象で、その人を見極める方法

※本ブログ「れんねメモ」を初めて読まれる方は、読んで後悔する前に「れんねメモを読む前に」をご確認ください。

人との出会いは縁によって生じる。
逆に言えば縁が無ければ言葉を交わす事も、出会う事も見かける事さえも難しいと言える。

イイ人との出会いはうれしいものだ。しかし嫌な人との出会いは、出来れば避けたいものではある。
第一印象は良かったのに、付き合ってみたらひどく傷つけられた。なんて事もあるだろう。
今回はこの人との「縁」を、第一印象のみである程度見分ける方法を書いてみる。
それによって今後その人とどういう関係性になるかも、ある程度予想を付けることが出来るのだ。

その前に「縁」と言うものについて、ちょっとあらためて整理しておこう。

まず、家族の縁について考えてみて欲しい。
特に親子の縁は、あらゆる縁の中でも非常に縁が深い相手と言える。 信頼し合え一緒にいて当然だと感じる家族なら、また来世で家族や恋人など何らかの形で近い縁であっても納得できるだろう。

では、子供を虐待する親。親に暴力を振るう子供。どう考えても性格的に似ても似つかない兄弟。 とても愛情があるとは思えないような親子の場合はどうだろう。
「なんで、こんな親の元に生まれたんだ!」「何でこんな子に育ってしまったの?」 そんな納得のいかない親子関係もある。

しかし、これも「囚われ」と言う視点から見れば、何ら不思議ではない。
「大好きな家族と、また来世で一緒になりたい」と願うのも「大嫌いな家族と、二度と来世では一緒になりたくない」と願うのも、潜在意識においては、その「家族」に意識が強く囚われていると言う意味では同じだからだ。
どちらもまた来世で家族や友人、近い関係性の中で生まれやすい。

潜在意識においては「好きも嫌いも同じ」であり、「好き」や「嫌い」の逆は「好きでも嫌いでも無い」になる。

つまり、あの人が好きとか嫌いとか‥気になる人と言う具合に感情が動く相手は、確実に前世で何らかの関係性があると言える。 逆に縁のない人と言うのは、感情が動きにくい事はもちろん、その人の存在に気付くこと自体難しいものと考えてイイ。

ただし、縁は感情で惹き合うと言うより「似た要素」を持った者同士で惹き合うと言う感じだ。なので感情があんまり動かない相手であっても、何故か一緒にいることが多い相手、空気のような存在みたいなパートナーと言うのは、これまた縁が深いと言える。

ただ、似た要素を持つ者同士なら仲良くやっていけそうなのだが、実際にはそうとは限らない。
例えば「満たされた」と言う要素を持つ人なら、同じように「満たされた」人と縁が生じやすく、そんな縁ほど互いに「満たされた」空気のような感覚で馴染めるかもしれない。

しかし「寂しい」と言う要素で惹き合う縁になると、寂しい者同士で一緒にいると寂しさが無くなるのではと思われそうだが、実際にはそう言うものではない。
「寂しさ」と言うのは、このサイトでも何度も書いてる様に、「親に愛されていないかもしれない」と言う不安を兼ねた寂しさと言える。
恋人によって満たされるのではと錯覚しやすいが、満たされる事なく、じゃあ違う人なら満たされるかもと浮気をしたり、別れや出会いを繰り返したりもしやすいのだ。この寂しさは親によってしか満たされる事がない。そこに気付かないとなかなかぬぐえない「寂しさ」だ。

「怒り」「嫌悪」と言う要素で惹き合った場合はどうか。「怒り」や「嫌悪」と言うのは「理解されたい」と言う気持ちの裏返しでもある。
互いに「私を理解して欲しい」と相手に求めるが、理解されたいと感じている人が、相手を理解しようとするだけの気持ちの余裕を持つ事は難しく、結局ケンカや争い事を起こしてしまう。

人の縁とはこんな感じで、似た要素を持つ者同士で生じ、そこに様々な人間関係が生じてくる。

では、これらの事を踏まえて、第一印象でどうやって相手を見極めるかの話に戻ろう。
初めて会った人に対して、自分の心がどう動いたかを客観的に感じる事で、相手との縁をある程度見極める事が出来る。

第一印象の違い

1.波乱の予感:相手を見た瞬間、強烈な印象を感じる相手

一目惚れ、大好きと感じる相手。あるいは大嫌いと感じる相手。苦手意識や緊張感が生じる相手など、とにかく感情が大きく揺さぶられる相手がこれに当たる。

大好きな人と大嫌いな人が一緒にくくられてしまうのか!?と思うかもしれない。 しかし潜在意識とはそう言うもので「大好きか、大嫌いか」の問題ではないのだ。感情が「激しく動く」か、「動かない」かが問題なのだ。
つまり「強い囚われの縁」にあたる相手だ。大好きだった前世もあれば、大嫌いだった前世もあると言える。

ドラマで言えば第一話で衝撃の出会いが起こり、主人公が運命だと感じて急速に惹かれていく相手。 あるいは主人公に対し宿命の敵として登場するイジワル役がそうだ。
大きく感情の動く相手と言うのは、イイ意味でも悪い意味でも、感情の波の激しい前世の縁だったと言える。大の仲良しだった生もあれば、互いに憎みあってた生もあるだろう。
最初に一目その人をみた時、イイ意味でも悪い意味でも、特にドキドキするような相手だったら、慎重に関係性を築いていった方がイイ。このドキドキの感覚というのは、ある意味潜在意識が、前世においてこの人の事で大いに苦しんだ、と言う事を覚えているからドキドキするのだ。

異性で互いにドキドキしてる感じなら、大恋愛、大失恋を繰り返してる相手だろう。喋りかけたいけど怖くて声をかけられないなど、こちらだけがドキドキしてる感じなら、長年の片思いで苦しんだ相手かもしれない。
ドキドキとまではいかないが、すんごく愛おしい、離れると耐えられない様な場合、 先立たれて長年忘れられなかったという可能性もある。
立場的に話しかける事さえ難しい相手だけど強烈に惹かれると言う場合、前世でも身分の差で苦しんだ相手かも知れない。
そんな感じで自分の中の印象から、前世での相手との関係性は、ある程度つかめる。

他にも色んなパターンはあるが、基本的には 苦しんだ方が、潜在意識には残りやすく来世で惹かれやすいので、特に一目惚れの場合は、今世においてもまた大きく苦しむ可能性がある事は覚悟しておいた方がイイ。
その人と苦楽を共にし、これから長年傷つけ傷つけられ、激しい恋愛がしたいと言う人ならお勧めする。 でも無駄に歳を取りたくない、平穏な結婚がしたいと言う人にはお勧めしない。

同性なら大親友あるいは憎しみ恨みの関係の可能性と言った感じだろう。 一気に仲良しになる感じだったら、あんまり距離を詰めると怖い。一応ある程度距離を保って、接する事をお勧めする。

逆に苦手意識がふつふつ湧くような相手なら、もし会社の同僚など、この先もう避けようのない付き合いが必要となるなら。 向こうも苦手だと感じている事が多いので、あえてこちらから弱さを見せたり、話しかけたりして接近するとイイ。
それで嫌な態度を取られても気にすることはない。 少なくとも相手がこちらに対する苦手意識が小さくなると、こちらの苦手意識も自然と小さくなるので楽になるものだ。
ただ、苦手意識が無くなりすぎて、激しく親密になるのは気を付けた方がイイ。前世と似たような嫌な衝突を再び招く可能性が大きいからだ。ある程度距離を保って必要以上に互いに囚われない方がイイ関係を保てやすい。

2.平穏の予感:初対面なのに緊張感が湧かない、単純に話しやすいと感じる相手

初めて会う人なのに、緊張感なく自然と喋れる。無言になっても、特に気にならない。別にそんな好きでも嫌いでも無いが、一緒にいると安心できる。 感情の波が、あんまり起こらない相手。
自然と一緒にいる事が多く、相手がいない時はちょっと寂しいと感じる。

わりと長続きしやすい縁と言える。前世でも長続きした縁の可能性が高い。 異性なら退屈かもしれないが、浮気されたり離婚の心配もないし、トラブルも起こりにくい。 同性なら気を遣わなくてもいい楽な相手と言った感じで、今世でも長い付き合いになりそうだ。

ちょうど、ごく普通の自分の親や兄弟に対する気持ちが、それに近いのではと思う。 普段は何とも思ってないけど、いなくなるとちょっと寂しいと感じるような相手が、これにあたる。

友達で言えば、最近連絡取ってないけど、まぁまた連絡を取ろうと思えば、たいして抵抗感なく連絡を取れるような相手。 異性で言えば、今まで恋愛対象としては考えた事なかったけど、いざ相手がいなくなると寂しいと感じるような相手。 ドラマで言えば最終回で「そういやアイツは、いつもそばにいてくれた」と主人公が初めて気付く相手。

これは、さっきの相手に囚われると言う視点で見れば、縁が薄そうに見えるのだが、そうではなく波立つ関係か、波立たない関係かの違いだけとも言える。
一緒にいても、あんまりドラマチックな展開は望めないが、居なくなった時に初めてその存在感に気付かされるような人だ。

人間界より上の天界がこんな感じで、人間界に比べると苦しみがほとんど生じ無いだけに楽ではあるのだが、苦しみが無いと幸せを幸せと認識できなくなる。
だからあんまり長く天界にいると、今度は何か変化が欲しいと下の世界に興味を持ってしまい、また人間界に落ちてくる。そんな魂も沢山いる。
我々も、当たり前のように酸素を吸っているが、呼吸する事自体難しいような、ここより下の世界もまたある。そんな所に落ちて初めて、呼吸できる事の幸せに気付いても遅いのだ。

ただ、もしどちらかが早死にしたり、今世に限って何らかのトラブルが起こった場合、来世からは1の縁に切替る可能性もある。
また、こちらは話しやすいのに、相手の方は妙に緊張しているような場合は、前世において自分が相手を苦しめていた可能性がある。
こういった場合は、まぁ‥とりあえず心の中で「ごめんなさい」と唱えておこう。

3.挨拶の予感:全く興味が湧かない、話してても何とも感じない相手

ある程度の縁のある人なら「優しそうな人」だとか「苦手な人」と言う具合に、何らかの印象が出てくる。 その印象すら出てこない。とりあえず挨拶をするだけの関係の人など。こう言った知人レベルの関係者は、前世においてもそれほど深く関わっていなかった可能性が高い。しばらくしたら切れる縁の人かもしれない。

ただ、興味は湧かなくても仕事で関係する人、何らかのグループで一緒の人と言う感じで、これからしばらく関わると言うような人なら、それは感情に関係なく、何らかの似た要素を持つ者同士と言う縁があって惹き合っている人だ。
こう言った人は、これから来世にかけて縁が深くなる可能性があるので、信頼できそうな人であれば、ちょっと積極的に関わってみても面白いかもしれない。
意外な共通点など見つかるかもしれないし、それほど仲良くはなれなくとも、そこから縁が繋がって、来世辺りではもっと親しい関係になってるかもしれない。

4.無縁の予感:全く気付かない、何にも感じない相手

まぁ、全く縁のない人と言うのは、互いに気付く事も見かける事も難しい。
なので、わざわざ前世や来世での関係を、ここで考える必要もないだろう。

では続いて初対面の人に対し、前世ではどういう縁であれ、今世ではどういう人なのかを素早く見抜く方法だ。
上記の第一印象での判断を踏まえて、以下の点を意識しておけば、5分も喋れば相手がどういう人か掴めるだろう。

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相手の雰囲気から理解する

・怒り口調の人、怖そうな人、口の悪い人

怒りは、理解されたいと言う気持ちの裏返しだ。「本当の自分を誰もわかってくれない」と感じている。 こういう人には、まず聞き手に回って、その人の話をよく聞く。その人を理解しようと言う気持ちで接する必要がある。

・やたらはしゃぐが、どこか寂しさを感じる人

寂しいから無理に楽しい空気を作ろうとするタイプ。しかしそれは、その人にとって一時的に寂しさが紛れるだけに過ぎない。
安易に優しくすると依存に繋がったり、すぐ裏切られたと思われたり、難しい部分は多々ある。 この寂しさは多くの場合、本人の親に対する感情に関係する。その辺りを理解していく必要がある。

・嫉妬心をかきたてるような行動や話をする異性

これも根本的にぬぐえない寂しさを抱えている人に多い。嫉妬心をかきたてられるような行動を見せつけられた時、自分の中に嫉妬心が湧いてくるようなら、自分も相手と同様に寂しさを抱えていると言う事になる。気は合うかもしれないが互いに浮気しあうような「波乱の予感」も覚悟した方がイイ。
逆に相手の行動にあきれて気持ちが覚めてくるようなら、恋愛対象としてはお勧めしない。振り回されるだけだろう。あなたにとってその人は幼く感じるかもしれないが、このタイプは先ほどと同様、本人によってしか解決できない寂しさを抱えている。その事を意識して距離を維持して関わるなら問題ないだろう。

・理論的に話す人、情報だけの会話の多い人

どこそこの店はああだこうだと言う、感情の伴わない情報のみの会話が中心の人は、自分の感情がうまく出せていない人なので、ストレスを貯めていやすい。
こちらから気持ちに関わる会話、例えば恋愛話などを持ち込めそうであれば、その辺から少しずつ解きほぐしてあげられるとイイ。

・こちらの話をよく聞いてくれる人

普段からカウンセラーのように、よく話を聞いてくれる人と言うのは、ある程度自分の気持ちに余裕があるから出来ると言える。 ただ、こちらとしては自分が話すだけで、相手の話が聞き出せないので、実際に相手がどういう人か、気持ちがどうかとか分かり難かったりするので難しい。
特に異性の場合、話をよく聞いてくれるから、つい好意を持ってくれてるんじゃないかと思ってしまいやすいが、その前に自分はどれだけその人の事を知っているのか、よく思い返してみてから考えた方がイイだろう。
このタイプを早く理解するには、相手と同様こちらも上手に聞き手に回る事だ。

・口下手な人、無口な人

これは人によって様々なので、単に喋らないから寂しい人とか判断できない。 親によく怒られた人は、会話をする時も相手の表情を伺いながら話す癖がついていたり、親がよく喋るから子供もよく喋るとも限らない。 喋り方からだけでは、見えてこない部分も沢山ある。
なので、とりあえず相手の話す話の内容の方に意識を向けた方がイイ。 こちらからも心を開きつつ、質問などでその人の心に近付いて少しずつ理解していくしかない。

続いて、その相手の話す内容から理解できる点を挙げる。

・口癖や人の評価する言葉、悪口は、その人自身を表す

初対面で、たった5分ほどの間で繰り返されるキーワードがあったら、その人自身がそのキーワードに関係する事で、何らかの形で「囚われている」と見る事が出来る。
例えば、友達の事を「裏切られた」とか「信用できない」といきなり繰り返す人なら、「裏切り」と言う要素を抱えている人と見る事が出来るので、この人は以前にも何度か裏切られている、あるいはこの人自身が誰かを裏切って、その罪悪感を背負っている為に囚われている可能性がある。

特に裏切った友人を責めるような口調の場合、自分が誰かを裏切っており、それを認めたくないから友達の似た部分を責めている可能性が高い。
なので人の悪口を繰り返す人は、心の深い部分では自分自身の悪い部分、認めたくない部分を自分でもよく認識しているとも言える。 その人自身がそこを素直に人に話せるようになると、本人は楽になりやく自然と人を責めるような悪口も言わなくなる。

・こちらの話を遮ってでも自分の事を喋ろうとする人

人に分かってもらえていないと普段から感じている可能性が高い。 何でも言いたい事を言ってるような印象を与えるが、実は本当に言いたい事が何も誰にも言えていない人だ。本当に言いたい事が何なのかを理解してあげる必要がある。

・卑屈な言葉を繰り返す人

認めて欲しいと強く感じている。 認める言葉がけをすればイイが、依存に繋がりやすい。なので、まず何故いつから認めてもらえないと感じるようになったのか。その辺りの話を聞き出せると一番いい。

・自分の事を大きく見せようとする人

自信のない表れと言える。 褒めた所で、本人は一時的にしか満足できず、依存に繋がる可能性もある。自分を大きく見せなければならない理由が過去にあるので、そこを理解する必要がある。

・感情の言葉をよく口にする人

嬉しいとか寂しいとか、ストレートに口に出来る人は、ストレスを貯めにくく、人とも溶け込みやすい。
ただ、素直な自分を演じているだけの人もいるので、その場合はちょっと難しい。その辺は口調でわかると思う。

ちょっと思いつくまま書きなぐった感じなので、整理しきれていない部分も多々あるし、他にも色んなケースがあり、全部がこの通りに当てはまるわけでもない。あくまで参考程度にとらえて欲しい。

ただ、誤解されると困るのだが、これは相手を判断するためと言うよりは、相手や自分を理解するヒントとして参考にしてもらえるとうれしい。
まぁ「第一印象で、その人を見極める方法」と書いた方が興味をひくだろうと思って、このタイトルにしたのだが、本当は「第一印象で、その人との縁を理解し、その人を理解する方法」って感じだ。

「なるほど、あの人は人の悪口ばかり言ってるから信用できない人だな、さっさと縁を切ろう」と、気付いてもらうために書いたのではない。
信用できない人だからと嫌悪して、無理に縁を切った所で、必ず似たよな信用できない人は、また現れる。
と言って、別に嫌だと感じる人と頑張って仲良くしようと言ってるワケでもない。その人がどういう人か早く理解することで、嫌な人をワザワザ嫌だと感じて苦しむ必要がない、囚われる必要が無いと言う話なのだ。
囚われなくなったら、自分と似た要素が無ければイヤでもじきに縁は切れるので、気にする必要も何もないと言う事だ。

意地悪な人も、別に心から望んで意地悪な人になってるわけではない。意地悪な人になるのも難しいものだ。必ずその切っ掛けとなる過去があり、しかたなく運命で意地悪な人になってしまっているだけの話だ。
世の中の犯罪者も同じだ。生まれた時から犯罪者を目指す人はいない。

そもそもそう言った意地悪な人、信用できない人と出会った、縁付いたと言う事自体に意味があり、自分自身の中にその理由があるものだ。

最初にも書いたとおり縁は「感情」で惹き合うのではなく「似た要素」を持つ者同士で惹き合う。
どんなにイヤな人、信用できない人であっても、自分と何らかの「似た要素」を持っているから出会うのだ。

あの人は嘘をつくから信用できない。でもその嘘をつく人と出会った自分の中にも必ず、その人と似た要素を持っていると言える。
もしかするとその人は注目されたくて、寂しくて愛されたくて、イイ人だと思われたくて嘘をついているのかもしれない。
そう考えた時、自分は嘘はつかないけど、注目されたいと考えるのは私も同じだ‥と言う具合に探せば必ず何らかの似た要素を持っている。だから出会ったと言えるのだ。
そこに気付けた時、相手の気持ちを理解出来た時、きっとイヤな人はイヤな人でなくなる。そこに気付いて欲しくて書いたのだ。

好きだと感じる人も、嫌いだと感じる人も、どちらも自分自身の中の深い所にいるもう一人の自分との出会いだ。
イイ人との出会い、悪い人との出会いは、認めたい自分、認めたくない自分との出会いとも言えるのだ。
そこに気付き、そこから学ぶために我々は輪廻転生を続けている。自分の家族も出会う友人知人、そして生まれる場所や環境も全て、自分自身の前世からのカルマで決まる。そこから学んで学び終えれば、囚われは無くなり縁は切れる。
そうやって全ての囚われが無くなれば、輪廻する必要も無くなるだろう。
また話が無駄に大きくなりそうなので、この辺で終わろうと思う。

出会いと言うのは必ず意味がある。
そしてあなたがこの文面を今読んでいる事にも必ず意味はあるハズだ。

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